或る少年のBR






「冗談じゃない…… 本当に冗談じゃないぞ……!」
 街灯に照らされた道路を、濃緑のブレザーを着た一人の少年が走っている。
 息を荒げ、しきりに周囲を見回しながら必死に足を動かすその姿は、遁走という言葉が似つかわしい。
 しかし現在、彼は実際に特定の何者かに追われている訳ではない。
 彼が恐れているのは、自分を殺そうとしているかも知れない不特定多数の見知らぬ他人であり、そんな有様に陥った現実そのものであった。
 友人達は、彼のことをキョンという渾名で呼んでいる。
「どうする、どうする、どうする……!」
 深夜の町である。 都市という言葉を使うほどに大きな規模では無いが、それなりに住宅や店舗が密集しており、本来ならばもっと住民の気配がひしめいていて良い筈である。
 しかし今、キョンを除けばこの町は完全に無人であった。 建物の中には室内の灯りが漏れているものもあるし、店舗などはシャッターも下ろさず、つい先刻まで営業をしていた様な雰囲気が感じられる。
 だと言うのに、その中で各々の生活をしているべき人の姿は全く見えない。
 キョンは以前にも似たような体験をした事があった。
 深夜、見慣れた場所にいるのに、人の姿が全く見えない奇妙な感覚。 あの時は彼一人ではなく、すぐ隣りで事の元凶である少女が元気にはしゃいでいたものだ。
 だが現在キョンが置かれている状況には、それとは確実に異なる点が幾つかある。
「はぁ、はぁ……!」
 数分前、ふと我に返ったキョンは道路からも外れた野原にぽつんと突っ立っていた。
 何が起こったのか解からずしばし呆然としていたのだが、次第にこれまでの事を思い出してくると、見晴らしの良い場所で呆けている自分は良い的ではないかと気付かされた。
 深夜なので周囲はひどく暗かったが、そう遠くない場所に街灯や町の灯が見えたので、ひたすら其処を目指して走った。
 傍に置いてあったデイパックを抱えてではあるが、この時のキョンならば短距離・長距離ともに新記録を叩き出せたに違いない。
 そうして大した時間も経たず町中に入り、息も切れ切れになった今、灯りが点いているビルの中にまさしく転がり込んだ。
 外からは四、五階の高さがあるように見え、入ってみると一階のかなりのスペースが荷物置き場に使われているようだった。
 商品の搬出口なのかも知れないが、とにかく身を隠せそうな場所が多いのは有り難かった。
 壁の様に積まれたダンボール箱の裏側に回り込み、がくりと膝をつく。 心臓がひどくテンポアップしているのは、全力疾走を長く続けた事だけが理由ではなかった。
「落ち、つけ、落ちつ、け、落ちつけ……!」
 苦しい胸を抑えながら、自己暗示の効果が出ることを願って何度も呟く。
 とりあえず屋内に逃げ込むことで危険な状況から脱することは出来たが、彼に精神的動揺を引き起こす原因の一つは未だ解消されていない。
 二つに別たれた谷口の無残な姿が、キョンの脳裏に強く焼き付いていた。
 涼宮ハルヒと出会い、SOS団お馴染みのメンバーが揃ってから、キョンは度々超常の事件に巻き込まれている。
 その中で生命の危機を感じることは何度かあったし、見慣れたクラスメートが直接的に彼の命を狙ってきたこともあった。
 だがそんな時は必ず長門や古泉といった、やはり通常でない知人達が最悪の事態に陥るのを防いでいてくれたのだ。
 しかし今回は既に取り返しのつかない事態が起きている。
 かつて朝倉涼子が光となって雲散霧消する様を見たことがあったが、鮮血と異臭にまみれた友人の最期は、それよりも遥かにリアリティを伴ってキョンの精神を揺さぶった。

(こんなんじゃまともに考え事も出来ねえ……!)
 首だけになってこちらを見詰める谷口の虚ろな瞳が、頭から離れない。
 深呼吸を繰り返し、何度も「消えろ」と念じる。
 残念だが彼の事は最早どうしようもなく、いつまでも囚われて冷静さを失っていればキョンも後を追うことになるかも知れない。
(消えろ、頼む、消えろ……!)

 ──おいおい、こんな目に遭った親友に対してそれはないだろ!?

 そんな声が、聞こえた様な気がした。
(後で線香あげてやるから! 今はこっちのことで手一杯なんだ! 頼む、消えてくれ!)
 もはや自分の気を落ち着かせると言うよりは、友人の成仏を願う気分で手すら合わせ、キョンはひたすら念じ続けた。
 どれぐらいそうしていただろうか。
 全力疾走の余韻もあって破裂しそうだった心臓もやがて落ち着き、思考は徐々にクリアになってきた。
 谷口の最期の光景はどこか脳の端に追いやられ、他の事を考える余裕が出てきた、様に思える。
「よし……」
 キョンは頬を叩いて気合を入れ直した。 これからは自分が生きる為に行動しなければならない。
 死んでしまえば線香を上げられる側に回ってしまうのだから。
 取り合えず、ずっと抱えて走って来たデイパックの中身を確認することにした。

 入っているのは名簿や地図など、大体ゼロとかいう男が説明した通りの物だ。
 名簿の中で分かるのは、やはり自分ほかSOS団の面々と朝倉・谷口の名前だけだった。
 朝倉がいる事に少々疑問を感じなくはないが、長門や喜緑といい、宇宙人を名乗る彼女達の事は元よりキョンの理解の範疇を越えている。
 参加者の選抜基準を予想することも難しかった。 あの暗い部屋には様々な制服を着ている者がいたし、小学生程度の子供まで混じっていた。
 それにやたら目鼻立ちの良い外国人も何人かいて、およそ統一性に欠ける顔ぶればかりだった。 共通点と言えばみな若いこと、程度しか思いつかない。
 名簿を睨んでいても特に新しい発見は得られず、地図の方に目を移す。 しかしこちらも今は町中にいるという事以上は判らないので、現在地の特定が出来ない。
(五里霧中か…… いやいや、状況は自分で作りだすもんだ)
 この上はランダム支給品に期待を託そうと、再びデイパックを覗き込む。 しかし程無く視界に入った物体に、
「なんだこりゃ……?」
 キョンは思わずそんな声をあげていた。
 まず目に映るのは、綺麗な光沢を放つ大きな刀身である。
 そこだけを見ればマンガやゲームなどでよく見る西洋の剣の様であり、根元に普通の柄が付いていればまさしくその通りの武器になるだろう。
 しかし、その柄に当たる部分がおかしい。 オートマチック型拳銃の形をしているのである。
「……はぁ……?」
 戦争映画などで銃剣を装着したライフルを見かけることがあるが、それとは明らかにバランスが異なる。
 試しにパックから取り出してみたが、ひどく扱い辛いシロモノであるという事が解かっただけだった。
 剣の様に振るうには持ちにくい形をしているし、銃の様に狙いをつけても刀身の重量のせいで姿勢維持が困難だ。
 それ以前に、銃口が何処にあるかも分からない。
 ゼロが支給品には当たり外れがある様なことを言っていたから、もしかすると外れ武器なのかも知れない。
(……訳が分からん)

 背後から物音が聞こえたのは、落胆しながらその珍妙な得物を脇に置こうとした、その時だった。
「誰だ!」
 キョンの反応は素早く、すぐさま身を翻して油断なく銃剣を構えた。 どう扱うものかは知らないが、取り合えず切っ先を相手に向けていれば威嚇にはなるだろう。
 暫くの間、誰何に対する反応は何も無かった。 しかし、三、四メートル離れた角の向こうから人の影が伸びている。
 支給品の確認に夢中で入って来たのに気付かなかった──という馬鹿な話はなく、おそらくキョンよりも先にこのビルにいたのだろう。
「影が見えてる。 誰かいるのは判ってるぞ」
 冷や汗が流れ心臓は早鐘の様に高鳴っているが、これまでに見た映画やら何やらを思い出しながら出来るだけ強い声音を出した。
 張り詰めた緊張感の中でさらに数秒の沈黙が続いた後、姿を見せない何者かはようやく「ええ、いるわ」と女の声で答えた。
 キョンはごくりと唾を飲む。 その音が相手に聞こえていないか不安になった。
「よし、こっちは銃を構えてる。 武器を置いてゆっくり出て来てくれ」
 本当は銃なのかどうかも疑わしいが。
「出て行って撃たれない保証は?」
「そりゃあ……無いが。 いやちょっと待て、俺は殺し合う気なんてないぞ」
「口で言われたって信用できる筈ないでしょう」
 もっともである。 女の方こそこちらを油断させて、不意を突いてくる可能性はいくらでもあるのだ。
 およそ身内以外は信用できない現状に改めて慄きつつ、キョンは二秒ほど思考した。
「なら、この場は痛み分けといこう。 俺はそこから出て行くから、その間動かないでくれ。 お互い信用できないなら、黙って別れるのが一番だよな?」
 その提案に女はまた少しの間黙り込んだが、やがて「そうしましょう」とだけ答えた。
「よし、動くなよ」
 キョンは角の向こうから注意を逸らさず、何とか片手で奇妙な武器を保持したまま、取り出したあれやこれやをデイパックに放り込んだ。
 そのまま口を閉めず担ぎ上げ、後ろ向きに出入り口の方へ歩いて行く。
 女の影に動きは無い。 やはり銃を構えているというハッタリは正解で、相手の武器にもよるが、もし襲って来られたらこの得物で撃退できるかどうかは疑わしかった。
 慎重に、しかし足早に出口に向かう。 ドアノブに手をかけ、「じゃあ出るぞ」と言い残し、再び街灯が照らす夜の闇に足を踏み出した。
 後ろ手にドアを閉め、ほっと一息つきそうになるが、思い直す。 あの女がこちらに危害を加える気ならまだ追って来てもおかしくはなく、もう少し距離を取るまでは油断出来ないだろう。
 今度はどこかの家に入ってきちんと戸締りをしようと考え、キョンは背後に注意を払いながら歩き出した。
「……やれやれ」
 自然と溜め息が漏れた。
 早くハルヒ達に会いたいものだ、と思う。 こういう状況で最も頼りになりそうなのはやはり長門だろう。
 みくるは頼りにすると言うより、守ってやらねばならないという気持ちの方が強い。 闇夜の中で右往左往している姿が目に浮かぶようである。 
 我らが団長ハルヒなどは、正直この事態を楽しんでいそうな気がしないでもない。 谷口の時は流石に顔色を変えていたが、あのメンタリティでは今頃「謎の組織の陰謀を暴くわよ!」とノリノリになっていてもおかしくはない。
 前向きなのは結構だが、キョンとしてはもはや笑い事では済まされない状況なのだ。
 古泉に関しては未知数なところがある。 勿論早く会えれば越したことはないが、どうやら彼の超能力は極めて限定的な状況下でしか使えないらしい。
 現状がそれに当て嵌まるかどうかはキョンには知り様の無いことであり……

   そこまで考えて、ふと思い付いた事があった。
 その内容に他の思考は停止し、足も止まってしまう。

   まさか、ハルヒがこの世界を望んだのか?

 キョンの今までの経験からして、"目が覚めたら別の場所にいてとんでもない事が起こる"という展開はハルヒ絡みの事件であることが多い。
 長門や古泉あたりが言うには、ハルヒは自分の思ったことを実現させられるという非常識な力の持ち主であるらしい。
 それは日常の些細なことに影響しているかも知れないし、時に閉鎖空間とかいう奇妙な世界を作り出したりする事もある。
 ならば、ハルヒが小説なり映画なりの影響で、自分の生命が脅かされる様な危機的状況に妙な憧れを抱いたとしたらどうだろう。
 それも事故や災害の類いではなく、他者との殺し合いという具体性を持っていたとしたら。
 根拠の無い想像である。 だが否定する根拠もまた無い。 現実がハルヒの望み通りに変わるのだとしたら、そもそも根拠という言葉に意味など無い。

 キョンは自分の考えに慄然とし、暫し立ち竦んだ。
 だから、背後から足音が聞こえても迅速な対応が出来なかった。
「えっ」
 と振り向いた時には、知らない女がほんの一メートルほどの距離にまで迫っていた。
 金髪に近い明るい色の髪、何処かの学校の制服らしき服装、手には槍の様な武器。 一瞬で見てとれたのはそこまでだった。
 キョンは反射的に例の銃剣を振り上げたが、その切っ先は女の槍であっさりと払い除けられた。 直後に放たれた鋭い突きは、過たずキョンの身体に突き刺さった。
 身体の中に冷たい金属が潜り込んで来る異様な感覚。
 女は自分の一撃が致命傷を与えたと見ると、キョンに近付き、その身体を無造作に足の裏で押し退けた。 仰向けに倒れていくキョンの視界に、自分を刺した凶器が一瞬だけ映る。
(……またナイフかよ)
 そう思った直後、背中に大きな硬い壁がぶち当たった。 それがアスファルトの地面である事は分かっていたが、受身も何も取らず脱力したまま倒れた時の衝撃は、思いのほか強いものだった。
 思わず閉じた瞼を、またゆっくりと開く。 すると視界いっぱいとは言えないが、夜空が広がっていた。
 大した都会ではないせいか、思いのほか星が多いことに今になって気付いた。
 刺された傷が熱くなり全身から汗が滲み出るが、反対に身体の奥底は冷たくなっていく奇妙な感覚。 
 血が止め処なく溢れてきて、それと同時に全身の生気も抜け出ていく様だった。
「……無理かな」
 もはや自分が助かるとは思えず、ぽつりと呟く。 するといつの間にか脇に立っていた女が「ええ、無理よ」と答えた。 その声は間違いなくビルの中で聞いたものだ。
 女は能面の様な無表情のまま、さらに言葉を続けた。 キョンに向かってと言うより、独り言に近いかも知れない。
「どうせ、死ぬのよ。 あなたも、私も、孝も。 誰も助からない」
「……そうかよ、つまんねえ奴」
 何だかムッときて、吐き捨てるように言ってやった。
 そんなつまらないオチは御免だと思ったが、キョン自身はもう女の顔も見えなくなってきていた。 少なくとも一人は確実に助からない訳だ。
 脳裏にハルヒの顔が浮かぶ。 あいつがこの事態の元凶なのかどうかは判らない。 ただ出来れば、誰も死なないで済むような世界を祈ってくれていると助かる。
 それがキョンの最期の思考だった。 まるでテレビの電源を切ったかの様に、全てがプツリと暗転した。
 宮本麗は自分が殺した男の死体を無感動な瞳で眺めていた。
 何の感慨も湧かない。 初めて"奴ら"ではなく生きている人間を、それも恨みも何も無い見知らぬ男を殺したのだが、予想していたような精神的動揺は一切無かった。
 むしろ最初の一人はテストのつもりだったので、巧く出来たという満足感すら覚えていた。
 男を殺した凶器は即席で造った槍だ。 ビルで見つけたモップの柄に、支給品のサバイバルナイフを紐やらテープやらできつく固定してある。
 外す時は面倒そうだが、公安の父親に銃剣道を教わり、学校では槍術部で好成績を残す麗にとって、最も手に馴染む武器の形であった。
「まあ…… どうせ、みんな死ぬんだけどね」
 刃に着いた血を拭き取りながら、先程と同じことを呟いて自嘲気味に笑う。 麗を知る者が今の彼女を見たならば、その豹変ぶりに目を剥くだろう。
 藤美学園に溢れ返る"奴ら"。 恋人の死から始まった、明日をも知れぬ決死の逃避行。 秩序を無くした世界で、好き勝手に動き回る人間達。
 立て続けに起こる様々な出来事は麗に深刻なストレスを与えていたが、それでもまだ彼女の心はなんとか形を保っていることが出来た。
 そこに止めを刺したのが、このバトルロワイアルだった。 "奴ら"が世界中に蔓延してまさしく人類の危機と言うべき事態なのに、理由も解からず拉致されて殺し合いを命じられるという異様な状況。
 負荷の溜まっていた少女の心を押し潰すには充分だった。
 他校の制服を着た誰かが首を飛ばされた時、麗は悟ったのだ。 自分も孝も仲間たちも、どう足掻いても死ぬ運命にあるのだ。
 必死に生き延びようとしても、死神は自分達を捕らえるために様々な罠を用意して、そこから逃げることは出来ないのだと。
 それは完全な諦観であり、それ故に彼女の心に一つの願いを生み出した。
(せめて死に方ぐらいは選んでもいいわよね?)
 幼馴染であり新しい彼氏でもある小室孝と心中すること。 それが麗にとって、この絶望的状況下における最後の希望だった。
 その為には色々と踏まえねばならない条件があることも解かっている。
 まずは、孝が他の参加者に殺されるのを防ぐこと。 高木や平野達はどうか判らないが、名簿に載っている知らない名前の連中は誰しも孝を手にかける危険性を秘めている。
 見知らぬ人間を発見したら可能な限り殺していくのが正解だと、今の麗はそう考えている。
 そして知人であっても、毒島冴子だけは絶対に生かしておけない。 ほんの少し別行動している間に、孝と彼女の関係が変化している事は敏感に察知していた。
 あの女がいる限り、孝と安心して逝くことは出来ないだろう。
(絶対に見つけるからね、孝)
 決意に満ちた麗の顔は、まさしく恋人を想う女のものであった。

 それから暫くの時間が経った後、麗の姿はそこには無かった。
 ただ中身を漁られたデイパックと、その持ち主であるキョンの遺体、あとは麗にも役立たずと見なされたガンブレードだけが、寂しく夜風に晒され続けていた。


【キョン@涼宮ハルヒの憂鬱  死亡】
【C-1 町/一日目・深夜】
【宮本麗@学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD】
[状態]:健康
[装備]:即席の槍(モップの柄+サバイバルナイフ)
[道具]:共通支給品一式、ランダム支給品×1〜4(キョンの物も含む、確認済み)
[思考・状況]
基本方針:毒島冴子を殺害した後、小室孝と心中する。
1:道路沿いに南下する。
2:毒島冴子は必ず殺害する。
3:他の参加者は殺せそうなら殺す(高木など知人については未定)。

※C-1の町中にキョンの遺体があります。
※キョンの遺体の傍にハイペリオンが落ちています。

【ハイペリオン@FF8】
サイファーが持っていたオートマチック型のガンブレード。

【サバイバルナイフ@現実】
市販の物。



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