ペットの躾には飴と鞭
「うわっ! ……寒いですねぇ、ここ」
薄着な自分の衣装を多少恨めしく思いながら、京堂扇奈は思わず身体を抱いて震えた。
雪こそ降っていないが、崖で遮られた対岸は氷河で覆われているのが確認できた。
「狼牙さん……はいないですね。都合よく同じところに飛ばされたりはしませんか」
狼牙どころか、他の参加者も誰一人見当たらない。
辺りの状況を確認すると、扇菜は荷物の確認に移った。
「これは……」
支給された武器をリュックから取り出す。
黒を基調とし、グロテスクな意匠を施された大型の西洋剣。
「西洋剣ですか。日本刀の方が良かったんですけど」
それでも、剣が支給されたのは剣士である扇菜にとってはありがたいことだった。
次いで他の支給品を確認し、問題ないことを確認する。
「さて、まずは狼牙さんを捜しましょうか」
いつもは日本刀を下げている左腰に西洋剣をくくりつけると、リュックを背負い歩き出す……が、
「きゃっ!?」
いきなり尻を撫でられる感触がして悲鳴を上げた。
「だ、誰かいるんですか!?」
慌てて繰り向くが誰もいない。
それはそうだ。先ほど自分で確認したのだから。
「……気のせい……ですか?」
確かに感触がしたのだが。
不可解なものを感じながらも、扇菜は再び歩きだす。……と、
「ひぃッ!?」
今度は尻から前の方まで触られる感触がして飛び上がった。
「だだだ誰ですかあっ!?」
尻を押さえてせわしなく辺りを見回すが、やはり人っ子一人見当たらない。
「? ? ?」
半泣きで疑問符を浮かべつつ、それでも辺りに異常がないのでどうしようもなく、扇菜は警戒しながら三度歩き出した。
(むふふふ〜ん)
歩き出した扇菜の腰で、その剣――魔剣カオスは満足そうにほくそえんだ。
(やぁーっと、やあああぁぁーーーっとピチピチギャル(死語)の使い手じゃて。……ホント、長かったのう)
魔人を斬ることの出来る二つの剣の一つ。聖刀日光と対を成す、意思を持つ伝説級の魔剣である。ただし、超絶エロおやじ。
男の使い手にしか恵まれなかった分の、溜まりに溜まった鬱憤を、ここで晴らす気満々であった。
(むふ〜ん、ええのええの〜、ぴちぴちのむちむちじゃ〜。どれもう一回……)
カオスの刀身から、実体のないオーラのような触手が発生した。
その先端が手の平のように形を変え、わきわきと卑猥に蠢く。そして三度扇菜の尻を触ろうと触手が伸ばされ……しかし空を切った。
(あら?)
スカッた触手をひらひら振ってみるがやっぱり届かない。
というか、目線が遠い。腰のすぐそばにあった目線が、今は大分離れた位置にある。
(え〜と)
目線を上に上げると、柄を握った手があって、さらに上に――にっこり笑ってこちらを見る扇菜の顔があった。
「あなただったんですね♪」
ね♪ の部分で可愛らしく小首を傾げるが、カオスはなぜかその仕草に可愛らしさより恐怖を覚えた。
「いや、あの……」
「あら、喋れるんですね? 喋る剣なんて初めて見ましたけど、そういう悪い子にはお仕置きですよねー♪」
そう言うなり、カオスを地面に引きずったまま崖の方へ歩いていく。時折、石にぶつかって剣先が跳ねるが気にしない。
「いた、痛いっちゅーに! せめて持って歩いてってねぇ嬢ちゃん聞いとる儂の話!?」
聞く耳持たずで崖っぷちに到着すると、ちょこんと座ってカオスを持った手だけを崖の外に出した。
もし手を離せば、深遠の奈落へまっさかさまである。
「おわ、おわ、おわああぁぁぁっ!」
さしものカオスもこれにはたまらず悲鳴を上げた。
「じょ、嬢ちゃん考え直せ! 儂、伝説の魔剣よ? 魔人も斬れるお徳用よ? 魔剣カオスって聞いたことあるじゃろ?
減るもんじゃ無し、ちょっと尻触ったくらいで……」
おもむろにカオスを握っていた手が開かれた。
「どぅわあああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
という悲鳴が開始される前に、もう片方の手がはっしと落下する柄を捉えた。
「あ、成功しました」
ぞっとすることを言う。
にっこり笑顔のままで言うものだからさらに怖い。
「成功しました、って……儂、死ぬよ? いくらなんでも。こんなとこから落ちたら……」
もうカオスは傍目から見てもガクガク震えていた。
まさかこんなところで、長らく忘れていた死の恐怖を体験するとは、夢にも思っていなかったに違いない。
「そう言われましても、お礼参りは三倍返しと言いますし」
「尻触って三倍で死なすの!?」
「それはもう、女の子にとっては死にも勝る屈辱を受けたんですから」
「儂、さすがにそれは言いすぎだと思うんじゃけ……」
離す。
「のわあああぁぁぁぁぁぁっ!!!」
捉える。
「あ、また成功しました」
………
……
…
ようやくカオスが許しをもらったのは、さらに二回ほど奈落にダイブし損なってからだった。
「ぜぃ……ぜぃ……し、死ぬかと思ったわい」
九死に一生を得たカオスは、ぐったりとした感じで地面に横たわっていた。
「ぶちぶち……儂、伝説の魔剣なのに……なんでこんなぞんざいな扱い……」
(あらら、ちょっとお灸を据えすぎましたかね?)
いじけだしたカオスに扇菜は一つ溜息をつくと、柄を握って立たせ、話しかけた。
「え〜と、カオスさんでしたか? 自己紹介が遅れましたけど、私は京堂扇菜です」
言いながら、白魚のような指でカオスの刀身を、つつと撫で上げていく。
「お、おお?」
「さっきは怒っちゃいましたけど、私にはあなたの助けが必要なんです」
触れるか触れないかのタッチで、上へ下へと。
「おおおおおおお?」
「捜さなくてはいけない人がいますし、ゲームに乗った人達とは戦うつもりです」
"の"の字を描くように、ゆっくりと、焦らすように。
「おおおおおおおおおおおおお?」
「私を、守ってくれますか?」
それまでの焦らすような刺激に加えて、すがるようなその視線に、カオスのボルテージはあっさりMAXを超えた。
「お、おお! どーんと任せい! 念願の美少女剣士じゃし、心のちんちんも大喜びじゃ! がんばっちゃうよ、儂!」
(効き目抜群ですね……なるほど、狼牙さんに有効な手はカオスさんにも有効、と)
俄然元気を取り戻したカオスに、扇菜は心の中で舌を出した。
「おおよ、魔人だろうが何だろうが、儂が全部たたっ斬ってやるわい! じゃから、褒美に一発……」
「た・だ・し」
不穏なセリフを遮るように、扇菜は一言一言区切って駄目押しをする。
「さっきみたいなセクハラはNGですよ? 帯剣してるだけでも腰や太ももには時折触れるんですから、それで我慢してください。
もし、またやったら……」
そこでちらりと崖の方を一瞥し、
「ブン投げますよ♪」
満面の笑みでそう言った。
心のちんちんはしぼんだ。
【一日目朝、シベリア近郊、崖ふち】
【京堂扇菜: 状態:良好 アイテム:魔剣カオス】
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