ラストバトル
「そんなはずは――」
尾田の口から言葉が洩れた。合図の煙が上がった後、銃声は聞こえていない。
それとも、うすたは、何か別のネタでやられたというのか?
『はーい。これで残り四人になりましたー。聞こえてるかあ、冨樫。荒木。尾田。岸本。よくがんばって連載してきたなあ。
あ、冨樫はがんばってないか。とにかく、ジャンプ前編集長として、おまえたちのこと、誇りに思う。
はい、それじゃ、これからの禁止事項を報告しまーす』
尾田がとにかくそのメモをとりかける前に、荒木が「荷物をまとめろ」と言った。
「え?」
尾田は聞き返したが、荒木はスキューバの手信号でSOS、というように手をひらひらさせた。
鳥嶋が『枠線は――』と続けている。
「ぼんやりしてんじゃねーぜ。冨樫だ。やつがうすたのニセロボピッチャに興味を示し、信号を打ち上げた可能性がある。
やつもSEGAマニアだったかも知れないんだ――やれやれだぜ」
それで、尾田は慌てて腰を上げた。岸本が自分の原稿をデイパックにしまい込んだ。
そして、鳥嶋が『はーいそれじゃ、がんばるんだぞー。あともう少しだからなー』と言い終わるか終わらないか、
そのとき、尾田は見た、荒木の視線がすっと、例の“防犯装置”――マジシャンズレッドの炎の探知機のところに動くのを。
そして、その炎の塊が、ボッと反応するのを。
「伏せろ!」
荒木が叫び、同時にぱらららら、という音が響いた。
尾田と岸本が頭を下げたすぐ上、石壁にザクザクと念弾が突き刺さった。――緋の眼発動中だ。
荒木が腰を低くした態勢からエアロスミスを飛ばし、機銃掃射を茂みの中へ撃ち込んだ。
「ボラボラボラボラボラボラボラボラ!」
当たったのか、そうでないのか、とにかく、冨樫は撃ち返してこなかった。
荒木が「こっちだ。早く!」と言い、尾田たちは三人で、冨樫が撃ってきた反対側へ逃げ出した。
地面に、太さ2センチメートル弱の緑色の縄が這っていた。
尾田はこんなものがあるのを知らなかったが、それは、ハイエロファントグリーンの結界だった。
荒木に促され、尾田も岸本もそれを飛び越えた。荒木が後ろへ向けてまた機銃掃射し、後に続いた。
荒木が撃ったのとは別のぱららら、という音がまた聞こえ(この聞き分けは簡単だ。荒木は叫ぶので)、
地面に這っているハイエロファントグリーンの結界が裂けた。
突然、前を走っていた岸本が何かに弾かれたように止まり、「うっ」とうめいて、うずくまった。
尾田は、慌ててその岸本に駆け寄った。何かにつまずいたのか?
そうではなかった。尾田を見上げた岸本の左目のまぶたがすっぱり縦に裂け、頬に血がざあっと流れ出していた。
それに、右の手も切ったのか、軽く握った拳の中からも血が滴っている。手にしていたGペンが、足元に落ちていた。
尾田は岸本の肩に右手を置いて、空間を見上げ――そして見つけた、細い、念糸が張られているのを。
尾田の頭の中が怒りで赤く染まった。冨樫は何を考えているのかわからない。
“やつは休むだけだ”と荒木が言った、異常なのか正常なのかある種の天才なのか狂人なのか知らない、
しかし、岸本を傷つけたというのは、論外だ。――打ち切ってやる!
とにかく、岸本を立たせようと、尾田はGペンを拾い上げ、岸本の肩を抱いた。
荒木が撃ちながら、ちらっと二人に視線を落とし、すばやくまたその視線を動かして念糸を見つけたのか、下唇をかんだ。
尾田は岸本を抱き起こすと、念糸をくぐって走り出した。尾田はもどかしかった。
念糸が張られていないか気にしなければ、ゴムゴムのロケットでぶっ飛んでやれるのに。
荒木が相変わらず叫びながら、後ろにぴったりくっついていた。
「震えるぞハート! 燃え尽きるほどヒート!」
一方の冨樫も撃ち返しながら少しずつ前進してくる。
茂みを抜けると、山肌にへばりつくように建っている民家の庭先に出た。玄関の前に白い車が止まっている。
荒木が尾田に「やつを足止めしろ」と言った。
尾田はGペンを足元に置き、ゴムゴムのピストルを茂みの中に撃ち込んだ。
冨樫は撃ってこなかった。尾田のすぐ横に、岸本が体を寄せた。
血が流れ出している右手に、尾田が地面に置いたGペンをしっかり握っていた。
突然、ぶるん、という音がした。尾田がちらっとその音のした方向、車の方へ視線を飛ばした。
車がいかつい改造車に、いや、改造車などという生やさしい表現では済まされない異形へと変貌を遂げていた。
荒木が顔と腕を出した。「乗れ! 逃げるぞ!」
岸本が荒木の手を借りて、その車の中に入り込んだ。続いて、尾田が助手席に飛び込んだ。
尾田がドアを閉めようと左手を伸ばしたとき、がん、という音がした。
尾田の目の前で、冨樫がボンネットに飛び乗り、その目を丸く見開くのを見た。
尾田はぐっと岸本を自分に寄せ――もう気づいていた、ドアを蹴り飛ばすと、車の外へ飛び出した。
荒木も飛び出した。白い車を黒い影が覆った。
冨樫は車の入ったファンファンクロスを横目で一瞥し、間を置かず、ダブルマシンガンを構えた。
同時に荒木がホワイトアルバムで氷の壁を作った。
ぱららら、という音が響くと、荒木は二人を抱え込み、凍り付いた大地を滑り出した。
銃声が途絶えた。
「岸本、大丈夫か?」
尾田が訊くと、岸本は、真っ赤に染まった顔を動かして、「ええ」と頷いてみせた。
それでもその体はこわばっていて、まだ右手にGペンを握っていた。
「岸本、右手、見せてくれ」
岸本はそれでようやくGペンを放し(まるで赤ペンだ)、右手を尾田に差し出した。
その手は、ちょうど人指し指と中指の付け根を斜めに横断する形で、ざっくり裂けていた。
この傷は――多分、ちょっとやそっとの手術では完全には治らないかも知れない。岸本は――漫画家なのに。
尾田は海賊旗を巻いてやりたかったが、荒木に抱えられながらでは無理があった。
岸本が「大丈夫。自分でやります」と言い、尾田から海賊旗を受け取ると、左手で振ってはためかせ、右手に巻きつけた。
端を固定すると、またGペンを握った。
尾田は、もと来た方を振り返った。
「冨樫は――」
荒木が尾田の方へ顔を向けた。
「来るな。来ないわけがない。それは確実だ。そう、コーラを飲んだらゲップが出るっていうくらい――」
その言葉が終わらないうちに、尾田たちがやってきた方から、スカイボードに乗ったアパレル姫が現われた。
尾田はそれで、ルチ将軍はあの容姿でもオーケイなんだと、わかった。
それがすうっと近づき、尾田の目にも、アパレル姫が冨樫だとはっきりわかったとき
――その指の先から、激しいオーラが噴くのが見えた。荒木は氷塊をそこらじゅうに作り出した。
念弾がどこかの氷に当たって、ざくざく、と音がした。
尾田が再び振り返った後方、すぐに、スカイボードに乗った冨樫が飛んできた。尾田はゴムゴムの槍を撃った。
冨樫は、あたかも心が読めるボクサーが乗り移ったかのようにすっと右へ動いて、それを躱した。
「精密動作性Eだな、尾田」
荒木が言ううちにも、冨樫がぐっとスピードを上げて追いすがってきた。
「フン」荒木が言うのが聞こえた。その横顔に、かすかに笑みが浮いていた。「戦車戦で俺と勝負するってのは甘いぜ」
途端、荒木がざっとエッジを立てた。同時にホワイトアルバムを戻し、舞い上がる砂埃をクラフトワークで止め踏みとどまった。
尾田の体にぐっと重力がかかった。
荒木から体を離すと、目の前に、冨樫が迫っていた。
その指先から、おなじみのぱららら、という音とともにオーラが噴き上がった。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」
荒木は念弾を大量のナイフに見たててスタープラチナで弾き飛ばした。
「WRYYYYYYYY!」
荒木の叫びが聞こえたが、尾田はその前にゴムゴムのガトリングをその冨樫目がけて撃ち込んでいた。
奇跡的だったと言えるだろうか、冨樫のダブルマシンガンの弾は尾田に当たらなかったが、
尾田の連打も冨樫をとらえることはなかった。
大地がふたたび凍り付き――荒木が二人を抱えて滑り出したときにはもう、追う者と追われる者の位置が逆転していた。
実に荒木は冨樫の念弾をスタンドで躱しながら、急停止、急発進で冨樫をスルーしてのけたのだ。
どこにそんな精神力があったのかというような感じでスピードがぐんっと上がり、
一旦離れかけた冨樫の尻がぐうっと迫った。
「撃て、尾田! 脳漿ぶちまけなァァァーーー!」
荒木が叫び、叫ばれなくても、尾田は腕を思い切り伸ばし、ゴムゴムのガトリングを撃った。
アパレル姫のドレスが引きちぎれた。
イメクラシチュエーション『女装した冨樫とそれを襲う尾田』であるのがわかったが、気にしている余裕はなかった。
ばん、という音とともに、スカイボードが吹っ飛んだ。次いで、冨樫がざあっと音を立てて地面に突っ込んだ。
荒木がホワイトアルバムを戻し、その冨樫に照準を合わせるような形でエアロスミスを停めた。
「ボラボラボラボラボラボラボラボラボラボラ!」
荒木が叫び、冨樫に向かって機銃掃射した。荒木がコマ割りを変え、さらに撃った。
さらにページを変え、そこでも撃ち尽くした。もう一度、さらに一度、二度とそれが繰り返された。
辺りに硝煙が立ち込めていた。荒木は「ボラ」と何回言っただろう? 優に二百五十回? それとも三百か?
「――やったのか?」
尾田が言った。硝煙が徐々に薄まり――
冨樫が見えた。椅子に座っていた。学生服を着て眼鏡をかけ、優雅に本を読んでいた。
尾田は驚愕していた。
HUNTER×HUNTERがまた休載しているということもさりながら、冨樫がまだ打ち切られていないということに。
たとえ載っていてもペン入れされてなかったりするのに、冨樫はまだ――まだ連載している!
「クソがァァァアアア!」
荒木がホワイトアルバムを出し、滑り出した。
すぐに尾田たちを追ってきた冨樫へ向けて、尾田はゴムゴムの槍を立て続けに撃った。
眼前に、山が迫っていた。そして見覚えのある光景。尾田は気づいた。これは、冨樫の念糸が張りめぐらされた山だ。
「荒木先生、そっちは――」
荒木の横顔に、ちらっと笑みが浮いたような気がした。「この荒木はなにからなにまで計算づくだぜ」と言った。
委細構わず、荒木はホワイトアルバムを戻した。
冨樫はぴたりと同じ距離――ほんの二十メートルばかり――で追ってくる。
三人が茂みの中に突っ込んで、止まった。尾田はちらっと振り返った。冨樫が近づいてくる――!
ガオン、という音がすぐ近くでした。
冨樫との間の、空間が削りとられた。冨樫はもう、尾田たちのほんの二メートル手前だった。
荒木から、尾田が、この距離が近距離パワー型スタンドの射程距離だと気づくか気づかないかのうちに、
キングクリムゾンが飛び出した。同時に、どん、という音。
尾田は、首を振り向ける形で、それを見た。冨樫義博が、体をくの字に折って、後ろへ吹っ飛ぶのを。
尾田の脳裏に、いつかのアバッキオの死にざまが蘇った。あの、主要キャラを一撃で殺す非情なストーリー展開。
「勝利というのは――」荒木がゆっくり言った。
「戦う前に全てすでに決定されている」
それから、フー、と低血圧そうに息をついた。
キングクリムゾンを戻し、ブランデーの瓶を取り出した。グラスにそそいで口をつけた。
じゃら、と音がして、荒木の体が傾いだ。手元からグラスが落ちてブランデーがゆるりと宙に流れた。
テレンス・T・ダービーのように顔が歪んでいた。
そして尾田は見た、その荒木の向こう、鎖のつながった先、冨樫義博が鎖を具現化し、拳銃を構えているのを。
打ち切られていなかったのだ! 確かに腹にキングクリムゾンの一撃をくらって吹っ飛んだのに!
荒木の体がゆっくり沈んでいた。冨樫が、指先をすっと尾田に向けた。
十メートルたっぷり向こうにある、冨樫の小さな指先が、巨大な海王類のそれのように見えた。
どす、と音がして、尾田は一瞬、目を閉じた。尾田はああ、俺は打ち切られたんだ、と思った。
目を開いた。
打ち切られていなかった。
食虫植物の背景の中、冨樫義博の鼻の横に、千本がぐさりと突き刺さっていた。
体から纏がとけた。すぐに、体が再び後ろへ傾いだ。倒れた。
尾田は、首をゆっくり左へ振り向けた。岸本が、印を両手で組んで、立っていた。
ああ、そうだったのだ。
荒木がスタンドをネタとし、尾田が悪魔の実の能力をネタとするように、
岸本もまた、忍術をネタとする、漫画家だったのだ。
岸本の、縦に裂けた左まぶたの奥から、写輪眼が覗いていた。
「やれやれだぜ」
荒木の声がした。尾田が手を貸すまでもなく、立ち上がった。
尾田は慌てて訊いた。「大丈夫なんですか?」
荒木は応えず、スタープラチナを出すと、冨樫の方へ歩いた。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ
オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァァーーーーーッ!!!」
冨樫の全身が血まみれになって吹っ飛んだ。
荒木は踵を返すと、岸本の方へ歩き、静かに言った。
「やつは打ち切られたよ。打ち切ったのは俺だ、岸本じゃない」
それから、冨樫の方を振り返った。
「ウルトラジャンプとはな」と言った。
尾田はそれでようやく了解した。冨樫はウルトラジャンプを仕込んでいたのだ。
「荒木先生」岸本がちょっと震えるような声で訊いた。「大丈夫ですか?」
荒木はWRYYYと笑って頷いた。
「大丈夫だ。岸本――成長したな。少なくとも精神的には、あの男に勝っていたぜ」
それから、あらためてブランデーの瓶を取り出した。
辺りを見回して、さっき自分の手から落ちたグラスを拾い上げると、それにブランデーをそそぎ、ゆっくり口に含んだ。
【冨樫義博 打ち切り】
【残り3人】
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