Awakening Spider






近い…血の匂いを感じる。
あれから当てもなくただ走っていただけの葉月だったが、
本能に訴えかける匂いを察知するや、くんくんと鼻を鳴らしながら駆ける。
その身体は人であったころよりも遥かに軽ろやかに跳ねていた、
そして茂みの合間にそれは無情にも放置されていたのだった。
「あった…けど」
その支倉ハイネの屍を前にして流石に逡巡する葉月、何をしなければならないのかは分かってる。
しかし…

「やっぱり…怖いよ」
死体の前にへたり込み、そしてうなだれる葉月。
身体と本能は激しく血肉を求めている、しかし…心はまだそれを拒絶していた。
こんな身体に、魔物になってまで恋人に会って、そして何をするというのだ。
やはりあの時…自分は死ぬべきだったのかもしれない。

そうすればシードの中でいつまでも自分は人間のままでいられた、思い出の中でずっと。
「でもボクはやっぱりキミに会いたい!思い出なんていやだ!」
迷いを振り払うと、葉月は己の手を鉤爪に変化させ、そのままハイネの身体を引き裂く、
そしてその肝を取り出すと…眼を瞑ってそれを口の中に放り込んだ。

人食いの第一印象としては、正直大したことはなかった。
ただ血の匂いと血の味がしただけだし、満腹になったわけでもない…。
が、味はともかくとして、自分の身体に充足感が満ちていることのに葉月は気がついていた。
まるで消えかけていた灯火に油を注いだかのような…そんな感覚だ。
身体中に僅かだがまた力が戻ってきたようだ、特に脇腹のあたりに力が集中しているのを感じる。
「ううっ…ううっ…ううーん」
葉月はその脇腹に貯まった力を解放するかのように伸びをする、と、
めりめりと音と同時に脇腹が裂け、そこから銀色に輝く蜘蛛の脚が勢いよく飛び出した。
わきわきと動く蜘蛛の脚を馴染ませようと葉月は左右に身体を揺らしている。
さらにその足元には小さな蜘蛛たちが何匹も集まっていた。
「おなかすいてるの?いいよ…食べて」
葉月の言葉を聞くや否や、どこに潜んでいたのか無数の蜘蛛たちがハイネの身体に群がりその肉を喰いつくしていく。
その凄惨な様子から思わず眼をそらした葉月だったが…


「な…なんなんだあれは」
薙原ユウキは自分の眼前での異様な光景に絶句する。
最初に見たのは死体の前でうなだれる美少女、声をかけようか迷っている間に、
その美少女はあろうことか死体を喰らい、さらにその背中から昆虫の脚を露出させているのだ。
「モンスターか…ならっ!」
容赦はしないとばかりに剣を抜こうとしたその瞬間。
「!!」

いつの間にか目の前に立っていた少女から放たれた、神速の居合い斬りがユウキの立っていた場所を薙ぎ払っていた。
まさに一瞬、わずかな風の流れに気がつかなければ真っ二つだっただろう。
さらにそこから第二撃、第三撃が次々と放たれる。
(強いっ…)
最後の闘神としても知られる葉月の剣技はユウキのそれを大きく上回っていた、いや彼のみならず
完柳斎や沙耶よりも上だろう。
さらに蜘蛛と化した彼女の身体能力は人間のそれを凌駕している。
(くそっ…何としてでも逃げないと…)
一方の葉月も必死だった。
もし逃がしてしまえば魔物と化した自分のことがシードにばれてしまうかもしれない、
今の彼女にとって自分がどうなろうが正直、シードにさえ会えれば興味はない。
だがシードに会う前に死ぬことと、シードに自分の正体がばれてしまうのだけは受け入れられなかった。
だがら、目の前の少年には死んでもらうしかない。
(ゴメンね、気の毒だけどボクのためなんだ)

そしてそんな2人を木陰から冷笑しながら、銀が見つめているのだった。



【1日目昼前、リーザス近郊】
【薙原ユウキ: 状態:良好 アイテム:ブロードソード】
【瑞原葉月(蜘蛛): 状態:消耗(HP残40%、見た目上は無傷) アイテム:ブラックソード】
【銀: 状態:疲労 アイテム:なし】



前話   目次   次話