ダークサイドオブザムーン
「ちぃ、随分と適当な男だったな」
月が空に輝く闇夜、深淵より来たりし金色の少女がゆっくりと歩を進める。
踏み締めるは夜露にしっとりと濡れ、ほのかな草の匂いを放つ草の大地だ。
少女は不機嫌だった。
唐突にこのような催しに強制参加させられた事もそうであるし、殺し合う事を求められ、剣闘士のような低俗な扱いをされている事にも腹が立つ。
「偉そうにふんぞり返りおって……一切の魔力も持たないただの優男ではないか。
そんな者が私に首輪を付け、使役したというのか」
黄金の月は煌々と少女を照らしていた。
満月――それは『とある種族』に対して絶対的な力を与える。
古来より月の満ち欠けは多種多様な魔術の根本を成す要素として研究が進められて来た。
純粋なる黒魔術からカバラの秘術、クトゥルー、神道、陰陽道など。
太陽の光を反射し、地球の衛星として魔性なる輝きを放つその天体は信仰の対象にまで昇華されている。
「とはいえ……、」
月の光と強い関係性を持つアヤカシといえば、二種類の大妖が思い浮かぶ。
一つはウェアウルフ。
普段は人間の姿をしているが、月光を浴びる事で彼らは本来の野生に目覚め狼へと変身する。
月の力が何よりも反映される妖怪であり、光が満ちれば満ちるほど力を増していく。
そしてもう一つ、厳密には月ではなく「夜」をテリトリーにする存在。
「速」の大妖怪として知られるウェアフルフと並び恐れられる圧倒的な「力」を秘めた闇の眷族。
「麻帆良学園の外……登校地獄の呪いの範囲外か。
まさか、またジジイがセッセと書類に判子を押し続けているのか?
殺し合い……加えて、満月……吸血鬼たる私にとって最高の環境ではあるが……」
綺麗に切り揃えた金色のロングストレート。青色の瞳。
一見、漆黒の衣装に身を包んだ百三十センチ程度の身長しかない小柄な少女に見える。
が、少女が生まれたのは十四世紀、十五世紀にイングランド・フランス間で起こった百年戦争の最中だった。
実年齢にして六百以上の齢を重ねた正真正銘の人ならざるモノ。
溢れんばかりの魔力と狡猾な理性、力と知性を兼ね揃えた破壊の化身。
少女の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、そして――ヴァンパイアだった。
「明らかに、出来過ぎだな」
エヴァは銀色の首輪の感触を指先で確かめながら独りごちた。
ある程度の良識を兼ね揃えた者にとって、この誂えたような環境の良さに対する不信感を拭い去る事は不可能だろう。
エヴァに関して言うならば、彼女は「闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)」という歴戦最強の魔法使いである。
本来、彼女は参加者の一人であるネギ・スプリングフィールドの実父であるナギ・スプリングフィールドの掛けた「登校地獄」という魔法で大幅に能力を制限されている。
が、どうやらこの地においては登校地獄の呪いは彼女を蝕んではいないようなのだ。
特別な魔術的干渉なしにこうやってエヴァが出歩けている点が何よりの証拠。
もちろん、新たにシェンロンが施した枷によって能力を制限されてはい
(面倒だが、「ドラゴンボール」とやらを探すのがひとまずの目標か。とはいえ、一筋縄ではいかんだろうな)
「ドラゴンボール」はかなり強力な交渉材料となるだろう。
あの男の言い分では会場にばら撒かれているモノと支給品として紛れ込んでいるモノが合計六個存在する事になる。
しかし、
(この『支給品として支給されるドラゴンボール』とやらはかなりの曲者だな)
エヴァ達は須らく基本支給品と、それぞれ個別の支給品を与えられていた。
ここで浮上する問題が『個別支給品はどうやって選ばれるのか』という点だ。
殺し合いの開始時点でドラゴンボールを支給された参加者は明らかなアドバンテージを握った事になる。
加えて最初の説明の際に黒服の男が行っていた台詞が、この仮説にある程度の信憑性を与える。
それが、『反則は一切ない……あッ……力を持たないものも落ち込まなくていい。その辺も考慮して僕は支給品と首輪にも、かなり手を加えている』という一節だ。
(力量の差をある程度均等にしようとは考えている筈……実際、私とぼーやにしても相当な差があるのだからな)
つまり魔力や気の力を持たない一般人には銃器や特殊な道具を支給し、実力者にはハズレを引かせる。
このような計らいが行われれば力は伯仲し、強者による一方的な搾取が行われる可能性は減少する。公平性が増す。
「が、今こうして私の手の中に一つ目のドラゴンボールがある――さて、奴らは何を考えている?」
エヴァはソフトボールのようにオレンジ色の球を掌で弄びながら溜息をついた。
琥珀のような輝きを持った球体の中に存在する星の数は三つ。三星球だった。
(そんなに私に他の人間どもを殺し回って欲しいのか?
くくく、だーれがそんな思惑になど乗ってやるものか。さっさとぼーやを探してこんな場所からは……)
ひとまず、エヴァには他の人間を襲う意志は存在しない。
環境は明らかに『エヴァンジェリンが戦い易いように』揃えられてはいる。
さっそくドラゴンボールも与えられ、幸先は上々だ。
魔法も十分に使えるだろう。飛行の高度や幾つかの能力に制限が掛かっているようだが、魔術戦闘に支障はない。
が、エヴァの本心としてはひとまず首輪を何とかしたいという気持ちの方が強かった。
確かに目障りな人間がいれば殺したり、血を吸って僕にしてしまうのは悪くない選択だ。
だが無差別に人間を殺しまくるのはどうも、連中の掌の上で踊っているようで気持ちよくない。
力の総量自体にも制限が掛かっている可能性が高い以上、能力の無駄な消費を抑えるために目立った行動は控えた方がいいだろう。
「ホハハハハハハハハハハハハハッ! やはり、オレは運が良いようだ!」
その時、エヴァの後方から妙な笑い声が響いた。
夜闇を切り裂くような大きな声に怪訝な顔付きでエヴァは振り向く。
「まさかこんなにもすぐに一つ目のドラゴンボールが見つかるとはな!」
「……誰だオマエは」
エヴァの数メートル後方、そこには鳥の頭と人間の身体を持った男が立っていた。
鳥といってもスズメやニワトリではない。
多分これはインコか何かではないだろうか。
外見はインコの頭を持った正装の人間だ。しかしその身体から放つ気配は禍々しく、周囲の空気が集束を始める。
「オレの名前は人間願望(アニマ)のホルト! そのドラゴンボールはオレが頂く」
「フン、鳥の死霊か。これまた悪趣味な家畜もいるものだな」
「ホハハハハ、言ってくれるなチビ女! 人間願望のオレをそこらの陰魄共と同じ扱いをするとは」
「チビ女……? おい、そこの鳥頭。この闇の福音に向けて"チビ"だと? 訂正しろ。私は今気が立っているんだ」
エヴァは高笑いするホルトをうんざりした視線で射抜くと不機嫌な感情を露にする。
カチン、と来た。なにしろ相手は鳥である。
どんなに紳士的な佇まいでいようとも羽毛に覆われた頭部を持つ鳥類だ。
そんな人ですらない存在に馬鹿にされる――それは何という屈辱だろうか。
初対面とはいえ、この鳥が明らかに殺し合いを躊躇する感情を持たない部類の参加者である事は理解出来る。
エヴァはホルトが明らかに『人間以外の存在』である事を悟った。
おそらくは霊的な――そう、悪霊の一種であろう。
特筆するべき点があるとすれば、ホルトはその魂魄は明らかに霊的なものであるのに受肉しているという部分か。
これもシェンロンの力とという奴なのだろうか。
「何を言っている。チビにチビと言ってどんな問題がある?」
「……くくく、どうやら本格的に死にたいようだな。この時ばかりは私が氷と闇の魔法使いである事を後悔したよ」
「ホハッ?」
ホルトが独特の鳴き声でエヴァンジェリンに聞き返す。
黒い夜。月と星が空を飾り、生い茂る木々は吹き荒ぶ風に揺れて梢を擦り合わせる。
世界に風が満ちる。
ホルトの身体に宿るのは全てを切り裂き、押し潰す突風。
鋭い眼光で目の前の獲物を睨みつけ、野生と人間願望の力で蹂躙せんとす忌まわしき力だ。
「オマエをヤキトリにして食ってやる事が出来なくて残念だと言っているんだ」
「ほう、ふざけた口を利くものだ。脆弱な人間風情が私に勝てるとでも思っているのか?」
「思っているさ。リク・ラク ラ・ラック ライラック――」
「なん……だと?」
スッと右手を天に翳し、エヴァは瞳を閉じる。
始動キーの詠唱によって、基礎レベル以上の魔術の行使が可能になる。
暗闇の中、一瞬でマイナスへと到る冷気が彼女の掌に集められる。
エヴァンジェリンの得意とする魔法は氷と闇。特に空気中の水分を急速に冷却し、攻撃する氷の魔法は大の得意だった。
「見せてやるよ、魔法使いの戦い方という奴をな!」
▽
(おいおい……何なのかねぇ、アレは)
逆立てた銀髪に濃い眉、腫れぼったい唇の痩せ型の男が思わず苦笑いを浮かべる。
身に纏った上等のスーツは冷や汗で濡れる。
漆黒の世界の中で繰り広げられる「戦い」はまさに彼の想像を超えるモノだった。
(魔法って、北斗神拳の世界にだってそんなモンなかったじゃない。
飛んでるし、ズバズバ木とか切ってるし。いやいや、『アイツ』もスゲェ連中呼んで来たもんだよ)
男の名は斑目貘。エヴァとは違う意味で闇の世界に身を置く最強のギャンブラーの一人だ。
だが男の属する世界はあくまで力と肉体が全てを支配する暴力の海だ。
故に、超常的な力――魔術や魄――といったモノとは当然のように馴染みがない。
見せしめとして殺された禿頭の少年の見せた神風のような動きはともかくとして、目の前で展開される能力戦闘には眼を剥かざる得なかった。
(まーいいや。とりあえず、しばらくは様子見……っと。
あーでもあのおチビちゃんドラゴンボール持ってんだよなぁ)
▽
「リク・ラク ラ・ラック ライラック」
エヴァンジェリンが黒のマントを棚引かせ、空中を滑空しながら呪文の詠唱を始める。
「『氷の精霊十七頭!!(セプテンデキム・スピリトゥス グラキアーレス)』――『魔法の射手(サギタ・マギカ) 連弾(セリエス)・氷の十七矢(グラキアーリス)!!』」
呪文と共にエヴァンジェリンの掌から放たれたのは氷の弾丸。
魔法の射手――炎、氷、雷、光、闇とあらゆる属性において一般的に使用されている、彼女の世界における基礎的な攻撃魔法だ。
しかし歴戦最強の魔法使いとも称されるエヴァンジェリンが使用すれば魔法の射手といえど相当な破壊力を持つ事となる。
「どうした鳥頭!? 逃げているだけでは勝負にならんぞ!」
「ほざけ、チビ女がッ! っ……チッ!! 疾風(アクセル)!!」
戦闘が開始されてから数分、当然ホルトも目の前の少女が只者ではない事は理解していた。
故に疾風(アクセル)――超速移動によって飛来する攻撃への回避運動に移る。
一瞬で数十メートルの間合いを詰める事も可能な疾風の速度はかなりのものだ。
ある程度の追尾能力を持っている魔法の射手といえど、一撃でホルトを射止める事は不可能だ。
発射された氷弾が樹木を貫通し、大地に穴を空け、枝葉を散らせる。
十七発中の大半がホルトの身体には掠りすらせず、魔弾としての役割を終える。
しかし、その内の何本かはホーミングミサイルのようにホルトを捉えていた。しかし、
「瓢風(ヒョウ)ッ!!」
ホルトの掌から放たれた凄まじい烈風が飛来した残りの氷の矢を吹き飛ばす。
人間願望としてホルトが持つ風の陰魄の力も当然、並大抵のモノではない。
加えてここは彼がガクに遅れを取った下水道のような密閉された場所ではなく屋外。高機動能力と高い運動性を生かす事が出来る。
「フン、露払い程度の力はあるか」
「予め、言っておこうか。オレは女やガキであろうと容赦はしない」
「ほぉ? 言ってくれるじゃないか悪霊風情が」
「聞け、チビ女よ。今から左(レフト)でキサマを殴る。避けるか防ぐか、好きにしろ」
「くくく……笑えんなぁ、つまらん冗談だ」
衝撃波で氷柱を全て破壊したホルトが不敵な笑みを浮かべた。
鳥頭の無機質な瞳がエヴァンジェリンを睨めつける。
吸血鬼の少女が蝙蝠のマントを風に揺らし、クツクツと笑った。
「フッ……キサマのスピードは見せて貰った――ハナシにならんッ!!
疾風(アクセル)!! 太刀風(タチ)ッ!!」
風が遊び、突風が木々を震わせる。
大地を蹴り、最高速まで加速したホルトの疾風は空気の振動波となり静穏な森を揺らす。
宣言通りの一撃、ホルトはエヴァに向けて神速の抜き手攻撃――太刀風を放る。
「ッ――キサマ……ッ!」
忌々しげにエヴァンジェリンが声を震わせる。
駆け抜ける弾丸と化したホルトの一撃が宙のエヴァに完璧に命中した。
まさかここまでの速さでホルトが攻撃出来るとはエヴァも思っていなかったのだろう。
完全に虚を突かれた形になる。しかし、エヴァとて歴戦の魔法使いだ。
当然のように防御魔法――『氷楯(レフレクシオー)』が展開されており、一撃で撃墜される訳もない。
しかし、制限によって能力が減少している氷楯はホルトの太刀風を受け、僅かながらに崩れる。
本来は衝撃を百パーセント受け止める事も可能な筈の堅牢は崩れ、エヴァの身体が切り裂かれる。
カマイタチのような斬撃でエヴァの白く絹の布のような手足や頬に細かな傷が刻まれる。
「来い。どちらが上に立つ者か教えてやる」
空中で方向転換し、両の足で地面を踏み締めたホルトが、エヴァに手招きをする。
疾風と瓢風、そして太刀風といった技はホルトの基本的な攻撃パターンだ。
彼は本来、疾風による高速移動と太刀風を用いた一撃離脱戦法を得意としている。
しかし、闇夜を舞うエヴァンジェリンも機動力ではかなりのモノであると彼は読んでいた。
故に瓢風を基軸とした牽制を挟み、相手の様子を見ていた訳だ。
飛行自体は可能だが、ホルトの背中には未だに翼は生えていない。
魂殻変化によって最大の力を発揮する事、『風陣』の使用を彼はいまだ考えていなかった。
しかし、その慢心、いや、出し渋りこそが彼の一つ目の失態となる。
ホルトが再度、エヴァの姿を確認するために上空を見上げた時、異変が起きた。
「バカが――」
突如、彼の『背後』から鈴の鳴るような少女の声が響いた。
消えている、闇夜に月を背負い飛翔していた少女がホルトの視界から忽然と姿を消失させていた。
「なッ……!?」
ホルトの背中が寒気立ち、悪寒のようなモノが神経を駆け抜ける。
ここで呆然としてしまわずに、すぐさま振り向こうと身体を捩ったまでは、さすが人間願望の誇り高き戦士と言えただろう。
しかし、それは一瞬の空気の読み違い、気の緩みだった。
「リク・ラク ラ・ラック ライラック」
空気中の水分がエヴァの呼びかけに応じて凝固し、彼女の右手に集められる。
水蒸気の急速な凝固によって周囲の温度に変化が生じ、世界は凍結へと到る。
振り下ろすは神の鉄槌。裁きを与える荒々しき暴力の渦。
「『氷神の戦鎚(マレウス・アクィローニス)』」
背後からホルトに叩き付けられる凄まじいまでの衝撃が襲った。
下手人はもちろん、小さき闇の魔女。
氷神の戦鎚――エヴァンジェリンが冷気を片手に集約させ、瞬時に作り上げた氷のハンマーが彼の後頭部をしたたかに打ち付けたのだ。
「ガァアアアアアアアッ!!」
ホルトはその破壊力に耐え切れず、弾き飛ばされる。
数度、地面に身体をぶつけながら横転し、一本の樹木に背中を叩きつけられた時点でようやく動作が停止する。
「私は闇の眷族である吸血鬼だ。『影』はすなわち、私の領域。『夜』は私の庭だよ。鳥頭よ、調子に乗り過ぎたな」
エヴァンジェリンが頬の血を拭いながら一歩、また一歩と巨大な針葉樹に背中を預け倒れたホルトに歩み寄る。
空を飛んでいた彼女が急に姿を晦まし、ホルトの背後に出現したカラクリは非常に単純なモノだ。
つまり――移送転移の魔法(ゲート)を使用したのだ。
今宵は満月、そして深い夜の闇が空を覆っている。吸血鬼であるエヴァを億千万漆黒の魔素が後押しする。
「さて、私としてはこれ以上無駄な魔力を使いたくない所なんだが……まだやるつもりか?」
「…………聞くまでもあるまい」
「愚問だったか。まぁいい、せいぜい私を愉しませてくれよ?」
肩で息をしながらホルトが立ち上がる。
氷神の戦鎚の直撃を受け、既に彼の身体はボロボロだ。
しかし、ホルトは決して膝を折るつもりはなかった。
目の前の障害を排除し、ドラゴンボールを手に入れ、そして――再びの生を獲得する。
蘇生こそ人間に憧れ、陰魄となってまで現世に漂い続けた彼らのある種の悲願とも言えるだろう。
ありとあらゆる負の感情がホルト達人間願望を悪霊としての偽りの生に結び付けている。
「……オレはキサマを倒し、より高みへと羽ばたく」
「フッ……崇高な願いだな鳥頭。良いだろう、私がその希望を全力で踏み躙ってやるよ」
エヴァとホルトの視線が交錯する。
少女の口元には自信の力に対する絶対的な評価と目の前の相手に対する蹂躙の意志。
男の口元には人間願望としてのプライドと遥か遠き祈り。
刹那――唇を開き、大きく息を吸い込む呼吸の音が宵闇に溶けた。
「魂殻変化――風陣ッ!! 超高速(フルアクセル)ッ!!! 瞬禍太刀風ッッ!!!」
「『闇の精霊、二十九柱(スピーリトゥス・オグスクーリー)』――『魔法の射手(サギタ・マギカ)!! 連弾(セリエス)・闇の二十九矢(オブスクーリー)!!』」
エヴァの正面に展開した魔法陣から放たれる二十九発の黒い汚泥のような弾幕に、ホルトは身一つで突貫する。
死に体のホルトの背中から二本の翼が出現する。
これこそ『魂殻変化』という陰魄が総じて持つ、本来の力を引き出すための奥の手だ。
風を集め、風を帯び、そしてホルトは風になる。
瞬禍太刀風――最高速から放たれる極限まで高めた太刀風でもって、彼は目の前の魔法使いへと挑む。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
空を翔る感覚は、陰魄に身を窶した今となっても変わらない。
風を切る翼と空気の壁を突破する時の一種の高揚感は彼に愉悦をもたらしてくれる。
一度命を落としたはずの自身が肉体を得ている不思議。
このような催しに自分だけが呼ばれた不思議。
同じ人間願望の連中は何をしているのか。バオ、コモン、ハセ――
様々な雑念がホルトの脳裏を走馬灯のように駆け巡った。
だが、気が付けばそんな戦いとは関係のない意識は彼の脳裏から消え失せていた。
闘争に身を沈め、その先にある淡い未来を掴むためホルトは空を駆ける。
「とどけェエエエエエエエッ!!」
夜の闇よりも淀み、澱に満ちた漆黒の弾丸がホルトに迫る。
風は薙ぎ、暗黒に蝕まれる身体を庇う余裕もなく。
――闇と風が真正面から激突した。
▽
「フン、こんなものか」
エヴァンジェリンは肩を竦め、小さく溜息をついた。
結論を述べれば、彼女は突如襲い掛かってきた鳥頭の悪霊を見事に返り討ちにした。
魔法の矢や氷神の戦鎚など、魔力消費の低い魔法を中心に戦ったがやはり自身に掛けられた制限は生きているようだった。
(登校地獄ほどではないが、飛行の高度や魔法の破壊力に制限が掛かっているな。傷の治りも遅い。
満月と夜でコレでは……日中はある程度の節制を心掛けねばな)
「――キサマ」
「ん……? なんだまだ息があったのか」
すぐ傍で仰向けに倒れているホルトをうんざりとした風に一瞥した。
絶好の条件が揃ったエヴァンジェリンと、不意を突かれ痛手を負ったホルトの間では多大な戦力差は隠し切れなかった。
最強の必殺技である「瞬禍太刀風」も、エヴァの「氷楯」に触れる前にホルト自身が闇に呑まれてしまってはその切れ味を発揮する事も出来ない。
「名前を……名を名乗れ……!」
息も絶え絶え、という風貌のホルトが吐き出すような声でそう呟いた。
「おいおい。オマエ面白い事を言うな」
「ホハハハハハッ……ヒトの戦いというものはもっとスマートなものだろう。
自分を倒した相手の名前ぐらい……知っておきたいものだ」
「……フゥン、そんなものか。……とはいえ、そうだな」
彼が何を考えているのか、エヴァンジェリンにはまるで理解出来なかった。
戦士としての矜持だとか、プライドといったモノに彼女はまるで共感を持った覚えがない。
彼女の周りにはネギ・スプリングフィールドや神楽坂明日菜など、何人もの不思議な人間がいる。
彼らと同じく、ホルトが何を考えているのかまるで意味が分からない。
それがエヴァ自身が吸血鬼であり、「禍音の使徒」などと呼ばれる悪人だからなのだろうか。
疑問の終着点も解決策もまるで見出せない。
「私はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』などと呼ぶ奴もいるな。
それにキサマは私を『ヒト』などと称したがとんでもない。私は――」
血塗れで虫の息状態の戦士に掛ける言葉などエヴァは持っていない。
ただ降り掛かった火の粉を払った。それだけの事だ。
慈悲も感慨も同情も共感も一切存在しない。だから、
「吸血鬼。そして――ただの、悪い魔法使いさ」
エヴァは淡々と事実を述べるだけだ。
今更一つ命を奪ったくらいで彼女の心に変化が訪れる事など在り得ない。
生命の終焉を記憶に刻み込む訳でもなく、ありふれた日常の一ページのように嚥下する。
ただソレだけが「悪い魔法使い」であるエヴァに出来る事だった。
「……チッ。何だ、返事もせずに逝ってしまったか。最後まで礼儀知らずの鳥だったな」
エヴァは興味をなくした玩具を見るような眼で最後に一度、濁ったガラス球のような輝きを放つホルトの瞳を眺めた。
が、それも束の間、荷物だけを回収すると脇目も振らず歩き出す。
少女は振り返らない。
死者への手向けも、人殺しに対する罪悪感もこの場では綺麗なだけのガラクタの理論だ。
命のやり取りが行われ、その結果、一つの意志が完全に消滅した。
その事実だけがひんやりとした空気の中に佇んでいる。
それが、全てだった。
何かが始まる訳でもなく、何かが終わる訳でもない。
現実と一つの冷たくなった死体だけが転がっている。
闇の淵で月だけが世界を照らしていた。
【ホルト@みえるひと 死亡】
【残り40人】
▽
(あーらら、おっかないねぇ)
戦いの唯一の観戦者である貘は思わず口笛を吹いてしまいそうになるのを我慢した。
(ものスゲーおチビちゃんだわ。同じ舞台に立つのすら遠慮したい気分だねぇ)
ポケットから彼の支給品だった『かり梅(箱入り)』を一つ取り出して口に含む。
もちろん、貘には戦闘能力などこれっぽちもない。
少しだけ走っただけで息は切れてしまうし、筋力などもなく、武道の経験もない。
彼の力が発揮されるのは主に頭脳戦であり、格闘戦などのバトルは彼がもっとも苦手とする分野だった。
――カリッ
(とにかく、ああいうのがいる中でドラゴンボールを集めろって事ね。シンドイなぁ、うん)
が、催しが開始して早々に貘が超常的な力と接触を持つ事が出来たのは非常に大きかったと言えるだろう。
事実、既に彼は「魔法」や「魄」と言った特殊な力の存在を素直に認めてしまった。
――カリッ
『そんな人間もいるだろう』くらいの認識で、ショットグラスのウィスキーを飲み干すかのように嚥下した。
既に嘘喰い――斑目貘はこの『バトルロワイアル』の場に適応しつつあった。
「ま、何とかなんでしょ。せっかく『オヤカタサマ』が権利くれるって言うんだから貰っとかないとね……んで屋形越え、と」
「――ふん、意外と余裕があるのだな。さっきの鳥以上に何の変哲もない普通の人間に見えるが」
「え゛っ!?」
崖の上から魔法使いと陰魄の戦いを見下ろしていた貘に『背後』から話し掛ける影が一つ。
それは可憐な、それでいて強い重圧を含んだ悪魔のように蠱惑的な響きだった。
――カリッ
かり梅を一つ、完食した貘はおそるおそる振り向く。
「見物料は高く付くぞ? キサマはどうやら色々知っている事もあるようだしな」
金色のサラサラの髪を闇夜に棚引かせる美しい少女が口元をニンマリとさせながら佇んでいた。
「……お嬢ちゃん。夜道の一人歩きは危険だってパパとママから教わらなかった?」
「今の戦いを見てその口が叩けるのなら大したものだよ」
が、貘は少女の持つ「暴力」に怯む事はなかった。
サラサラの金髪が風に吹かれてふわり、と舞う。
気付かぬうちに背後を取られていた――その事実さえ、貘には何の問題にも感じられない。
「いやいや、お嬢ちゃんこそさ。俺を評価してくれるんなら、他にする事あるんじゃないかな」
「……他に?」
「そう。やめるなら今の内だよ。俺に……」
眉を顰めたエヴァンジェリンとは対照的に、貘は唇の形を歪めながら呟いた。
眼光は鋭く、臆する事はなく、神の頭脳と悪魔の冷徹さを持ち合わせた男――斑目貘。
ありとあらゆる「嘘(ブラフ)」を看破し、蹂躙する様を称して人は彼をこう呼んだ。
「――喰われる前に」
「暴」を纏い、嘘を喰い散らかすモノ、「嘘喰い」と。
【E−2 崖/一日目 深夜】
【名前】斑目貘@嘘喰い
【状態】健康
【持ち物】かり梅@嘘喰いx49、ディパック(基本支給品一式、不明ランダム支給品0〜2)
【思考】
1:ドラゴンボールを集め、最終的に屋形越えを果たす。
2:この場を切り抜ける。
3:マルコ、夜行との接触。
※最低でも廃坑編終了後からの参戦。
※エヴァとホルトの戦いを見てはいましたが、会話は聞こえていません。
【名前】エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル@魔法先生ネギま!
【状態】全身に多少の擦り傷(自然治癒中)、魔力消費20%
【持ち物】三星球@ドラゴンボール、ディパック(基本支給品一式x2、不明ランダム支給品2〜5)
【思考】
1:現状、殺し合いに乗るつもりはない。邪魔者は排除。
2:目の前の男を詰問する。
3:ネギ、刀子との接触。フェイトは警戒。
※参戦時期は未定。
前話
目次
次話