ふたり






「にゃ〜」

見上げる。
いっぱいに見上げて、背中まで反らしても、まだ届かない。

「でっかいネー……」

小川育恵が見上げているのは、巨漢である。
並大抵のそれではない。
着崩したスーツの上からでも分かるほどに張り詰めた筋肉。
プロレスラー、格闘家、あるいはヤクザや用心棒。
およそ暴力を生業にする人間にもそう見られない体躯は、最早獣じみていると言っていい。
隆々とした筋肉の鎧を纏った巨躯が、その視線が、小川育恵をじっと見下ろしている。

「お名前は?」

軽く首を傾げて訊く、育恵の表情には不思議と恐怖の色がない。
殺意も敵意も感じさせないその少女に、しかし答えはない。
代わりに、巨漢の手が伸びた。
誇張でなく指一本で白い細首をへし折る暴力の塊が、何の疑問も抱かぬかのように
じっと巨漢を見上げる少女へと、真っ直ぐに迫る。
伸ばされた手が、

「……それ、ほしい……」

びしりと指差したのは、少女がテーブルの上に広げていた、スナック菓子の袋である。


 ******


  「ふぅん、マルコっていうんだー」

ぱりぱりと音を立ててポテトチップスを頬張りながら、少女が巨漢の名を呼ぶ。
青いチェックのスカート、白いYシャツの胸元には大きなリボン。
学校の制服に身を包みながら、しかし少女の容姿は通学カバンの代わりに
ランドセルでも背負っていた方が似合うような幼さを残していた。
短い髪を頭の両側でゴム止めした髪型もそれを助長している。

「あたし、小川育恵ー」
「オガワ……イクエ……」

巨大な口にこれでもかと菓子を詰め込んでもっしゃもっしゃと噛み砕きながら呟いたのは、
マルコと呼ばれた巨漢であった。

「お友達は小川とか小川ちゃん、とかって呼んでるかな〜」
「オガワ……ちゃん……」
「うん、オガワちゃんー」
「ま、マルコのこと……貘兄ちゃんは、マーくんって……呼んでる」
「マーくんかあ……って、わわ、汚いヨー、口の中に物入れて喋ったらダメー」
「ご……ごめん……」

育恵の正面、今にも重量に負けて押し潰されそうなギシギシと軋むパイプ椅子に
身体を押し込むように座っているマルコが、叱られて身を小さくする。
二人が座っていたのはファーストフード店である。
ガラス扉の向こうには、百貨店を模した施設の中にあるショッピングモールが広がっている。
行き交う客もセールストークで待ち受ける店員もいない無人のモールをちらりと見て、
べったりとテーブルにうつ伏せになった育恵が小さく呟く。

「なんか、ジッカンわかないんだよネー」

ぽやんとした口調とは裏腹に、その瞳はどこか遠い場所を見ているように渇いている。
誰もいないモールには、しかし照明だけが煌々と灯っていた。

「よくわかんないけど、お家に帰りたかったらコロシアイしろ、とかって……。
 そんなのできないヨ……ケンカとかだって、やなのに」

かり、と丸い指が引っかいたのは、その細い首についた金属製の首輪。

「ね……マーくんは、あたしをコロす?」

咥えたポッキーを折りながら向ける視線には、いかなる感情も滲み出していない。
それが諦念の故か、極度の困惑がそうさせたのか、或いは単なる現実逃避であるのか、
推し量る術はなかった。
口いっぱいに頬張った菓子を飲み込んでから巨漢が呟いたのは、ただの一言である。

「マルコ……、そんなこと……しない」
「……」

ほんの僅か、沈黙が降りた。

「貘兄ちゃん、言ってた。ヒト殺すのは……悪いヤツ。マルコ、悪いヤツ……キライ。
 悪いヤツには、ならない」

一つづつ言葉を選ぶようなその口調は、拙いながらもひどく真剣な響きを帯びている。
そこには何らの嘘偽りもないと、聞く者の全てに思わせる声音だった。

「だからマルコは、悪いヤツを蹴るけど……殺さない。オガワちゃんも、殺さない」
「……そっか」

テーブルに伏せたまま、視線だけを上げてマルコの言葉を聞いていた育恵の表情が、ほころんだ。
色を失ったような瞳に戻ってきたのは、嬉の一文字の彩りである。

「そっかあ……マーくん、いい子だネ〜」
「うん! マルコ、いい子! 貘兄ちゃんも誉めてくれる!」

満面に笑みを浮かべてマルコが胸を張る。
その子供じみた仕草に、育恵もまた、笑う。
どこまでも明るく朗らかな、それは小川育恵という個人の本来持っていたであろう、笑顔だった。

「そういえば……バク兄ちゃんって、マーくんのお兄ちゃん?」
「ん〜……」

ひとしきり笑ってから尋ねた育恵の問いに、マルコが野太い腕を組んで首を捻る。

「うー……」

首を捻り、

「あー……」

頭を傾げ、

「……マルコ……貘兄ちゃん、大好き」

ようやく搾り出した答えが、それだった。
要領を得ない回答に、しかし育恵は笑顔で応える。

「ふぅん、マーくんはホントにバク兄ちゃんが好きなんだネー」

会話は噛み合っていない。
しかし育恵にとっては、同時にマルコにとっても、そのやり取りで充分であった。

「うん! 貘兄ちゃん大好き! あと、マルコ……オガワちゃんも好き」
「にゃー?」
「オガワちゃん、お菓子くれた……だからいい人!」

溶け崩れんばかりの笑顔。
笑みの上に笑みが重なった、それは混じり気なく純粋な幼子だけが浮かべられる表情だった。

「あははー、これ、あたしのシキューヒンなんだって。
 一杯あるから、もっと食べよ?」
「うん!」
「あとはねー、応急処置セット? もしマーくんが怪我したら手当てしてあげるね!
 あたしん家、お薬屋さんなんだヨ〜」

二人だけのささやかなパーティは、夜が更けても終わる気配がなかった。
狂気の島の片隅で、その一角にだけは和やかな時間が流れていた。
ほんの束の間だけ訪れた、それは平和と呼べる、もしかすると最後の時間だったのかもしれない。

【G-4 百貨店/一日目深夜】

【名前】小川育恵@女子高生
【状態】健康
【装備】なし
【持ち物】ディパック(基本支給品一式)
     お菓子のパーティパック、応急処置セット(簡易外科セット・内服薬一式・注射器&アンプル)
【思考】1:マルコと同行する。


【名前】マルコ@嘘喰い
【状態】健康
【装備】不明
【持ち物】ディパック(基本支給品一式、不明ランダム支給品1〜3)
【思考】0:貘兄ちゃんの言うことを聞く。
1:オガワちゃんと同行する。
2:悪いヤツはやられる前に蹴る。だけど殺さない。
※「廃坑のテロリスト」編直前からの参戦です。



前話   目次   次話