キラー・ファイト






「ちょっと待ちなっての! いきなり逃げるかい、普通!?」
「正面から戦う方がどうかしています」
 追う女と逃げる女。
 ここカスタムの町では、現在奇妙な鬼ごっこが展開中だった。
 偶然に対峙したフェンリルとマドカだったが、フェンリルの姿を見るなり、マドカは踵を返して逃げ出したのである。
(くそ、こりゃつまんない奴に当たっちまったかねぇ?)
 フェンリルは内心でぼやいたが、だからといって見逃すつもりはなかった。
 角を曲がって逃走を図るマドカに追いつくためにスピードを上げる。
 超重量武器を担いでの疾走だが、フェンリルは人ならざる身――ドゥエンディである。
 彼女の並外れた筋力は、その重さをものともせずに、通常通りのスピードで走ることを可能とさせていた。
 それでも……
「……ちっ、逃げられたかい」
 その距離を埋めることは叶わず、角を曲がったフェンリルの視界にマドカの姿は映らなかった。
 大通りとはいえ、住宅や商店が乱立する地区である。
 建物の影に紛れて逃げられたら、再び見つけ出すのは至難の業と思えた。
「やれやれ、仕方ないねぇ。別の相手を捜すとするか」
 そうぼやきながら武器を地面に下ろそうとした瞬間――ぞくり、と背が泡立った。
「――ッ!!」
 反応できたのは、常に一線で戦い続けてきた経験の賜物だった。
 地面に突き立つ前に『かち割り』の峰に一発膝蹴り。反動を利用して右手だけで頭上に振り上げ、もう片方の腕でも頭部を庇う。瞬間――

 ――ドドドドドドドッ!

 天空から霰(あられ)のように降り注いだ七本の矢がフェンリルを襲った。
 三本は外れて地面に突き立ち、二本は武器で弾かれ、一本は足を掠めるだけに終わったが、しかし、
「ぐっ!?」
 残る一本が深々と、頭部を庇った腕に突き立っていた。
 ギリッと奥歯を噛んで頭上を睨み付ける。
 民家の二階の窓から、弓を構えて見下ろすマドカと目が合った。
「やってくれるねぇ、お嬢ちゃん……!」
「……化け物ですね。戦力評価を修正する必要がありますか」
 フェンリルの眼光に動じる様子もなく、一言呟いてマドカは部屋の中に消えた。
「ハハッ、上等だよ!」
 怒りの中にもどこか嬉しそうな響きを交えてフェンリルは吼え、腕に突き立った矢をへし折った。
 折った拍子にずきりと傷が痛んだが気にしない。
 この程度の痛みには慣れているし、下手に抜いて血液と邪気が失われるよりよほどいい。
(訂正だ。つまんない奴だなんて、とんでもないね!)
 獰猛な笑みを張り付かせ、フェンリルは民家の中に突撃した。


(さて、とりあえず撤収しなければなりませんね)
 部屋の中で、マドカは逃げる算段を立てていた。
 セブンスターは連発できない。悠長に装填などしていたら、装填しきる前に踏み込まれて終わりだろう。
(普通、あのタイミングは防げるものではないのですが)
 わざわざ武器を下ろす瞬間を狙ったというのに。
 あの武器さえ振り上げられなければ、致命傷を与えられたはずだ。
 恐らく相当戦い慣れしているとマドカは踏んでいた。
(やはり、ここで排除しておくべきですね。今の沙由香さんや恭平さんでは太刀打ちできないでしょう)
 防がれたのは多少驚きだったが、全く想定していなかった展開というわけでもない。
 部屋にあった椅子を持って、マドカはあらかじめ開けておいた別の窓に近寄り……そして思い切り振りかぶった。

 上から破砕音が聞こえてきて、フェンリルは一瞬足を止めた。
「何やってんだい、一体」
 慎重に階段を上る。
 身を隠すところがない場所だ。ここで待ち伏せがあるかと思ったが、何事もなく二階に上がることが出来た。
(ふぅん? 大抵の奴ならここで一撃食らわすんだろうけどねぇ……)
 多少不審に思いながらも、マドカのいた部屋に侵入する。
 だが、そこにはマドカの姿はなかった。
 ただ普通の部屋の光景と違うところは、開け放たれた窓から隣の民家の割れた窓が見えることだった。
「……また逃げられたかい」
 それとも待ち伏せか。こちらの部屋からでは、隣の民家の部屋の中は窺い知る事は出来ない。
「やってくれるよ。まったく」
 舌打ちして、フェンリルは忌々しげに呟いた。

はたしてマドカは待ち伏せなどしていなかった。
 隣の民家へ移った彼女は、そのまま玄関から外に出て、今度は向かいの民家へと侵入していた。
 また二階へと上り、民家と隣接する側の窓を開けて逃げ道を探す。
 同一規格の住宅なのか、またうまい具合に隣家の窓が目の前にあった。
 リュックを下ろして矢を取り出す。
 そのまま矢の装填を始めようとしたが、ふと思い立って窓際に移り、手頃な椅子に座ってそこで作業を始めた。
 ここなら外が良く見える。外からもこちらが見えるということだが、相手の位置を見失って至近距離で遭遇する事態を避けるには仕方がない。
 マドカも普通の人間よりは耐久力があるが、接近戦を前提として造られてはいない。
 武器の差もあるし、何よりあの馬鹿力は脅威だ。接近戦はなんとしてでも避けたかった。
 センサーの感度を上げておけば対処可能だが、ここではエネルギーを補充できる見込みはない。
 できるだけ、エネルギーは節約したかった。

 五本目を装填し終えたところで、マドカが脱出に使った民家からフェンリルが姿を現した。
 目が合った瞬間、フェンリルは駆け出し、マドカは照準をフェンリルに向ける。が、
(無理ですね)
 大剣を盾の如く構えて突進してくる姿を見て、マドカは射撃を諦めた。
 致命傷を見込めない状況で撃っても意味がない。
(初手で仕留められなかったのは、やはり痛いですね)
 それならばと、相手の動きを気にしながらも六本目を装填する。
 フェンリルが民家に飛び込むとほぼ同時に装填完了。
 立ち上がり、座っていた椅子を引っ掴んで隣家の窓に向かってブン投げた。
 盛大な音と共にガラスが飛び散り、逃走経路が出来上がる。
 そしてリュックを背負い、マドカは隣家へと転がり込んだ。

「ちっ、またかい!」
 つい先ほどまでマドカがいた部屋へなだれ込んだフェンリルだったが、またしてもマドカの姿はなかった。
 また逃走に使ったと思われる、割れた窓を睨み付ける。
「いいさ、とことんまで追いかけてやるよ!」
 今までは慎重に行動していた為、後手後手に回ってしまった。
 向かいの家に移る時も待ち伏せを警戒して時間がかかってしまい、相手に時間的な余裕を与えてしまっている。
だが、最初の階段でも、向かいの家でも、この家の階段でも待ち伏せはなかった。ならば――
 意を決して、フェンリルは隣家へと強襲することを決めた。


(……)
 隣家の部屋で、マドカはじっと息を殺していた。
 窓からは見えない、すぐ後ろには開け放たれた扉がある位置で。
 窓からフェンリルが飛び込んできた瞬間、セブンスターで一斉射を行う為に。
 仕留められれば良し、仕留められなければすぐに逃走するつもりだった。
 大剣を防壁にしながらこちらへ移ってくるのは、窓のスペース的に不可能だ。
 それに、今まで待ち伏せを行えそうな場所で、マドカは一度も待ち伏せを行っていない。
 矢の装填に時間がかかるからでしかないのだが、そろそろ相手も焦れている頃だろう。
(不意を打つには、いい頃合です)
 フェンリルがやってきたのか、隣家から声が聞こえる。もうすぐだ。
 タイミングを確実なものにするため、センサーの感度を上げる。
 足音が少しだけ遠ざかった。
(?)
 マドカが不審に思ったのもつかの間、フェンリルがこちらへ向かって助走をつけたのが分かった。
(一気に飛び込むつもりですか……!)
 やはり焦れていたのか。
 窓へ向けてセブンスターを構えたまま、タイミングを逸しないようにマドカは集中力を研ぎ澄ます。

 ――窓まであと四歩。

 ――窓まであと三歩。

 ――窓まであと二歩。

 ――窓まで――

(――窓……じゃない!?)

 足音の向かう先が窓からずれている。
 それに気付き、マドカの目が驚愕に見開いた、その瞬間―ー
「りゃあああああああっ!!」
 雄叫びと共に、壁の一部が砕け散った。
 爆砕したかのごとく破片が飛び散り、マドカの身体に叩きつけられる。
「くうっ!?」
 思わず声を上げながらも相手を確認する。
 超重量武器とドゥエンディの膂力で無理矢理壁をぶち抜いて現れたのは――無論、フェンリル。
「よぉし! どんぴしゃあぁっ!」
 マドカの姿を確認するなり、飛び込んだ勢いそのままにマドカに向けて肉薄する。
「くっ!」
 思惑は外れたものの、マドカもすかさず照準をフェンリルに向ける。が、
「させないよっ!」
 照準を向けた時にはもう目の前までフェンリルは迫っていた。
 両手で持っていた大剣を手放し、向けられたセブンスターを左腕で弾く。だが、同時に六本の矢も発射されていた。
 うち一本が、弾いた左腕の甲から肘までを縦に裂き鮮血が飛び散ったが、フェンリルは止まらない。
 そのままマドカに体当たりをかまし、扉を抜けて廊下の壁に叩きつけた。
「くはっ!?」
 叩きつけられた拍子に、マドカの口から空気が漏れる。
(……いけない!)
 思った時には髪の毛を無造作に掴まれていた。
 腕も取られ、そこを支点にして身体を振り回される。向かう先は、開け放たれた扉の蝶番。
 ――ガッ! という音と共に、視覚センサーの奥に火花が散った。
 一瞬、視界がブラックアウトする。
(逃げ……なければ……!)
 そう思うが、身体の制御はフェンリルに握られていた。
 二度、三度と顔面から叩きつけられ、視界が完全にブラックアウト。表皮は破れ、バランサーもおかしくなったか平衡感覚も歪んでいく。
「ハハッ! ようやっと捕まえたよ、お嬢ちゃん!」
 髪の毛が離されたかと思うと、フェンリルは腕を掴んだまま部屋の中にマドカを引きずり込み、
「おおおりゃああぁっ!!」
 そのままジャイアントスイングのようにマドカの身体を振り回した。
 今度の向かう先は、壁際の本棚。
「――か……は!」
 成す術もなく叩きつけられ、再びマドカの口から空気が漏れる。
 衝撃で、棚に収まっていた本がどさどさと床に落ちた。
「まだまだいくよっ!」
 再び振り回され、叩きつけられ、マドカの身体の機能が破壊されていく。
(逃げ……な……ければ……)
「もう一丁おおぉぉ!」
 三度振り回されるが、腕のジョイント部が先に悲鳴を上げた。
 ミシッと嫌な音を響かせて関節がありえない方向に曲がり、支えを失って失速したマドカの身体は床に投げ出された。
 そのことで、寸断なく襲い掛かってきていた衝撃が止まり、フリーズしかかっていた意識が復旧する。
(逃げなけれ……ば……、身体の機能は……?)
 右腕はもう駄目だ。左腕と両足はまだ動く。問題は視界とバランサーだ。
 と、ブンッと一瞬ノイズが走り、唐突に視界が回復した。
 そして最初に見えたのは、今まさに振り下ろされるフェンリルの足。
「……っ!」
 直後に衝撃。破砕音と共に、左肩が粉砕された。
「こういう時に油断かますのが一番危ないんでね。両腕、壊させてもらったよ」
 言ってすかさずマドカを引っ張り上げ、壊れた両腕ともども胴に手を回してギッチリとホールドした。
 ベアハッグ。
 フェンリルの左腕からの出血が多くなるが、一向に構わず締め付ける。
「く……あ……」
 ぎりぎりと胴にかかる圧力に、苦悶の声が漏れる。
 身体の中で、みしみしとフレームが軋む音が聞こえる。
 マドカは考える。なぜ、こうなったのだろう。自分はどこで読み違えたのだろうか。
「な、なぜ……?」
「なぜ待ち伏せがばれたってかい? あんた、一回あたしを狙ってやめたじゃないか。あん時、あんたの弓にまだ空きがあったみたいだったんでね」
 締め付ける力は緩めないまま、フェンリルはマドカの問いに答える。
「待ち伏せしてないのはおかしいと思ったんだが、考えてみれば当然だぁね。あんなけったいな武器、そんな簡単に装填できるわけがない。
だから、待ち伏せがあるとすればそろそろだと思っただけさ。確信とまではいかなかったけどね」
「……よく、見て……ますね」
「そうでもなけりゃ、800年も戦場で生き延びられないからねぇ……そろそろ逝きな!」
 腕に一層強く力が加わり、マドカの身体が悲鳴を上げる。
 体内でいくつもの回路がショートし、目の前に火花が散った。
(ここまで……ですか……?)
 無念だった。沙由香も恭平も見つけ出せず、何も出来ないままここで終焉を迎えることが。
(すみま……せん、どうか……ご無事……で……)
 心の中で、守るべき二人に詫びる。
 唇が動いた。最後に彼女が呟いた言葉は……
「きょう……へ……さ……」

 ――バキィッ!

 最後まで言葉を紡ぐことも叶わず、マドカの身体は限界を迎えた。


「……痛っ、ちょいと深いね」
 民家の一階で左腕の傷の治療を済ませ、フェンリルは一人ごちた。
 少し家探ししたが薬品の類は見つからなかったため、治療といっても拝借した服を裂いて包帯代わりに巻きつけただけだ。
 十分とはいえないが、当面はこれで我慢するしかない。
 その傷の原因となったセブンスターはというと、全弾装填状態で傍らのテーブルに置かれていた。
(やれやれ、最初っから手傷を負うとはね。やってくれるよ、あのお嬢ちゃん)
 特に、あの不意打ちは紙一重だった。思い出すと、自然と笑みがこぼれてくる。
 上の階で横たわっているはずのマドカを見上げ、ふとフェンリルは唇の端を歪めた。
「そういや、名前も聞いていなかったねぇ」



【一日目朝、自由都市群、カスタムの町】
【フェンリル: 状態:左腕に深い切り傷 アイテム:かち割り、セブンスター】

【マドカ:死亡】
(残り45人)




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