真昼の夜
夜に閉ざされた世界には暴虐だけが存在していた。
日は高く、陽光は穏やかにその地を包んでいる。
しかし光が世界に溢れる程に、潜む闇もまた夜の世界以上に濃く在った。
真昼の町並みから隔離されたが如き、薄暗い路地裏の奥地にて。
響く足音は薄汚れたビルの壁を跳ね飛び、空のむこうに消えていく。
少女、春原芽衣は細い路地を一心不乱に走っていた。
昼間であるにも関らず、ビル陰に包囲された薄暗い路地裏。
そこは建造物が構成する樹海であり、真昼に潜む夜でった。
一種の迷宮に囚われた芽衣には、とうに正確な現在地など分らなくなっている。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
吐く息は荒い。目は常に周囲の危険を探っている。
小さな手は汚れた壁に当てられて、崩れそうな身体を支えている。
服は砂や埃で汚れ、壁の汚れが伝播した手は真っ黒になってしまっている。
それらに一切頓着しないほど、今の芽衣には余裕が皆無であった。
「はぁっ……い、痛ぅっ……!」
わき腹と背中にズキズキと鈍痛が走る。
上がりきった息を整えることも出来ず、芽衣は眉をきゅっと寄せた。
頬を伝う冷や汗が地面にポタポタと落ちていく。
「痛い……よ……」
泣き言が、震える唇からこぼれ出す。
最初からこんな路地裏を彷徨っていた訳ではなかった。
日のあたる場所を歩んでいた筈だった。
混乱によってあやふやになっていた記憶から思い起こせることは、
突然、殺し合いをしろと言われた。そして人が死んだ。
あまりにも唐突に巻き起こった事態、そして突如飛ばされた見知らぬ街中。
訳のわからない状況の中を彷徨っていたとき、突然背後から何かが背中に叩きつけられたこと。
強烈な痛みと衝撃に耐えながら、襲ってきた相手の顔を見る余裕も無いままに逃げ出して。
なおも追いかけてくる笑い声から無我夢中で走り続けたことだ。
今はただもう一度、日の光の照らす場所へ戻るために、薄闇の中を進んでいる。
「……痛い」
痛い、怖い、辛い。
芽衣の脳裏はそれらの言葉で占められていた。
追ってくるモノの正体が分らないことが。何より芽衣を追い詰めていた。
耐え切れないように、ふとした拍子に足を止めかけてしまう。
「…………!?」
しかしそんなとき、
何かを倒すような、何かを落とすような、軽い音が聞こえてくるのだ。
致命的に近くはない。だが、そう遠くない距離から聞こえる。
否、それは近い。近づいてくる。
「…………ひっ!」
コツ、コツ、コツ、と。
小さな足音が背後から忍び寄ってくる。
背後に広がる闇の中から、
先ほど芽衣の背を切り裂いたモノの正体がやってくる。
死が、追ってくる。
「いやっ!」
拒絶の声を上げて、芽衣は止まりかけていた足を必死に動かした。
尽き果てようとしていた体力を振り絞って走る。
「嫌っ! 嫌ぁっ! 嫌ぁぁぁぁっ!!」
走って。走って。走って。走って。
走った。
恐怖に突き動かされるままに。
暗がりの中を手探りで駆けた続けた。
「…………ぁ!」
そうしてようやく、細長い路地のむこうに、日の光に満ち溢れた大通りが見えた。
安堵が芽衣の全身を満たし尽くす。気がつけば背後の足音も止んでいた。
張り詰めていた緊張が一気に解けて、つい膝をついてしまって、ぶわりと涙がこぼれだす。
もう少し、もう少しでやっと悪夢から逃げ切れる。
そう思って、震える膝にもう一度力を込めようとするものの、上手く力が入らない。
「もうちょっと……もうちょっと、だからぁ……!」
一度抜けてしまった力は容易には戻らない。
安堵が急激に薄れ、またしても怖気が全身を苛み始める。
「お願い……動いてよ……!」
どうしよう。このまま立てなければ、どうなるのだろう。
またあの足音が聞こえてくれば今度こそ。
などと想像するだけで、ガチガチと歯が鳴ってしまう。
そんな時、視界に、人影が見えた。
それは芽衣にとって、希望の光に見えた。
何故ならその影は後ろではなく、前にいたのだから。
闇の中から追ってくる影ではなく。
日の光で満ち溢れた大通りから、この薄暗い路地裏へと踏み込んできた影。
救いの使者。
その影は少女の形をしていた。
どこかの学校の制服に身を包み、亜麻色の髪を後ろで纏めてポニーテールにしている。
年は芽衣よりも少し上くらいだろうか。
芽衣には気がついていない様子で、少女は路地裏を不安そうに歩いてくる。
「……あ、あのっ!」
有らん限りの勇気を振り絞って、芽衣は少女に呼びかけた。
ポニーテールの少女は驚いたように立ち止まる。
しかしすぐに芽衣の姿と怪我に気がついたようで、はっと口元に手を当てながら駆け寄ってきた。
「ど、どうしたの!?」
「わたし、追われてて……! とにかく逃げなくちゃいけなくて……!」
助けてください、と。芽衣は縋る目で少女を見つめた。
少女は一瞬たじろぎつつも、芽衣の手を取った。
貸してくれた肩に掴まって、芽衣は歩いた。
一歩、また一歩と。
細長い路地に、二人分の足音が響く。
「ありがとう……ございます……」
痛みを堪えながら、芽衣は礼を言った。
少女は返事を返さずに、前だけを見ていた。
その瞳は、心なしか少し揺れているように見える。
路地裏を抜けるまで、あともう少し。
「私、春原芽衣……です……」
「私は、平沢憂」
互いの名を名乗りあう。正体を教えあう。
それだけのことで、芽衣は心の底から安堵することが出来た。
路地裏を抜けるまで、あと十歩も無いだろう。
もうすぐ、日の光に手が届く場所へ――
「……っ……」
けれど、そこまでだった。
不意に、唐突に、歩みが止まった。
平沢憂が、足を止めていた。
「……平沢、さん?」
彼女は無傷でありながら、芽衣よりも強烈に痛みを感じているかのように、表情を歪ませていた。
唇を噛み締めて、悔いるように震えながら。
何かを振り払うように、かぶりを振って――
甲高い炸裂音が鳴り響いた。
それはあまりにも、突然だった。
少なくとも芽衣にとっては。
「……ぇ?」
芽衣はゆっくりと視線を下げて、音の発生源たる自分の腹部を見下ろした。
そこには黒いものが押し付けられていた。
密着していた平沢憂の手が握る、無骨な銃が当てられていた。
じわりじわりと、芽衣の腹部が赤く染まっていく。
信じられない。
信じたくない、と芽衣は思った。
小さく動く唇が、掠れた声を搾り出す。
「どぉ……してぇ……?」
芽衣はお腹を押えながら後ずさり、
ビル壁に血糊を擦り付けながら倒れていく。
見開かれた目が間近にあった平沢憂の横顔を見つめた。
平沢憂は、眼を逸らした。
彼女は銃口を芽衣に向けていながら、明らかに加害者の立場にいながら。
まるで芽衣の瞳を恐れているかのように。
「い……や……!」
果たして、その声はどちらが発した言葉だったのか。
しかし再度、銃声は鳴った。
今度は喉元に風穴が開いて、びゅっと真紅が溢れ出す。
芽衣は激痛に襲われ、地面を這いつくばりながらも手を伸ばした。
路地裏の出口、その目に映る日向の世界へと。
もう少しでたどり着けた筈の帰るべき場所へと、彼のいる場所へと。
「……おにぃ……ちゃ……」
最後の銃声が鳴った。
弾けた脳漿と頭蓋の欠片が、コンクリートの壁にへばりつく。
そうして、事は終わる。
意識が暗転する刹那、春原芽衣は見ていた。
自分を殺す少女の、その酷く怯えたような表情を。
ただそれに関して何かを想う暇すら与えられず、
芽衣の意識は、そこで永遠に停止した。
【春原芽衣@CLANNAD 死亡】
【残り56人】
◇ ◇ ◇
平沢憂は暫くの間、その惨状の前に立ち尽くしていた。
「…………っ!」
自らが為した残虐な所業から目を背けて。
溢れ出す苦痛を飲み干すために、ギリギリと歯を食いしばる。
銃を握っていない側の手を、爪が皮膚を食い破る程に硬く硬く握り締めた。
「…………ッ!!」
悔いていた。
名乗らなければよかった、と。
最初から迷わずに、出会ってすぐに殺していればよかった、と。
嘘の希望を与えて、それから奪って殺す残虐。
そんなことが、したかったワケではないのに。
「ごめ……」
震える声で何かを言いかけて、口を噤む。
言う資格は無い、と憂には思えていた。
目をぎゅっと閉じて、身を震わせる。
そうやって全ての感情を飲み込んでいった。
外へとあふれ出していこうとするモノを、内側へと留めていた。
どれくらいそうしていただろうか、
やがて平沢憂は一人、背をむけて、歩きだす。
鼻を突き刺すような異臭と、死した少女を残して暗い路地裏を後にするべく。
細い路地の向こう側に見える、春原芽衣が辿りつけなかった日の光の下へと、出て行こうとして――
「ねえ、お姉さん」
それを引き止める、無邪気な声が――
「そんなに急いで、どこへ行くの?」
憂の背後、死体の背後、路地裏の奥の奥の更に奥。
より深い闇の底から追ってきた。
ピクリと身を硬くして、憂は進めていた足を止める。
「せっかちは損だと思うわ。こんなにもいい香りがするのに」
憂は焦りを隠しきれないままに、その場で身を捻り振り返る。
亜麻色のポニーテールが空を滑り、制服のスカートが軽く翻った。
銃を握った手が、暗がりの奥に伸ばされる。
憂は跳ね上がる動悸を感じながら、闇の世界の奥地へと、再度つま先をむけた。
「ねえねえ、少しお話をしましょうよ?」
コツ、コツ、コツ、と軽い足音が響いてくる。近づいてくる。
足元、膝元、胸元、口元、順に、
黒い闇の底から、声の正体が姿を現した。
「別にあなたを取って食べたりしないわ。嘘じゃないわ、ほんとよ?」
薄闇の中でも輝きを絶やさない、プラチナブロンドの長い髪。
人形のように整った、愛らしい顔立ち。
ゴシックロリータの衣装に包まれた、透き通るような白い肌。
汚れた空気を浄化するかのような、幼い声音。
それはまるで、天使のような少女だった。
「こんにちは、お姉さん」
しかし憂は、一目見ただけでぞっとした。
見た目が幾ら美しかろうと。
これの内に潜むものはきっと、おぞましい何かなのだと直感する。
「…………あなた、だれ?」
銃を握る指に、より力が加わっていく。
「ふふふっ、怖がらなくてもいいのに……」
臆すことも無く少女は微笑む。
果ての無い闇を背後に湛えながら。
灰色の瞳に爛々と喜色を浮かべながら。
憂の目の前に立っている。
「あなたに取られちゃったみたいね、その子。ちょっと残念。
私ったら、少し追いかけっこを楽しみすぎていたみたい」
すっ、と。少女は路地裏の片隅に捨てられているものに視線を移した。
血の臭いを充満させる、少女の死体を見下ろした。
まるでお気に入りの玩具が壊れてしまったかのように、切なげな表情で。
「背中を撫でてあげたら、すごく懸命に逃げてくれたのよ?」
少女は死体へと近づいていく。
銃口がそれを追っていくのにも、少女は頓着する様子が無い。
「傷つけられて、血を流して、それでも必死でここまで逃げてきたのに」
少女は死体のそばに膝をついて、その損壊をじっと眺め回した。
「ここで出会ったあなたに助けを求めて、殺された……」
少女は死体に触れていく。
「まずは、お腹を撃たれたのね。
でもそれだけじゃ死ねなくて、痛くて痛くて、泣きながら尻餅をついたんだわ」
真っ赤に染まった腹から、首もとへ指を這わせていく。
「そのあと、ここを撃たれた。喉元を撃ちぬかれて、穴の開いたポンプみたいな音が鳴るの。
ぴゅーって! でもまだ終わりじゃない」
そして、欠けた顔に触れる。
一つ欠けた頬、一つ欠けた瞳。
かつてそれらが在った場所を優しく撫でた。
「綺麗なお顔すら、この子は残すことが許されなかった。
ああかわいそう、なんて哀れなのかしら」
ぎし、と。憂の胸の中で音が鳴る。それは軋む音だった。
少女の言葉に悪意や責める色はない。ただ事実を述べただけのこと。
しかし少女が発した言葉の意味は無数の不可視の刃となって、憂の胸を抉っていく。
刃が胸に突き刺さるたびに、憂の肩が小さく震えた。
押し込めていた強烈な吐き気が再発する。
「でも変ね。お姉さんは悲しんでるわ。
その子を殺したくせに、その子が死んで悲しんでる。
隠さなくってもわかるの。お姉さん、ホントはとってもいい人でしょう?
私、そういうのを見分けるのは得意なの」
そうして、少女は唐突に興味を無くしたように死体から離れ。
憂の目の前までトコトコと歩いてきた。
悪戯っぽい笑みを口元に湛えながら。
まるで壊れた玩具に飽きて、その代わりに新しい玩具を見つけたような喜色を纏い。
「ね、どうして、殺したの?」
息が掛かるほど顔を寄せる。
揺れる憂の瞳を、得体の知れない少女の瞳が覗き込む。
「こんなの分りきったことだけど。なんだか私、あなたの口から聞きたいの。
私は『あなた』に興味があるんだもの。だから知りたいわ。あなたを知りたいわ。
ここで会ったのも何かの縁って、どこかの国の言葉で言うじゃない?」
無邪気な、好奇心に満ちた瞳が。
それでいて熱っぽく、舐めるよう視線が。
「教えてよ? ねえ、お姉さん。教えてよ?」
無垢と淫靡が同居した眼が。
憂の奥底にあるモノを見透かすように、見つめてくる。
「わ、私、は……」
魔眼を前に、憂は唾を一つ飲み込んで。
まるで魅了されたかのように、唇を動かしていた。
その根源を引きずり出されるかのように、言葉を発していた。
「私は……お姉ちゃんに……」
後悔する。しかしもう遅かった。
一度、口をついて出てしまったものは戻らない。
堰を切ったように、それは流れ出していく。
「生きていて……欲しいから……」
「……ふぅん」
それは願いだった。
誰よりも大切な家族。
誰よりも近しい人が、生きていられるように。
いつまでも、日の当たる場所を歩いていられるように、という。
ただそれだけの。
「お姉ちゃんを守りたいから……」
それを見守る日々こそが、平沢憂の幸せだったのだから。
だから失われてはならない。
絶対に失ってはならない。
命を掛けてでも、命を奪ってでも、守らねばならないと信じていた。
きっと泣かせることになるだろう。悲しませることになるだろう。
優しい人だから、正しい人だから、素敵な人だから。
それは、誰よりも憂自身が知っていた。
だけど、だからこそ。
「私が、やらなきゃ……」
優しさを知っていればこそ。
平沢憂は非道になる必要が有った。
「私しか、いないから……」
正しさを知っていればこそ。
平沢憂は間違える必要が有った。
「私は、お姉ちゃんの妹だから……」
素敵な人を守る為だからこそ。
平沢憂は汚れていく必要が有ったのだ。
「だから、私は……!」
きっと、人として致命的に間違えている。
こんな理由なんて言い訳にならない。
免罪符にはならない。
しかしそれでもいいと、憂は思っていた。
「間違っていたとしても、私は……!」
間違えていてもかまわない。
罪を犯しても構わない。罰を受けたって構わない。
誰にも、理解されないくてもいい。
平沢憂ただ一人がそう決めて、あの人を守ることが出来ればそれでいい。
そう、思っていた。その思いを叫んだ。
「……ぷっ、くっ!」
だというのに、
「ふふふっ♪ あは、あっはは、あははははははははははっ♪」
そんな憂の姿を見ながら、少女は笑っていた。
これまでで一番楽しげに笑った。
心の底から愉快そうに。
これまで以上に歪んだ口もとを隠しもせず。
笑って、哂って、嗤って、わらう。
それはまるで、悪魔のような少女だった。
「……っ……なにがっ!?」
「ごめんなさい。でも可笑しいの。とても可笑しい。お腹が捩れそう」
少女は目尻に涙すら浮かべて笑っていた。
「あなたがとっても愉快なことをいうものだから。
そう、そうなの、守りたいから人を殺したの?
あははっ、まさかとは思ったけど、本気でそんな答えが聞けるなんてね。
このお祭りのことが、なんだか少し分ってきたわ。
ええ、楽しくなりそうよ兄様!
こんな人がいるならきっと、もっともっと色んな人とも遊べるわ!」
未来への期待。まだ見ぬ新たな出会いを夢見て笑う。
そんな異常たる様相を最早曝け出している少女の姿を見て、憂は更なる怖気を感じた。
同時に動悸はこれまで以上に跳ね上がる。
想いは、誰にも理解してもらえなくても構わないと思っていた。
けれどこんな少女に笑われるいわれは無く、ましてや――
「お姉さんは――あなたはなにも、間違えてなんかいないわ」
肯定されるなど、もっての他だった。
「やりたいことのために殺す。殺せばいいの。ええ、そうよ。
殺す必要があるなら殺せばいいの。殺す理由が無くても殺せばいいの。
殺すか殺されるか、この世界はそれだけだもの。
だからそんな小難しい言い訳や理屈付けなんてしなくていいのよ?
やりたいことをやったんでしょう? 殺したいから殺したんでしょう?
殺されちゃったら、はいオシマイ。ほらね、そうだったでしょ?」
これまでとは明らかに口調を変えて、呼称を変えて少女は言った。
そういう世界を、選択したんでしょう、と。
捨てられた死体を指して、諭すように少女は言った。
示されたそれは、銃創によって無残に食い荒らされたそれは、
今しがた少女が語った理論を忠実に体現している。
「……うっ」
吐き気を堪えきれず、憂は身体を折り、口元を手の平で覆った。
いまさら血の臭いに当てられた訳ではない。
ただ、気持ち悪かった。この少女に認められることが。
今まで間違っていると信じていた事が、正しいと認められたことが。
「そうよ。殺したければ殺せばいいの。やりたいことをやればいいのよ」
守りたい。
心のどこかで、憂が間違っていると信じていたその思い。
間違っていながら、綺麗な宝石のように輝いていたはずの感情。
けれどそれは、実のところ何よりも正しい絶対のルールであると同時に、
死臭にまみれた、摂理のそれだと知らされた。
腐りきった理論の中に、いま平沢憂は立っているのだと。
「こちらの世界へようこそ。心配しなくてもいいわ。
それはそれで楽しいのよ? だって楽しまなくっちゃ損じゃない? そうでしょう?」
少女は笑顔で迎え入れる。
優しげな声で語りかける。
平沢憂を心の底から歓迎するように、両の腕を広げた。
「ね、ところでさっき、あなたはどこへ行こうとしていたのかしら?」
そして、悪戯っぽく微笑んだ。
「もしかして、そっちへ行こうとしていたの?」
憂の背後、路地裏の出口、日向の世界を指差して。
「ああ、いけないわ、いけないわ。そっちへは行けないわ。だって……」
――あなたはもう、こっちの世界の住人なのだから。
「お話できて楽しかったわ。また会いましょう、お姉さん」
そう、言い残して、少女は背後の闇へと消えていった。
暗幕の向こうへと戻るが如く、優雅なステップで。
はっとした憂が慌てて銃を構え直すものの、既に遅い。
暗がりの向こうへと、足音が遠のいていく。
言葉の後には無邪気な笑い声。
それは路地裏の闇の向こうから、いつまでも響いていた。
【B-2/一日目/日中】
【グレーテル@ブラック・ラグーン】
[状態]:健康
[服装]:普段着
[装備]:不明
[道具]:不明
[方針・思考]
基本:楽しいわ、兄様。
1:また会いましょうね、お姉さん。
[備考]
◆ ◆ ◆
後には一人、呆然と立ちつくす私だけが残された。
五分、十分、どれだけの時間、そうしていたかは分らない。
とにかく長い時間が経ってから、私はようやく我に帰ることが出来た。
黒い少女との邂逅、あれは夢だったのだろうか、と思うほどに実感がない。
現実味がなかった。
本当に、酷く幻想めいていて、悪夢めいていた。
だけど、目の前には一人の女の子の死体がある。
この死体が一番重要なことを現実に映し出している。
殺した。そうだ、私が殺したんだ。
これは現実だ。
私は人を殺した。
夢でも、幻でもない。
紛れもない私の意志で、人を殺したんだ。
あの女の子に語られた言葉の数々は殆ど理解できないし、したくなかった。
だけど、笑い声がいつまでも耳元に聞こえてくる。
分ることは、少しだけど確かにある。
もう引き返せない。
ここから先に進まなくちゃいけない。
辛くても、苦しくても、やらなくちゃいけないってこと。
だから私は今度こそ、死体と路地裏に背をむけて。
――そっちへは行けないわ。
耳の中で響いたその声を振り切って、大通りへと進み出た。
一瞬、日差しがやけに眩しく感じたのはきっと、暗い路地裏に長くいすぎたから。
ただそれだけの事なんだと、考えることにして。
【B-2/一日目/日中】
【平沢憂 @けいおん!】
[状態]:健康
[服装]:制服
[装備]:グロック26(7/10)、予備弾丸
[道具]:不明
[方針・思考]
基本:お姉ちゃんを守る。
1:強烈な不快感。
前話
目次
次話