「全ての人に「さよなら」……。迷い込んだラビリンス……私はどうすればいい? ……教えて。「すれちがい」「思い出」とどけ、私の気持ち。とどけ、私の想い。もう戻らない大切なもの、緊迫の一場面。これが最後のチャンス、確かめたい……あなたの気持ち。伝わる言葉、伝わらない想い。あの日の独白、永遠の一日、だけど……いつまでも続いていく、わたしの「いま」。そして明日へ……「スクールランブルフォーエバー」」






『……ナカムラ』
「はい」
 無線機のスピーカーから聞こえる声に、ナカムラは即座に反応した。
 海岸線から目的の島までの道のり、残りの距離は半分といったところか。
 前回、敵の哨戒船に撃退された地点まで、あと数分。
 今回は、こちらもそれ相応の“対策”はとってある。
「前回のようにいたずらにこちらの戦力を失うようなことにはならないだろうという程度の装備で、今現在目的地に向かっています。
 もちろん、敵戦力の概要がつかめていない今、安易にそれへの判断を下すのはためらうべきところかもしれませんが、どちらにせよこちらから出向くしか手は無いのです。
 とりあえず、RPGのような対戦車火気程度が敵の限界ならばこちらがその脅威にさらされるということはないでしょう」
 一年単位で買い替え、改修が加えられていた沢近家所有のヘリ――それは現代の最先端軍用ヘリに比べれば性能面では明らかに劣るが、
 一世代前のそれに比べれば僅かながら、そして民間レベルの機体に比べれば格段に機動性と運用面での性能において勝っている――10機の編隊で行われる今回の作戦は、
 ナカムラにとって二つの意味を持っていた。
 一つは、ナカムラの仕えるべき対象である沢近愛理の――もちろん生きていればの話だが――救出。
 そしてもう一つは、実の子のように可愛がり育ててきたスズキマサルへの弔い。
 だからこそナカムラは、しくじるわけにはいかなかった。
 与えられた任務以上の大切な何かを、ナカムラはやり遂げる必要があった。
「最優先事項はお嬢様以下そのご学友の救出。それがすみ次第、もしくはその任務の完遂の見込みがたち次第、
 可能な限りの戦力を用いて敵本陣への突入、および敵司令官もしくはその下士官の拿捕と情報の収集を行います。
 この作戦の許可は……」
『言ったとおりだ、ナカムラ。君は、君の思うとおりにしてくれ』
「……了解しました」
 それはきっと信頼の証。そう受け取ったナカムラは、この作戦をなんとしても成功させようという決意を新たにした。

 手に取ったSCAR(SOF Combat Assault Rifles)−Hの銃床を調節し、自らの長い腕にあう様に仕上げる。
 CQC(近接戦闘用)モデルであるため銃身が短く、建造物内での扱いやすさはピカイチでありH(ヘビー)タイプの――すなわちL(ライト)タイプの5.56ミリ口径のそれとは違い――7.62ミリ口径より放たれる銃弾は、
 少しばかりの遮蔽物ならものともせずぶち破ってくれるに違いない。
 もちろん、突撃銃一本ではいかにその性能が優れているとはいっても心もとない。
 サイドウエポンとして、ナカムラはジェリコ941の正規品を用意していた。装弾数が12発の40S&Wモデルではなく、15発の9ミリモデルだ。
 砂塵の中でも運用可能なように造られたそのイスラエル製の銃を、命中率の点で半ば神格化されたCz75の影響を強く受けた良い銃だとナカムラ個人は思い、愛用していた。
 ここ数年は実戦において使うことは無かったが、手入れを怠ったことはない。
 そしてナカムラは、その腕自体も錆付かせぬよう努めてきた。
 降下後の作戦行動について、できうるかぎりの準備は行っていた。
 もちろん、降下するまでの戦闘についても用意はしてある。
 流石にヘリ自身に機関銃を備え付けることはできなかったが、緊急の対応としてFNM249SAW(M249ミニミと呼ばれる機関銃の一種)を運用可能なようにヘリの機内に取り付けてある。
 支援火気としては軽量の部類に入るが、その性能には極めて高い定評がある。
 日本の企業でもライセンス生産されているが、あえてオリジナルを装備しているのは日本企業製のミニミには故障が多いという根拠の無い噂のせいではない。単に入手ルートの問題である。
 射程が長く、狙撃にも運用が可能といわれているそれをM27(200発箱型マガジン)と併用すれば、毎分1000発の発射速度は敵哨戒船にとって十分な脅威になるはずだ。
 短時間で用意したものとしては、上出来であった。
『第一警戒地点まで、あと三分! 隊長、このまま進みますか?』
「当初の予定通りだ。作戦の支障になりそうなものは、見つけ次第殲滅する。いいか、殲滅だ。それを全員に徹底させろ」
『……了解』

 パイロットからの通信に答え、ナカムラはその頭を本来あるべき姿――傭兵として、血の戦場を駆け抜けたときの姿――に、切り替える。
 しかし、今のナカムラには昔とは決定的に違うものがあった。
 かつて彼が仕えたのは、雇用主であり、さらにはそれから言い渡された命令。
 しかし今の彼にとって大切なのは命令の遂行ではない。
 ナカムラが今この場にいるのは、ナカムラ自身の意思。沢近愛理を救いたい。
 彼の身体を突き動かしているのは、紛れも無くその種の極めて人間的な感情であった。
「待っていてください。お嬢様」
 登りきった太陽の光が、ナカムラの右目に眩しくうつる。
 ナカムラは沢近の為なら、もうこの陽の光が二度と見られなくてもいいとさえ思っていた。

   ※   ※   ※   ※   ※

 高野を撃ち、この島の中で生き残った生徒が自分一人になった時、三原には静かに考える暇が与えられることは無かった。
 聞こえてきたのは、無駄に明るくこの島には不似合いな声。

『三原さん、優勝おめでとー! いやー、まさか貴女が優勝するなんて、意外や意外。先生達、だれもそんなこと予想して無かったよー。
 約束どおり、三原さんは矢神に無事に帰れます。ただ、帰りのヘリはホテル跡屋上のヘリポートにしか来られないから、そこまでは自分の足で向かってね。
 禁止エリアは解除してあるから安心して。それじゃ、後で会いましょう!』

 憎むべき対象の不愉快な言葉は、三原の心に何も残さなかった。
 生き残ったことに、嬉しさなど感じない。
 後悔するべきことが多すぎて、もはや何を思ったらいいかも三原にはわからなかった。
 高野を撃ったのも、結局は自分の都合のいいようにすべてを解釈した結果なのではないかと思えてくる。
 それならば、やはり自分が進むべき道は他の皆に続いて……。
「ニャア」
 足元から響く優しい声の主に、三原は顔を向けた。
 思えば、この猫とも奇妙な縁がある。この島で最初に出会ったのはララだったが、その時に一緒に出会ったのが伊織だ。
 そして、最後に残ったのも自分とこの黒猫。
 飼い主を失った哀れな猫と、友人達を失った自分が重なったように思え、三原はしゃがみこんで伊織の頭を撫でてやった。

 伊織は嫌そうな顔を見せたが、不思議と逃げようとしない。
 これではどっちがなだめられているのかわからないな、と三原は思い、力なく笑う。
「……ごめんね。こんな顔してたら、お前のご主人様に笑われちゃうね」
 伊織が同意するように、再び「ニャア」と鳴いた。
 八雲という優しい少女の事を思い出し、三原は自分の馬鹿らしい考えを否定する。
 それに高野にも約束したのだ。皆のことを忘れない、と。
 もしここで、自分で自分の命を絶ったなら、誰が皆のことを覚えていくというのか。
 罪の意識も。
 洗い流せない業も。
 全てを背負って生きていく。それから逃げることは、もう許されない。
 伊織を抱きかかえて、三原は立ち上がった。
 伊織は嫌がるそぶりも見せなかった。三原の腕のなかで丸まり、瞳を閉じる。
「お前も、疲れてたんだね」
 返事は無い。元々、返事を求めての問いではなかった。
 三原は高野の顔をもう一度見つめてから、埋めることもせず、立ち去る。
 最後に会うべき人と、会いに行く為に。
 彼女と対面したなら、自分の中で何が起こるか三原には予想できなかった。
 けれど、進むしかない。それが自分の責任であり、なにより、そうしなければ何も終わらないのだから。

   ※   ※   ※   ※   ※

 三原は一人で――正確には一人と一匹で――ホテル跡の前に立っていた。
 太陽は既に上がりきっている。
 時間的には空腹に悩まされてもいい頃合ではあるが、三原は食物はおろか水さえも口に含む気になれない。
 ここまでの道のり、三原は一つも言葉を漏らすことはなかった。
 全てはこの時、この場所で出会う人物に対して言葉を放つ為。
 それ以外に僅かでも声を出す力を使う訳にはいかない様な気がして、三原の口はここ2時間ほど閉じられていた。

 しかし、それももう終わりだ。
 三原の目の前には、丸二日ぶりにみる三人の姿があった。その他には、誰の姿も見えない。
 けれども、周りの茂みに護衛が何人もいる可能性もある。
 そう考え、三原は眼球だけを動かし周囲を探り――すぐに、その行為を止めた。
 無意味だからだった。例えこの先に何があったとしても、自分がすべきことは何も変わらない。
 身体の右半分にのみかかる僅かな重みを感じならが、三原は一歩ずつ、前に進んだ。
 応じるように、目の前の三人も歩き出した。先頭は女性だ。そしてあの三人の中に女性は一人しかいない。
 他の二人は死んでしまった。否、殺してしまったから。
 近づいたことでよく見えるようになった姉ヶ崎の微笑に、三原ははっきりとした嫌悪感を感じ取り、それが顔に出るのを隠すことは無かった。
「……せっかく生き残ったんだもの。そんな顔することないのに」
「本気で言ってるのなら、私、怒りますよ」
「今も怒ってるくせにぃ」
 ケラケラと笑いながら、姉ヶ崎は隣にいる郡山に「ねぇ?」と呼びかける。
 郡山は、はぁ、と力ない相槌をうちながら、横目で三原を見ていた。
 三原はその視線から意図的に逃れ、今度は谷のほうを見る。
 太陽の光がメガネに反射してその瞳を窺うことは適わなかったが、口元はきつく結ばれ、その手にはしっかりと銃(三原には知りえないことだが、彼がもっているH&K USPは姉ヶ崎より託されたものであった)が握られていた。
 そういえば、この三人の中で銃を持っているのは谷だけだ。
 他の二人は手ぶらで、どう考えても警戒心にかけている。
 いや、それ以外の手段を用いることで何時でもこちらを殺せるというメッセージか。
 そう感じた三原の意識は、自然と自分の首に存在し続ける不愉快な感触へと集中する。
「心配しないで、もう首輪は作動しないから」
 まるでこちらの心を読んだかのような姉ヶ崎の言葉に、三原は驚きで目を丸くする。
 姉ヶ崎は「私もそうだったから」と静かに呟き、また一歩、三原に近づいてから言葉を続ける。
「貴女は知らないんだもんね。私が、このゲームの経験者だってこと」

 三原は二度目の驚愕により一瞬だけ頭が真白になったが、すぐに思考を立て直す。
 なるほど、刑部先生が言っていた「姉ヶ崎が黒幕の一人」というのは、こういうことだったか。
「あんまり、驚いてくれないのね」
「私は既に一度、このふざけた殺し合いの経験者に会ってますから」
「ああ、アディエマスさんか。彼女も不幸よね〜。こんなゲームに、二回も参加することになるなんて」
「……彼女かこの学校にいたから、じゃないんですか?」
 兼ねてから心の隅にあった疑問を、口に出してみる。
 姉ヶ崎は首を左右に振り、それを即座に否定して見せた。
「まっさか! そんなことないわよ。第一、彼女が目的だったら、このゲームの参加者は貴方達じゃなくて1-Dになってたはずでしょ?
 彼女がこのゲームに参加することになったのは、その方がゲームが盛り上がりそうだから。実際、見物だったでしょ?」
 悪びれる様子もなく、姉ヶ崎が答える。
 三原は、腸が煮えくり返るような思いだった。
 彼女と行動をともにしたのは僅かな時間でしかなかったが、その僅かな時間の中でさえ、サラ・アディエマスという少女の優しさを十分に知ることが出来た。
 サラのような人がこの殺し合いの中に放り込まれたなら、その心に受けるであろう傷は想像を絶するに違いない。
 ましてやそれを二度も味わうとなると――それ以上、三原は考えないことにした。
「まぁ、前回は誰も殺さないで優勝だったから、期待はしてなかったけどね。
 ……意外性って点では、三原さんの優勝も十分に驚くべきことだけど」
 ニヤリと、全ての者を不快にさせるであろう笑いを浮かべながら、姉ヶ崎が囁く。
 いつの間にか、姉ヶ崎は三原が手を伸ばせば届く距離にまで近づいていた。
 この至近距離で銃を撃てば、どんな下手糞だって外すわけが無い距離だった。
「……もういいでしょう。姉ヶ崎先生」
 姉ヶ崎の肩に手を置いて、谷がそう告げていなかったら、姉ヶ崎は何時までも三原と話をしていたかもしれない。
 姉ヶ崎は「えぇ〜?」と不満げな声を漏らした後、谷の顔を見て、口を尖らせながら彼の後ろへと引き下がる。
 谷はそうする姉ヶ崎を寂しげに見つめたあと、表情を険しいものに戻して三原のほうへ向け、事務的な声で話し出す。

「とりあえず、ご苦労様と言っておこう。これから、ヘリが三原を迎えに来る。
 お前はそれに乗り、指定の場所へと向かってもらう。
 ……今回のお前の立場は、『バス横転事故の唯一の生還者』ということになる。
 バスが横転して崖に落ち、他の者は死体すら見つからない。その設定を守りさえすれば、お前の身は安全だ。
 教師を含む48名は全て事故で死んだということにすれば、だ。簡単だろう?」
「……教師を、含め?」
 生じた疑問を、三原は素直に口にした。
 同時に、横から怪訝そうな顔をした郡山が会話に入ってくる。
「あん? それはどういうことじゃ、谷先生。俺達も一緒に帰るんじゃないのか?」
「……言っていなかったんですか? 姉ヶ崎先生」
 溜息をついた後、まるでいたずらした生徒をたしなめるかのように、谷は姉ヶ崎に尋ねた。
 それに対して姉ヶ崎は、ぺロッと小さく舌を出して答える。
「言う必要ないかと思って」
「まぁ、それはそうかもしれませんけど」
「そんなわけないじゃろっ!」
 慌てたように、郡山が再び割ってはいる。
「『奇跡的に四名生存』っ! それで問題ないはずじゃろ!?」
 喚く郡山を、三原は直視することが出来なかった。あまりにも醜く、浅ましい。
 顔を伏せ、せめて視界からだけでもその存在を消し去ろうと努力した。
 頭上を一方的な怒声が通り過ぎ、それが三原の頭を押さえつける圧力になる。

 それがなくなったのは、本当に唐突だった。
 それまでまるで嵐のように吹き荒れていた汚い言葉が、突然、事切れる。
 その代わりに、言葉にならないような言葉が、かすかに誰かの口から漏れているようだった。
 何事かと思い三原が顔を上げた瞬間、三原は全てを理解する。
 谷が引き金を引いたのは、まさにそれと同時だった。

 ぱんっ、と乾いた音が響くと同時に、郡山の頭から脳漿が飛び散る。それは谷の眼鏡と顔を紅で染め、飛沫は、三原の身体にもかかった。

 いきなりの出来事に、三原は再び立ちすくむ。
「騒がしくてスマンね。だが、これでもう問題は無い。
 三原のするべきことはさっき言ったとおりだ。……何か、質問は?」
 表情一つ変えずに、谷は三原に尋ねる。
 その後ろにいる姉ヶ崎も、別段驚いた様子は無い。
 今この場で状況についていけていないのは、眼前で人の頭の中身が飛び散る場面を見ることになった三原と、
 いきなりその意識とともに生を狩り取られた郡山だけだった。もっとも、後者は既に驚き以外の表情を浮かべることは出来なくなっているが。
「三原、質問はないのか? 黙っていてはわからないぞ」
 まるで何もなかったかのように、穏やかな声で谷が問いかける。声だけを聞いていれば、本当に普段の谷となんら変わらなかった。
 いや、意図的に普段どおりに振舞おうとしているのか。どちらにせよ、その静かな声は三原の頭に冷静さを取り戻させる大きな手助けとなったけれども。
 ゆっくりと息を吸い、細く静かに吐き出す。三原は姉ヶ崎のほうへと視線を向け、尋ねた。
「……一つだけ」
「何? 先生に言ってごらんなさい。優勝したご褒美に、何でも答えてあげる」
 穏やかな彼女の微笑に、違和感を覚えながら。
「私達は、何で殺し合わなくちゃいけなかったんですか」
 一人になってからずっと、心に引っかかっていたことだ。
 突然こんな島につれてこられて、殺し合いをさせられて。結局生き残ったのは自分一人。
 それでは、死んでいった者達はなんだったのか。その死には、どんな意味があるのか。
 何も無いのでは、あまりにも他の皆が不憫だ。
「高野さんみたいなこと言うのね、三原さん」
 姉ヶ崎の表情はしかし言葉とは裏腹に、まさに待ってましたといわんばかりの笑顔だった。
「刑部先生も――もちろん、笹倉先生も、やけに気にしてたわねぇ。そんなことを知ったところで、何も状況がかわるわけではないのに」
 もちろん、三原にもそんなことはわかっている。
 ただ、理屈ではなかった。
 なにもわからないままこの島から去れば、自分は絶対に後悔する。そうした確信が三原の中にはあった。

「まぁ、いいわ。教えてあげる。このゲームはね、本来、巨大な賭博の対象なのよ」
「……賭け事?」
「人間、お金を持つと色々な娯楽を考えるものよね。一般人では味わえない残酷なゲームの観戦費として、彼らは喜んでお金を落とす」
 一瞬だけ、姉ヶ崎の顔の中に嫌悪の色を見つけたような気がした。
 しかしその色はまるで見間違いだったかのようにすぐに消え去り、姉ヶ崎の顔にはまたさっきまでと同じ不自然な笑顔が浮かんでいる。
 三原においては、嫌悪感を隠そうともしなかった。拳に自然と力が入る。
 スカートにはさんだままの鉄の塊の存在が、否応なくよりはっきりと認識される。
「私達は、見世物だったっていう事ですか」
 そんな“意味”だったら、欲しくはない。皆の死の理由がそれでは、哀しすぎる。
「……いいえ、違うわ」
 その言葉に、三原は一瞬眉をひそめる。
 姉ヶ崎はその疑問を払いのけようとするかのように、すぐに言葉を連ねた。
「言ったでしょう? このゲームは“本来”、賭博の対象であるって。この意味があなたにはわかる?」
「今回は、違う?」
「えぇ、そうよ。なかなか頭の回転が速いのね。だからこその優勝なんだろうけど」
 姉ヶ崎の言葉にはときおり自分に対する負の感情が含まれているな、とここで三原は気付いたのだが、今はそれに対しては言及せずに姉ヶ崎の言葉を最後まで聞くことにした。
「今回に限っては、観客は誰もいないのよ」
「……え?」
「実は日本でこのゲームが開かれるのは、実に久しぶりのことで――そうまさに、私が参加したもの以降、今の今まで日本では開催されることは無かった。
 理由は簡単。この国の環境がゲームに適していなかったから。
 銃のやり取りだけでいくつもの裏ルートを利用しなきゃいけない国なんて、彼らにとってはやりにくくてしょうがなかったみたい。あ。彼らって言うのは、このゲームの本当の首謀者達ね」
 まただ、と三原は思った。
 “彼ら”という単語を述べた時、またも姉ヶ崎の顔に嫌悪の色を見た。

「でも、日本での開催は望まれ続けていた。日本にだってこのゲームのファンはいるのよ。
 私はそれを、前回のゲームの後に知り合った『愛好者』から知った。だから彼を通して売り込んだわけ。私の生徒を使って、日本におけるゲーム開催のテストをしてみませんか、って。
 彼らは喜んでその提案を呑んだわ。元々、私がそういった役割を負いたいっていうことは私が優勝した時に彼らに伝えてあったから、何も不審に思われることはなかったしね」
 三原は、姉ヶ崎の言葉を容易には受け入れることができなかった。
 受け入れたくは無かった。そういった考えを持ったまま正気でいられる人が存在するなど、信じたくは無かった。
「なんで……」
「何が?」
「なんでそんなことをっ! 先生も、この殺し合いを経験したんでしょう!?
 だったらなんで、なんでそれを私達にもやらせようなんて思えるんですか!
 貴女は誰よりも、その行為の虚しさを知っているはずなのにっ!」
 友人の死。
 大切な人の死。
 この世のありとあらゆる地獄をかき集めたような現実が広がるこの情景を、望んで体験しようとするものなどいるはずが無い。
 アクション映画と同じだ。観客は主人公の奮闘に狂喜するが、実際、主人公が背負う重圧とそれに伴う負担は異常なほどまでに大きい。
 それを姉ヶ崎は知っているはずだった。
 なのに何故? 三原は思う。
 なのに何故、彼女はずっと笑い続けているのか。
「虚しい? 何が?」
 姉ヶ崎はわらっていた。三原はその顔を注意深く見つめる。
「私がゲームで優勝した時に感じたのは、もう命を狙われることはないという安堵感と、生き残ったことに対する喜びだった。
 貴女だってそうでしょう? 生き残れたことが嬉しくて嬉しくて仕方が無いでしょう?
 それは、何事もにも勝る感動だと思うわ。それが虚しい? 馬鹿言わないでよ」
 声は徐々に荒く、険しくなっていた。
 なのに表情だけは変わることは無い。
「一人だけいい子ちゃんぶって。貴女だって本当は私と同じでしょう?
 認めちゃいなさい。ほら、今なら私達以外誰も聞いていないから」

   自分の中に渦巻いていた姉ヶ崎に対する恨みや怒りは、その勢いを増している。
 しかし同時に、姉ヶ崎に対して、コレまでとは別の感情を抱いていることを悟る。
「……私は」
 自分には、語るべき言葉はない。それに気付いてはいたが、三原は声を出さずにはいられなかった。
 何もかもを決め付ける姉ヶ崎に反発したいという気持ちがまず一つ。
 そしてもう一つは、三原の中で出来上がっている一つの確信だった。
 目の前の、この人の笑顔は何かが違う。この人は――
「姉ヶ崎先生。そこら辺で」
 谷の制止の声を無視して、姉ヶ崎は声を荒げ続ける。
 顔が上気し、赤らんでいた。
「幾ら綺麗事を言ったって変わらないのよ。『皆のことを絶対に忘れない』? それがどうしたって言うの。
 忘れなかったら、貴女の罪は消えるっていうの? それは都合のいい自己弁護よ」
「そんなことは、言われなくてもわかっています」
 三原は、自己の行為が善ではないということを今では十分理解していた。
 その上での行為と結末。後悔がないといえば嘘になる。もしかしたらもっと他の道が見つかったかもしれない。
 いや、それよりも。もっと早くに自分の間違いに気が付いていたなら、自分一人だけが生き残るという状況よりももっとよいものが得られたかもしれないということさえ思っていた。
 だから三原は迷うことなく言うことができた。自分は咎人であると。
 けれども、それを責めることができるのは、死んでいった友人達とその大切な人だけだ。
 決して、姉ヶ崎などではない。あってはならない。
「でも、私はっ!」
 スカートからワルサーP99を抜き、姉ヶ崎の眉間へと押し付ける。
「三原っ!」
 大声を上げて谷が駆け寄ってきたが、姉ヶ崎が片手を上げてそれを制止した。
 谷が初めて表情を大きく変えたのは、この時だった。
 対して姉ヶ崎はというと、やはり表情は先程までと変わらなかった。
 三原は怒りの感情から引き離した理性的視点から、その顔の正体を分析する。

「……怒ったの? 怒ったんでしょう。図星だからよね。そうなのよね。
 それで私を殺すの? 都合の悪い言葉を頭の中から追い出すように、自分を否定する存在を消し続けてきた貴女なら造作も無いことでしょうね」
 三原はその正体を察した。彼女は“嗤って”いたのだ。
 その笑顔はまさに嘲り。けれどもその対象は、三原ではなかった。
 そう気づいた時、三原の両の腕からは急速に力が抜けていった。
「できるものならやればいい。でもね、そんなことしたって貴女のまわりの現実は何も変わらないのよ。
 私を殺そうが生かそうが、貴女はこれから彼らによって、サンプルとして扱われる。
 ゲームの優勝者は可能な限り生かし続けるのが彼らの趣味の悪い方針だからね。
 貴女が彼らのことについて調べたり、その存在を声高に叫ぼうとしたりしないように管理され、そのデータいかんで今後の日本におけるゲームの開催が左右される。
 つまり最後まで、このゲームの開催者に協力することになる。貴女は、一生そうして生きていくのよ」
 既に三原は完全に理解していた。
 姉ヶ崎が嗤っていたのは、彼女自身だったのだ。
 彼女の瞳は最初から三原のことなんて捉えてはいなかった。きっと、自分以外の何者も今の彼女には見えていないのだろう。
「さぁ、殺したいんでしょう。殺しなさいっ。もう時間が無いわよ」
 三原の指はワルサーの引き金にかかったままだったが、その意思はもう姉ヶ崎を殺すことを拒んでいた。
 その中心にあったのは、恐怖。
 姉ヶ崎は、もしかしたらあるかもしれない――あったかもしれない未来の自分だった。
 友人達を殺していく残虐なゲーム。その被害者たる優勝者の命は、生きている限りその者の所有物とはならない。
 その者の命は、そのものをゲームの中へと送り込んだ者達の手によって管理され、彼らに都合が悪くなればいとも簡単に消されてしまう。
 それは、あるいは死と同じ意味を持っているのかもしれない。
 大切なものを全て投げ出して、その結果得たはずの生。
 それが擬似的なものに過ぎないと知った時、果たして、自らの命に意味を見つけることができるのか。

 三原を、目眩が襲った。しかしすぐに意識を持ち直す。
 約束したではないか、高野に。皆のことを覚え続けると。それは死んでしまえば決してできないことだ。
 今の三原には、そう思い込むことしかできなかった。
「もうすぐ、ここに迎えのヘリがくるわ。その前に、貴女がしたいことをすればいい。
 ええ、そうよ。これは私の選択じゃない。貴女が、貴女の意思でやらなくてはいけないのよ」
 眼前の教師は、嗤い続けていた。
 きっと彼女は気付いていないのだ。否、気付かないようにしているのだ。
 今、この場で彼女の表情の意味に気付いていないのは姉ヶ崎ただ一人。
 三原は、彼女の背中で哀しそうな顔をしている男を見た。
「……姉ヶ崎先生、あなたは」
 三原の言葉は、そこで止まった。
 耳に入ってきたのは、ヘリのプロペラ音。
 小さい点に過ぎないそれは、徐々に、そのシルエットを大きくしていく。
 自然と、三原の視線はそちらに移った。谷も、今はそれを見ている。
 彼は同時に、少し怪訝そうな表情を浮かべた。
 しかし姉ヶ崎だけは違った。彼女はヘリそのものなど見ていなかった。
 彼女が見ていたのはワルサーP99のみ。そこから放たれるであろう弾丸を、彼女は待ち焦がれていた。
 まるで、それのみが彼女を救うかのように。
「ほら、早くしなさい。大丈夫。私一人が死んだところで、彼らは眉一つ動かさないわ。
 むしろ喜ぶかもしれない。おもしろいものが見られた、ってね」
「先生」
 三原は、ついに腕すら下ろした。姉ヶ崎の顔から、初めて嗤いが消える。
 次に彼女の顔に浮かんだものは――三原が感じたそのままの言葉で説明するとすれば――当然与えられると思っていたお菓子を奪われた子供のそれ、そのものであった。
「何してるのよ、三原さん」
 ヘリのプロペラ音がやかましい。
「私を、恨んでいるんでしょう? 憎んでいるんでしょう?
 だったら殺せばいいじゃない。貴女には、その権利がある。いえ、義務がある」
 姉ヶ崎の言葉はもう少しでかき消される寸前だった。
 どうも、ヘリは一機のみではないらしい。

「どうしたのよ。だって貴女、もう殺したんでしょう? 今まで、それで生き残った。
 私だってそうよ。殺して、殺して生き残ったの。そんな人間は一人で十分。ねぇ、そうでしょう?」
 ヘリが高度を徐々に下げている。
 それに比例するように、姉ヶ崎の声も大きくなった。
「やりなさい、三原さん。恨みを晴らさせてあげるのよ。さぁ、早くっ!
 もしやらないというのなら。……谷先生。この娘を、殺してください」
「姉ヶ崎先生……」
 谷はためらいを見せたが、しかしすぐ観念したように、H&Kを持ち上げて三原の頭部に銃口を向けた。
 そこで初めて、三原は谷の眼鏡の奥にある瞳に宿った鈍い光を見た。
 谷が、何かを確かめるように三原にこっくりと頷いた。三原は、ワルサーを持つ腕を再びゆっくりと上げ始める。
 姉ヶ崎の顔には、歓喜の色が浮かぶ。
「そうよ、殺せばいいのよ。自分の命を長引かせる為に、他人を犠牲にする。
 当たり前のことじゃない。誰でもそうするのよ」
 三原は、ある点では姉ヶ崎の意見に同意していた。
 ワルサーを隠し持っていたのは、どこかで彼女達を殺したいという気持ちが渦巻いていたからだ。そうすることで、死んでいった者達に報いることができると思っていた。
 高野のことを許せなかったことと同様に、姉ヶ崎達もまた、許すことができない。
 もちろん、そんなことは無理だろうという気持ちが三原にはあった。
 それを実行すればおそらくこちらも殺されるだろう。
 それでは、高野との約束は果たせない。三原の願望は、単なる妄想であってその実現は不可能であるはずだった。
 しかし、目の前にはその得られないはずのチャンスが転がっている。
 そしてそれは、人差し指にちょっとだけ力を入れれば容易に達成されることにすぎない。
 そのはずだった。
 なのに、なぜその指が動かないのか。
「さぁ。さぁ。さぁっ!」
 姉ヶ崎の顔は期待と喜びに溢れている。

 三原は引き金を引くべき理由を考えた。何よりも、三原自身がそれを望んでいるから。
 復讐の機会が与えられたなら、それを果たすべきなのに。なぜそれができないのか。
 高野を殺したのだ。同様に、目の前の女も殺すべきなのは明白。
 それなのに、三原を止めるものは何なのか。三原の心の中は、まるで間違いを起こした小さな子を許す時の様に――
「……あぁ」
 三原は、唐突に一人の教師の顔を思い浮かべた。
 同時に、腕からは力が抜ける。
「どうしたの、三原さん?」
「……ごめんなさい」
 姉ヶ崎は、三原の心の中で何が起こったのか全くわかっていないようだった。
 当然だろうと、三原は思う。
 だが、それこそが自分達の違いなのだ。それは三原にとっての幸運であり、姉ヶ崎にとっての不幸だった。
 ただ、それだけの違いなのだ。
「私には、あなたは撃てません」

   ※   ※   ※   ※   ※

 ヘリが一機、高度を下げて三原たちに寄ってくる。
 中から出てきたのは姉ヶ崎の仲間ではなく、黒い眼帯をした男だった。
 ヘリポートには降りず、彼は降下ロープで真っ直ぐに三原たちの傍に降りてきて、瞬時に谷を昏倒させ、姉ヶ崎を押さえつけた。
 次にその眼帯の男が放った言葉――お嬢様のご学友ですか、と彼は尋ねた――で、三原はその男の正体を知る。
 三原は彼に伝えるべき言葉を知っていた。
 生き残ったのは自分ひとり、この他の関係者は東の学校にいる、と彼に伝えた時、彼は一瞬だけ悲しげな表情を浮かべたが、
 すぐにそれを彼自身の中に押し込め、無線機を通して異国の言葉によって上空のヘリ数機に新たな指令を出していた。
 その直後、残りのヘリは東へと飛び去っていく。
 彼らがそこで何をするのか、三原はあえて考えなかった。
 どこか現実とはかけ離れた情景を見ていた三原を現実に戻したのは、姉ヶ崎の悲痛な叫びだった。
「離してっ!」
 眼帯の男の代わりに、ヘリから降りてきたもう一人の男に抑えられていた姉ヶ崎は、三原をにらみつけていた。
「三原梢っ! 貴女も私と同じなのよっ! 認めなさいっ!
 こんなことしたってだれも救われないっ! 許されないっ!」
 三原は姉ヶ崎から視線を逸らす。ここで彼女の言葉を否定することは簡単だった。
 だが、本当にそうなのか。本当に自分と彼女には違いがあるのか、という思いが三原に沈黙を選ばせた。
 助け舟を出すように、眼帯の男が三原に対して屋上のヘリポートに行けと指示を出す。
 三原は素直に彼の言葉に従った。そうするより他、無かった。
 彼女がホテルへと入っていく姿を、姉ヶ崎はずっと見つめていた。
 三原がホテルの中に入り、やがてヘリが飛び去った後も、姉ヶ崎はその方向を見つめ、叫び続けた。
「お願い、認めてぇっ!」

   ※   ※   ※   ※   ※

三原が世間の注目を集めたのは、島から生還したあとのほんの1〜2週間に過ぎなかった。

 運転手の不注意による、崖からの転落事故。生存者は一名だけ。
 学校側の責任問題が追及されたが、何故か事故が起こった当日に別の場所で“交通事故”にあっていた理事長とその息子にいまさら罪を問えるはずも無く、
 マスコミは早々に興味を失い、事故について考えるのは死んだ生徒の関係者だけとなった。
 それは姉ヶ崎の言う“彼ら”が計画したものと同様の内容。唯一違うのは、それを管理しているのが“彼ら”ではなく、沢近の実家であるということ。
 三原は、ヘリの中で、そしてその後はどこかの狭い部屋の中で眼帯の男の仲間から取調べを受けた。
 盗聴機の音声も残っているはずだから、三原は一切嘘をつくことなく、彼らに全てを話した。
 結果として、三原は取り調べ開始から約24時間後、開放されることとなったのだ。
 開放といっても、もちろんその後でこれからの行動についての説明がなされたが。
 三原は、説明された内容のとおりに見事に役を演じてみせた。
 世間は彼女に同情し、死んでいった友人の家族からは、あの子の分も生きて欲しいとさえ言われたりもした。
 三原はそれに「はい」としか答えられなかった。友人の死を悲しむ表情を作るのは至極簡単だった。ただ、感情を隠さなければいいだけなのだから。
 しばらくして、父の栄転が決まる。
 よい機会だからと三原は父についていくことを勧められ、彼女はそれに従った。
 誰が手を回したかわかっているからだ。
 引越しまではしばらく時間があったが、三原は一度も矢神高校に戻ることは無く、そしてこれからも戻らないつもりだった。
 そのことについて家族は何も言わなかった。だから三原は、残された時間をただ怠惰に過ごすことができた。

 彼女の前に再び眼帯の男が姿を現したのは、引越しのまさに前日である。

「一緒に、来ていただけますか」
「はい」
 彼が求めるままに黒い車に乗り込むと、その中はいい香りがした。
 それが沢近が使っていた香水と同じものだと気付くのに、さして時間はかからなかった。
「私は、沢近家に仕えております、ナカムラというものです。
 今日、貴女に来ていただくのは、愛理お嬢様のお父様――つまり、私の主人たる方とお話をしていただきたく思ったからです」
「……ずっと、待ってました」
「ほう?」
 車を走らせている間、ナカムラは姉ヶ崎の言う“彼ら”がどうなったかを話してくれた。

 哨戒船による防衛網を損害なしで突破したナカムラ達は、そのまま鎌石小中学校を襲撃、わずかな損害で敵の抗戦能力を失わせることに成功したらしい。
 平和のにとり憑かれたともいえる日本での作戦行動は、彼らに僅かな隙をもたらしたとナカムラは表現した。
 ナカムラは管理室の中で、姉ヶ崎が集めたと思われる“彼ら”につながる資料を発見し、それを用いて敵の首謀者を割り出したという。
 結果として、“彼ら”はその力を失った。そうとうえげつない手も使ったらしい。
 彼らを支持する勢力があったのも事実だが、逆に彼らを攻め立てる勢力が存在したのもまた事実。
 ――証拠さえ握ってしまえば、叩くことは可能です。もっとも、彼らのような組織が二度とこの世界に現れないということは保障できませんが。少なくともあと十年はこんなことはおこらないでしょう。
 ナカムラは、憮然とした態度のままそう告げた。
 車が沢近家の邸宅内に入り、そのエンジンが止まった後、最後に三原は姉ヶ崎と谷の現在の状態を尋ねた。
 ナカムラは少しだけ思案した後、三原の目を真っ直ぐと捉え、事実のみを簡潔に告げた。
「谷という男は、屋敷の中に監禁しております。
 姉ヶ崎という女は、ちょうど昨日のことですが、自害いたしました」

   ※   ※   ※   ※   ※

「よくきてくださいました」
 沢近家の長たる愛理の父は、三原に着席を促した。

 三原はそれに素直に従う。スーツを着た女性が、三原の前に紅茶を出した。
「私に、話があると聞きました」
「ああ、うん。話というのは他でもない。私の娘のことなんだ」
 彼はそういうと、落ち着くためなのか、一口だけ紅茶を口に含み、語りだした。
「……あれは、小さい頃からよく懐いてくれてね」
 それは他愛の無い思い出話だった。
 けれども、それは愛理に対する想いで満ち溢れていた。
「あれの母親のことを、私は誰よりも愛している。しかし、周囲がそれを快くは思ってくれなかった。
 だから、あれがまだ幼い頃から、会う時間なんて本当に僅かしか作ってやれなかったんだが。
 それでも、会うたびに娘は笑ってくれたよ。もしかしたら、気を使ってくれていたのかもしれんがね」
 力なく、彼はわらった。
 後悔してるのだろうか。三原は思ったが、それを口に出すほど愚かではなかった。
「……君から見て、あの娘はどんな娘だった?」
 彼の言葉に、三原は「いい娘でした」とだけ返す。
 彼女について自分がこれ以上の言葉を語るのは、おこがましく思えた。ただ、それだけだった。
 愛理の父は少しだけ三原の更なる言葉を待っていたようだったが、やがて何かを納得するかのようにうなずき、「そうか。……ありがとう」とだけ告げ、部屋から去っていった。
 しばらくして、部屋の中に入ってきたのはナカムラだった。
 彼は嫌なら拒否して構わないという前置きをして、「谷という男が貴女に会いたいと言っています」と告げた。
 三原は迷わなかった。「行きます」とだけ即座に答え、ナカムラの示すとおりに、地下へと続く階段を下りていった。

   ※   ※   ※   ※   ※

「……いや、すまんな。こんなだらしない格好で。お前、授業はどうした?」
 三原の顔を見たときの、谷の第一声はそれだった。
 昔の日常と変わらない谷の態度に苦笑しつつ、答える。
「今日は日曜ですよ」
「……ああ、そうか。この部屋にこもっているから、どうも曜日の感覚がつかめなくてな」

 それっきり、谷は黙ってしまった。
 三原は、自分から切り出すべきなのだと思い、いまや故人となってしまった相手の名前をだす。
「姉ヶ崎先生は……」
 谷は、うん、と頷いて、三原のあとを続けた。
「……彼女は彼女なりに苦しんでいたんだと思う。友達や、恋人を殺すことで生き残ったからなのかな。
 しょうがなかったんだと、それ以外の道はなかったんだと、自分自身に言い聞かせたかったのかもしれない。
 だからお前達を、かつての自分と同じ状況に陥れた。仲の良いお前たちでさえ殺し合いをするならば、自分達がしたことも仕方の無いことだったと結論付けることができるから。
 お前たちにとっては、迷惑極まりない話だと思うが……」
 そこまで言って、谷は哀しげな顔を浮かべて自分自身を嘲った。
「もちろん、これは俺の想像だ。姉ヶ崎先生は最後まで俺に理由を話してはくれなかったよ」
 三原はしかし、谷の想像が間違っているとは思わなかった。
 姉ヶ崎は、彼の言葉に耳を傾けるべきだったのだ。こんなに自分のことをわかってくれる人がいるということに気付けなかったことが、彼女の一番の不幸に違いない。
 三原は思ったことをそのまま口にした。
 しかし、谷はそれを認めなかった。
 自分にはそんな力が無かったのだと口にして、自らの不手際を恥じていた。

 ナカムラから呼ばれるまで、谷と三原は語り続けた。
 最後に三原が、それでも、谷が一緒にいたことで姉ヶ崎は僅かだが救われたのではないかと告げたとき、
 谷は「そうかな?」とだけ寂しげに呟き、昔と変わらない笑みを三原に浮かべてみせた。

   ※   ※   ※   ※   ※

 ナカムラの言うとおりに車に乗り込み、三原は真っ直ぐに自宅へと送られた。
 その間、ナカムラは一言も発しなかった。
 三原も、彼に向けるべき言葉を持たない。
 ただ、車の中に香る匂いだけが、ナカムラの想いを雄弁に語るのみであった。
 窓の外に流れる景色とも、今日でお別れになる。
 そう思いながら約十数分。車は、三原の家から少しだけ離れた場所に止まった。
「忘れないでくださいませ」
 三原と別れる直前、ナカムラは告げる。
「旦那様も、私も、あなたのことを心の中では恨んでおります。
 お嬢様の命を贄として生き残った貴女の事を、許すことはできないでしょう」
「はい」
 三原はそれを、ナカムラに言われるまでも無く理解していた。
 今日だって、彼らに殺されても文句はないと思ってついて行ったくらいだったから。
「死にたくなったら、まずは私めにご連絡ください。
 その時は、私が全身全霊をもってその希望にこたえて差し上げます」
「ええ」
 --けれど。
 三原は思う。
 自分は、決して自ら死のうとは思わないだろう。私は生きて、皆の思い出をこの胸に抱き続ける。
 それを沢近や、彼の父、そしてこのナカムラという男が望むとは限らない。
 他の友人達だってどうだろうか、とも思う。
 けれど、三原自身はそうしなければいけなかったし、そうしたいと思っていた。
「それでは。……今日は有難う御座いました」
 軽く腰をまげて礼をした後、ナカムラは去っていった。
 残された三原は、そういえば自分が外に出たのはどうしてだったかと一瞬考え、しかし次の瞬間にその目的は達成された。
 足元で、猫の鳴く声がする。そうだ、この子を探していた。

 それは、彼女が捜し求めていた子猫だった。全身が真っ白で、伊織とは正反対の人懐っこい顔をしている。
 こちらに戻ってきてから、道端で拾った猫だ。
 棄てられていたわけではなく、おそらく野良だった。きっと、何かの事情で親猫を失ってしまったのだろう。
 少し弱っていたその子猫を、三原は家に連れ帰って看病した。その子猫は今ではすっかり三原に懐いていた。
 結局、伊織はあの島に残ったのだ。
 三原は一緒に連れて行こうと手招きしたのだが、伊織はそれを拒否して、茂みの中に走り去っていった。
 愛想をつかされたのかもしれない。
 自嘲気味に笑った三原を、真っ白な子猫が不思議そうな顔で見つめている。
 それもしょうがないと思っていた。あの猫は、頼りない自分を心配してホテル跡にまでついて来てくれたのだ。
 私のお守りが終わったから、伊織は主人の元に帰ったのだろう。それが、伊織にとっての幸せなのだと三原は自分を納得させる。
 「……帰ろっか、ハラミ」
 「みゃあ」
 ハラミと呼ばれたその子猫は、ご主人の声に律儀に反応した。
 家族全員から反対されたが、三原はこの名前をこの子につけるのだと主張したのだ。
 子猫も主人の願いに答えるように、ハラミ以外の呼び名には決して応えようとしなかった。
 だからこの子はハラミなのだ。
 家に帰ると、家族が暖かく迎えてくれる。
 三原はハラミを抱いたまま、自分の部屋にもどり、ダンボールの一つを開けた。

 そこには一冊の日記帳があり、三原は栞を挟んであったページを開いてペンを取る。
 書き出しは決まっている。
 三原は、じゃれつくハラミを優しく撫でてやった後、いつも通りの言葉を日記帳に書き始めた。






 ――こんにちは、三原梢です。




  〜スクールランブルバトルロワイアル・完〜



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