澤井






澤井は茂みの中で膝を抱えていた。ぼうっとした頭の中で澤井は”あの
人”のことを考えていた。
 ・・・”その人”を初めてみたのは、漫画のイベントだった。澤井が漫
画家になったばかりの、秋だった。同じ編集部の先輩がいて「どう、スゴ
イ人気でしょ、あの人」と言った。
 先輩はその人がすでに”看板”みたいな立場で何人ものアシがいると教
えてくれた。その時はああスゴイ人もいるものだなぁ、と思っただけだっ
た。
 しかし、ある時社の廊下で意を決して話しかけた。「あの編集の人、意
地が悪いですよね」その人は澤井の言葉を遮ると諭すような口調で言った。
「編集の人だって好きであんなことをやってるわけじゃない。もちろん世
界のどこにだって似たようなことはあるだろうけど・・・殊にこの会社の
システムは人を歪めてしまう。」
 「漫画などというものは無力なものです。それでもそれほど悪いものだ、
というわけでもない。君も楽しめるうちは楽しんだ方がいい。」その言葉
で澤井はすっかり感服していたのだ。
 あの人に会って言いたかった。「僕、まだ新人です。だから漫画という
ものをよくわかってないかもしれない。だけどあなたの漫画が好きです」
そんなふうにでも。
 がさっと茂みが揺れる音がして、澤井は顔を上げた。その茂みの隙間か
らうすた京介が顔を出していた。
「澤井――」



前話   目次   次話