君の名は






私の名は三上。
大手食品メーカー・ヨードフーズで営業職を勤める、しがないサラリーマンである。
菓子パンからスナックまで、売場補充のご用命は弊社まで是非どうぞ。
……などと仕事の心配をしている場合ではない。

そう、今の私は何の因果か頭のおかしな連中の企画した殺し合いに巻き込まれ、
大変に難儀しているのだった。
同じように集められた面子の中には稲葉十吉の名前もある。
他の面々は知らないが、もしかすると全員が名のあるヒットマンなのかもしれない。
最強ヒットマン決定戦、というわけだ。
まったく、実に迷惑な話だった。
おまけに支給された武器を見て、思わず嘆息したものである。
説明書には「九九式短小銃初期型」とあったが……話にならない。
九九式といえば第二次大戦の時代の銃だ。
木製ボルトアクション、装弾数はたったの五発。
ご丁寧に弾薬の追加はなし。
いくら私が腕に覚えのあるヒットマンだからといって、少しハンデがキツすぎるのではないだろうか。
などと厳重に抗議したいところではあったが、そもそも主催者の連絡先もお客様相談室の番号も知らない私には、
どうすることもできなかったのである。
そんなわけで、

「そう……そうだ、もう少し……」

私は今、カジノ街にあるとある高層建築の一室から、大通りを隔てたビルを見つめている。
先程まで何やら凄まじい音が響いていたカジノ街もすっかり静まり返り、ギラギラと輝くネオンサインが
古臭い円筒型の照星の向こうの人影を照らし出していた。

「来い……そっちじゃない、そう、いい子だ……」

人影が照準の中に完全に収まるまで、あとほんの僅か。
息詰まるような濃密な一瞬の後……私は、トリガーを引いた。


 † † † 


―――やあ、今晩もキマってるね。

ん? そんなことはないさ。いつも通り。

なら君は、いつだってキマってるってことだろ?

おいおいやめてくれよ、恥ずかしいじゃないか。その通りだけど。

さあ、もっと見せてくれよ。絶望の中でも輝きを失わないその美しさを、さ。


……

おっと、いかんいかん。
つい鏡に映った自分との会話に没頭してしまった。
悪い癖だな、まったく。
しかし、それにしても……憎いくらいの美貌だな、こいつめ。

右斜め45度、美しい。
さらさらスタイルの髪をかき上げてみる。美麗だ。
深い色の瞳を見つめてみた。吸い込まれそうになった。

……うん、今日も完璧だな。
こんな殺し合いの中でもカッコいいなんて、この美貌はもしかしたら相当スゴいんじゃないだろうか。

ん?
おっと、申し遅れまして。
僕は―――、

「……ユウイチロー、トイレまだー?」

幼い声が聞こえた。
僕を呼ぶ声だ。
いつまでも出てこない僕に痺れを切らしたらしい。

「今行くよ」

声をかけ、踵を返そうとして……鏡の前でくるりと一回転。
うん、見返り姿も隙がない。
満足してトイレから出ようと歩き出し、

「……最後にもう一度だけ見ておこう」

やっぱり鏡の中の自分にしばしの別れを告げようと、ポーズを決めながらターンした瞬間。

―――ちゅいん。ぱりん。

奇妙な音がして。
……何の音?
なんて思う間もなく、辺りが真っ暗闇に包まれた。


 † † † 


「外した……!? いや、かわしただと……!?」

驚愕のあまり、思わず声を漏らす。
そう、条件はそれほど良くない。
銃は大昔の骨董品で、スコープもない目視の狙撃。
距離は百数十メートルといったところ。
元々からして私の得意な得物は拳銃で、好きなスタイルは速射だ。
狙撃は不得手で自信がない。

しかし、しかしだ。
そういったプレッシャーを楽しみ、力に変えることも殺し屋の心得の一つだ。
この最強ヒットマン決定戦に招かれたことで私の心はいつになく昂ぶっている。
計算は完璧、練りに練った集中力で撃ち放った弾丸は間違いなくあの人影の頭をぶち抜き、
哀れな犠牲者は脳漿を撒き散らして私に悦楽を与える、はずだったのに。

それが何だというのだ、今の不可解な動きは。
完全に弾道を見切って回避してみせたとしか考えられない。
優雅とすらみえる回転から、フェイントを挟んでの美しい静止。
私の狙撃を見抜き、あえて姿を晒した上で発砲の瞬間にかわしてみせる……。
お前のやり口などお見通しだ、と言わんばかりの余裕に充ちた態度。
しかも跳弾すら計算に入れ、自分では手を動かすことすらなく照明を消させて闇に紛れるとは。
なんともはや、恐るべき相手である。

「……潮時だな」

私は即座に一時撤退を決意する。
相手が私の位置に感づいているのは間違いない以上、長居は禁物だった。
それにこのカジノ周辺は街路が入り組んでいて、狙撃に適したポイントは多くない。
これ以上は弾の無駄遣いだった。
なに、無理をすることはない。
堅実に、仕留められる敵を一人づつ仕留めていけばいい。
そいつらから武器を手に入れれば、より作戦の幅も広がるだろう。

私の名は三上。またの名を蜂の巣ジョニー。
犯罪組織『スーパーマーケット』に与する凄腕の殺し屋だ。
決して相手の力量に怖気づいたわけではない、あくまでも慎重派の男である。


 † † † 


ちゅいん。
ぱりん。

……何の音?
なんて思う間もなく、視界が真っ暗になる。

「わ、わわっ……!」

ぱらぱらと頭の上から降り注ぐのは……蛍光灯の破片!?
待て、待つんだ俺。落ち着いて考えよう。
まず妙な音がした。
何か硬いもの同士がぶつかって跳ね返るような、耳障りな金属音。
それから「ぱりん」……これはガラスの割れる音だ。
破片が降ってきたことを考えれば、割れたのは蛍光灯だろう。
ああ、だから真っ暗になったのか。
よく見れば外のネオンがトイレの中をぼんやりと照らしている。
薄暗い中で目を凝らすと、すぐ前に何か黒く丸いものがあった。
こんなもの、さっきはなかったよな……と思いながら手を伸ばす。

「熱っ!?」

痛みに近い感覚に、反射的に手を引っ込めた。
瞬間、指先に感じたのは……何か、孔のようなもの。
温めたオーブントースターの中に誤って触れたような熱。
熱をもった、孔……?
何か嫌な連想が脳裏をよぎる。

前提1、自分たちは今、殺し合いの真っ只中にいる。
前提2、殺し合いには武器が与えられる。
前提3、古来、武器といえば刃物と飛び道具。
前提4、妙な音と熱を持った孔。

これらの前提から導き出される回答は……!
さあっと血の気が引いていくのが、わかった。
も、もしかして……さっきのは……銃声……!?

「―――どうしたの、ユウイチロー!?」

奇妙な気配を感じたらしい。
外から声がして、扉が開かれようとする。

「来るな、マリィ!」

反射的に叫び返す。
目の前の弾痕から考えて、いや狭い男子トイレの中に他の人間がいない以上は考えるまでもなく、
撃たれたのは外からだった。
ちらりと目をやれば、そこには開け放たれた窓。あそこからか!
脳が指令を出すより早く、脊髄が足を動かす。
こうなると明かりが消えてくれていたのはラッキーだった。
外からではこちらの暗闇をうまく見通せないだろう。
そんな計算をしながら一気に扉を開け放ち、外に飛び出す。

「きゃ……!」

驚いたように目を見開く少女がそこにいた。
その浅黒い肌の手を取り、駆け出す。

「ど、どうしたの、ユウイチロー!?」
「いいから走れ! ここは危ない!」

言いながら辺りに目をやる。
ここは広めに取られた廊下。
豪華な内装がきらびやかな雰囲気を演出している。
さすがは高級カジノ……なんていってる場合じゃなかった。
蹴りつけるように大扉を開け、大ホールに出る。
様々な賭け事のテーブルが立ち並ぶ無人のホールの壁際を、無我夢中で走りぬけた。
むやみに複雑な構造をしたカジノの中、小さな部屋と廊下をいくつも通り、無数の扉を潜り抜け、ひたすらに走る。
息が切れ、眩暈がする。
背後から聞こえる息遣いも荒い。
走って、走って、走って、それが限界だった。
普段なら厳重なセキュリティに守られているであろうVIPルームらしき場所に駆け込み、分厚い扉を閉める。
後ろ手に鍵をかけて、その場に倒れこんだ。

「ぜっ……はぁ……っ、」

肺をフル稼働させて酸素を取り込もうとした途端、横腹が痙攣して、げほげほと噎せてしまう。
ふかふかの赤い絨毯の上で寝そべったまま咳き込んでいると、背中に温かい感触。
優しく背中をさすってくれる、それは小さな手だった。

「げほ、はぁ……ふぅ……、あ、ありがとう、マリィ……」
「大丈夫? ユウイチロー」

心配そうに覗き込んでくる少女の名はマリィ。
僕と同じようにこの殺し合いに巻き込まれてしまった幼い少女だった。
浅黒い肌に緑がかった瞳、短く切りそろえた髪は赤い。
年の頃はまだ十になるかならないか、といったところだろうか。
息苦しさに涙の滲んだ目を擦っていると、マリィがくすりと笑った。
彼女自身はといえば、もうけろりとしている。
これが若さの差かなあ、と少し悲しくなってしまった。

「はぁ……こ、ここなら……しばらくは、平気だろ……」

特に根拠はない。
外に出たら銃を持った奴に待ち伏せされているのではないかという恐怖と、鍵の掛かった分厚い扉の安心感、
それから主に僕自身の肉体的な限界と根性という三者会談の、妥協の産物だった。
必死で息を整えていると、マリィがぽつりと呟いた。

「ユウイチロー、もしかして悪者と戦ってたの……?」
「え……、いや……逃げてきただけさ……。情けない話だけど、ね」
「そう……」

悲しげに目を伏せるマリィ。
ああ、僕に颯爽と悪漢を退治できる力があれば、こんな顔はさせないのに。

「あたしの武器がちゃんとしたのだったら、ユウイチローも悪者をやっつけられるのにね……」
「そ、そんなことないさ」

しょんぼりとした様子で呟くマリィに、思わず口を開いてしまう。
もしもこの場に銃やナイフがあったって、悪漢と戦って生き残る自信なんてこれっぽっちもなかったけれど。

「俺の支給品には武器になるようなものはなかったけど……マリィのほら、それ」

と、バッグの中から顔を覗かせている容器を指さす。

「……カビ取り洗剤?」
「そう、それ」
「思いっきりハズレだよね……悪者にかけたら目は痛いかもしれないけど」
「いや、それだって使いよう次第なんだぞ」

え? と不思議そうに首をかしげるマリィに向かって、ちっちっちと指を振る。
何だかこうしてると授業をしてるみたいだな。
そんな風に思ったら自然と背筋も伸びてきた。
小田桐先生のぷち化学講座だ。

「混ぜるな危険……って知らないか? ……知らないよな、外人だもんな」

見るからに日本人ではないマリィ。
聞けばジャングルから来たと言っていた。
ジャングルは国じゃないだろう……とツッコミを入れそうになったけど、小さな子にとっては
自分の周りの世界なんてそんなものなのかとも思えたし、それにもしかしたらマリィの育った国は
ちゃんとした教育を受けられない環境だったのかもしれない。
そんな風に思って、それ以上の追求はやめておいた。

……そういえば、どうして日本語が通じているんだろう。
まあ、突然集められて殺し合いをしろ、勝ち残れば願いを何でも叶えてやる、なんていうのが
そもそもメルヘンかファンタジーの世界だ。
今更気にするほどのことでもないのかもしれなかった。
ともあれ、授業を再開する。

「それはな、使い方を間違えるとすごく危ないんだ。
 塩素ガスっていう毒ガスが出てくるんだよ」
「毒ガス……?」
「そう、濃いのを吸うと死ぬこともある危ないガスだ。
 そのタイプだと……その辺のトイレにある液体石鹸と混ぜただけでもヤバいな」
「そ、そうなんだ……。なんだか怖いね」
「ああ、怖いな。だけど使い方によっては悪い奴から身を守ることもできる。
 どんなものでも立派な武器になるってことさ。他にも―――」

調子に乗って、化学知識をひけらかしていく。
身の回りにあるもので意外な化学反応が起こせること、危険だったり便利だったりする、色々なこと。
小学校も出ていないような子供には難しいだろうことまで、ペラペラと口をついて出るままに話した。
こんなに楽しい授業は久しぶりだ、と思う。
言うまでもなくこれは、僕なりの現実逃避だった。
いつもの日常を演じることで、殺し合いなんて馬鹿げた現実を忘れたかったのだ。

「―――なんてこともできるんだ。すごいだろ?」
「そうね、すごい!」

目をキラキラさせて聞き入るマリィもまた、僕と同じように考えていたのだと思う。
ガキ大将が自慢げに語る武勇伝みたいな僕の授業を、時に笑い、時に不安げな顔で頷いて、
しばらくそんな時間が流れていた。

「……ふぅ、ちょっと喋りすぎちゃったかな。ゴメンなマリィ、眠くないか?」

気がつけば時計の針が指していたのはもう真夜中を遥かに過ぎて、夜明けの方が近いような時間。
いかに緊張を強いられる環境とはいえ、子供が起きていられるにも限界があるだろう。
だけどマリィはそんな僕の心配をよそに微笑む。

「ううん、あたしは大丈夫。ユウイチローこそ、そんなに喋ったら喉かわいちゃったでしょう?
 ……はい、お水どうぞ」

ごそごそと、わざわざ自分のバックの中から取り出した水を差し出してくれた。

「サンキュ」

笑顔と共に渡されたペットボトルのキャップを捻る。
ごくり、とひりつく喉を通る感触が心地いい。
この分の水は後で俺の支給分から返してあげないとな。

「おいしい?」

少し頬を染めながらそんな風に聞いてくるマリィに頷き返す。
ああ、うちのクラスの連中もこれくらい可愛げがあればなあ。
ごくり。

……そういえばあいつら、どうしてるだろう。
怖い思いとか、してないといいけどな。
って、殺し合いに巻き込まれて怖くないってことはないか。
まともなヤツに出会えてればいいけどな。
誰もいなけりゃ、やっぱり俺が守ってやらなきゃダメだろうな。
あいつら……バカ、だし……な。

「って、あ……あれ……?」

気がつけば、ぐにゃり、と視界が歪んでいた。

ひ、と息が詰まる。
呼吸ができない。
酸素を、取り込めない。

目の前が、急に暗くなっていく。
苦しい。苦しい。苦しい。

どうして、何が、どう、
断片的になっていく思考の中で、一つの可能性に、思い至る。

……まさ、か……。
霞む視界の中で、手の中のペットボトルを、ひっくり返す。

水。
水だ。
これしか、考えられない。

「ユウイチロー!? ユウイチロー!」

耳元でマリィの声が聞こえる。
聞こえるけど、だんだん遠くなっていく。

「ま、マリィ……」

もう息も吸えない僕が声を出せたのは、奇跡だったのかもしれない。
肺の中に残った最後の酸素を使って、
最後の奇跡を、僕は、

「これ、飲んじゃ……、ダメ……だ……」

意識が。
暗く、なって

 † † † 


「……あーあ、せっかくのお水だったのに」

動かなくなったユウイチローの手からペットボトルを取り返そうと、あたしは力を込める。
がっちり掴んで放さないその指を一本づつ両手で剥がして、ようやく取り戻したその中身を見て、
あたしは大きなため息をつく。
もう半分も残ってないじゃない。
ユウイチローには内緒にしていた、あたしのもう一つの支給品。
それが、このお水だった。

見た目は飲むために配られたお水のボトルと同じ。
だけど中身は、よくわからないけどすごい猛毒だって、説明書には書いてあった。

「うーん……触るのも怖いしなあ……」

かき集めて戻すのはやめとこう。
あきらめて、ユウイチローの荷物に手を伸ばす。
武器はないって言っていたけど、本当かしら?

ごそごそ。
……本当に、武器みたいなものは何も入ってなかった。
しょうがないからお水と食べ物だけをあたしの荷物に移す。

「ん? これ……何だろ」

バッグの底に、何か硬いものがある。
取り出してみたら、それは丸い、針のない時計とテレビの相の子みたいな……。
あ、説明書もついてる。

「……どらごんれーだー?」

へえ。
あの黒服の人が言ってた、ドラゴンボールっていうのの場所がわかる道具みたい。
これももらってくね、ユウイチロー。
最後にユウイチローの目を閉じてあげる。
まだあったかいのがちょっと気持ち悪かったけど、色んなことを教えてくれたお礼。
本当ならほっぺにキスもしてあげたかったけど、毒入りのお水がついてたら嫌だしね。

そっとユウイチローに手を振って、扉の鍵を開ける。
少しだけ隙間を開けて覗いたけど、誰もいないみたい。
うん、大丈夫。
しーんとした廊下を、あたしは元気に歩き出していた。

―――あたしはマリィ。花も恥らうお年頃。
絶対に、絶対に、何がなんでも生き残って、大好きなハレのところに帰るんだから!
……って心に誓う、恋する可愛い女の子!


 † † † 


しんと静まり返るカジノの奥、開け放たれた扉の向こう。
静寂に支配されたその豪華な部屋の床に、一人の男が倒れている。

彼の名は小田桐雄一郎。
その最期の瞬間まで目の前の少女を疑うことなく、その身を案じて生涯を閉じた一教師である。


 † † † 



【小田桐雄一郎@女子高生 死亡】
【残り39人】



【D-4 カジノ/一日目 黎明】

【名前】マリィ@ジャングルはいつもハレのちグゥ
【状態】健康
【持ち物】ディパック(基本支給品一式・水と食料が二人分)、ドラゴンレーダー、カビ取り洗剤、
       超神水@ドラゴンボール(残量1/3程度)
【思考】0:優勝してハレの元に帰る。
1:ドラゴンレーダーを使って次の庇護者(獲物)を捜す。
【備考】参戦時期は後続の書き手氏にお任せします。


【名前】蜂の巣ジョニー@今日からヒットマン
【状態】健康
【装備】九九式短小銃初期型(残弾4/5)
【持ち物】ディパック(基本支給品一式、不明ランダム支給品0〜2)
【思考】0:優勝する。
1:狙いやすい獲物を捜す。
【備考】十吉の正体を知ってから決闘に赴くまでの間からの参戦です。



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