過去
尾田が初めて「打ち切りゲーム」を知ったのは小学校四年生よりも前のことだ。
ごひいきの漫画の最終コマに「彼らの戦いはまだまだこれからだ!」という煽りがついていた。
ページ下には「第一部完・次原先生の次回作にご期待下さい!」の文字。
今思えば恐らく、それは尾田が初めて目にした打ち切りの瞬間だったのだと思う。
しかし、当時はそんなことまではわからず、尾田はただなんとなく「第二部はいつ始まるのかな~?」と考えた。
歳を経るにつれて、平均年に四回ペース、季節の終わりごとに告げられるその告知が、尾田には徐々に驚異になり始めた。
それは不人気漫画家達に、確実に訪れる死の宣告だ。
しかも、単に切られるだけじゃない。よく見知った作家陣達と互いに蹴落としあうのだ。
生き残りの椅子をかけて。そう、史上最悪の椅子取りゲーム。
しかし――それに抗する方法があるはずもなかった。およそこの集英社雑誌の中で編集のやることに逆らえるわけがない。
―――尾田は5歳くらいだったと思う。
尾田栄一郎より早くに集英館に入館していた梅沢春人と並んで、遊戯室でテレビを見ていた。
ごひいきのウイングマンのアニメが終わって、
今は施設の館長をしている鳥山明先生が(鳥島の担当下だった彼は
当時まだギャグマンガ家だったと思う)チャンネルを変えた。
尾田は何の気無しに画面を見続けていたのだけれども、
どうやらそれは"ニュース"という番組らしく、スーツ姿の男が原稿を読み上げていた。
尾田はその内容は憶えてはいないが、それは編集部による"プログラム"の結果発表の様だった。
画面にはどうやら"優勝者"らしいぼろぼろの衣服に身を包んだ男が
映し出され、編集者二人に両側から挟まれて、引き攣った顔をカメラに向けていた。
大きくさらけ出された胸元には7つの傷と赤黒い物がべったり付いていた。
奇妙だったのは、尾田はその映像をよく憶えているのだが
その引き攣った男の口元に何故か「ひでぶ」といった呟きが走ることだった。
今思えば恐らく、それは尾田が初めて目にした漫画家の顔だったと思う。
しかし、当時はそんな区別まではつかず、尾田はただ何となく傾奇者を見ているような、怖い気持ちになった。
尾田は「先生、何これ?」と聞いたと思う。
鳥山先生はただ首を横に振って「なんでもないのよ」と言った。
少し尾田から顔を背けた鳥山先生の口元から「かわいそうに・・・」という言葉が漏れた。
梅沢は画面からとっくに目を離してHARELUYA(読み切り版)のネームを切っていた。
尾田は何となく、「だがそれがいい」と呟いた。
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