闇の白い花






 その銃声は全てを止めた。一条の憎悪、播磨の言葉、高野の囁き、雪野の絶望。
人の心に押し入りその方向を無理矢理一点に収束させる。
四人を包み込んでいる深緑の枝葉だけは相変わらずで、時たま発生する風に身をなびかせていた。

「ほうら、やっぱり高野さんが殺したんです!雪野さんが殺されちゃいました!どうしてくれるんですか!?」
「違う!さっきお前が撃たれた時とは別の音だろ!全員無事だ。車だ、車が来てる!なんだありゃ!?」
 どこかそれを待ち望んでいたかのような一条の声を播磨はすぐさま否定する。その後で高野達を覗き見た。
ノートパソコンのおかげで二人の辺りは明るい。安否を確認も容易だ。ほっと一息をつく。
少なくとも一条のショットガンに弾数がある間は無事だろう。そのことを伝えるために更に叫ぶ。
「一条、もう最後の一発だろ!そいつは撃つな!高野は雪野を盾にしてる。意味、わかるだろ!」
 防ぐものがなくなれば、盾の存在意義はなくある。必要でなくなった物など邪魔なだけ。すぐに捨てられる。
一条は混乱の極致にあるかもしれないが、何とか自制心を持ってもらおうと声を荒げる。

「……車、って何ですか?」
 銃声で精神を更に加熱された一条の声に、少しだけ落ち着きが見えた。雪野のことが効果があったのかもしれない。
車について聞き返してくるのは、おそらく彼女からは位置の都合で車が視認できないためだろう。
高野と雪野の更に向こう側にある車に目を向けると、車内照明が灯っているのが確認できた。その中に二つの影が映っている。
「……二人いる。誰かはわかんねえ」
「先生達よ。やっと来たみたい」
 銃声後のやりとりを黙って聞いていた高野の声が響く。播磨は彼女が教師と連絡をとっていたことを思い出す。
「先、生……先生達が来たんですか……!」
 信じられない、といった口調でゆらりと目の前に一条が姿を晒す。即座に銃撃を受ける可能性に播磨は恐怖するが、
一条の視線も銃口も自らのほうを向いてはいない。高野の存在さえも忘れたかのような風貌だった。
「高野の奴がノートパソコンとフラッシュメモリをバラしたんだ。だから俺はお前らのとこに来た。
 でもな、一条!今出て行くと高野の奴に撃たれるぞ!」
「先生……先生……先生……あの人たちさえいなければ……」
 播磨はできるだけ穏やかに話しかけたつもりだった。だがその言葉が届いているかは極めて怪しい。
一条は血の垂れる右手をぶるぶると震わせ、肩の痛みを忘れているかのように握り拳をつくっている。
分かるのは彼女がこれまでになく怒っているということただ一点。
彼女から銃撃を幾度となく受け、そのたびに彼女の顔にあった表情が再び表れる。
落ち着き始めたはずの彼女の心が、再び爆発寸前まで高ぶってしまったと播磨は理解せざるを得なかった。

 ザッザッとブーツが草をかみ締める音がする。少しずつ、しかし確実に影と共に大きくなり、四人に迫る。
六人の教師のうち誰が来たのか。距離が縮まり、輪郭がはっきりしてくる度に候補が絞られていく。

「こんばんは皆。大事なところを邪魔してごめんなさい」
 頭上の木々がゆれ、空から差し入る薄い光が周囲を照らす。
その先には、ややふくらみが大きく丈の長いロングコートと頭部にゴーグルのような機械を身に着けた笹倉葉子がいた。
そしてその明るい声が最後の引き金となる。咄嗟に播磨は一条に手を伸ばすが、それは空しく宙を薙ぐばかり。
一条の体は、既にそこにはなかった。

「よくも……よくもよくもよくも!よくもおおっっ!!」
「行くな一条!高野撃つなあっ!!」

 派手さはなくとも幸せだった日常生活。情熱を注いだレスリング。増える友人達。やがて知る恋という感情。大事な異性。
全てが居心地よく新鮮で楽しかった。一年にも満たないとは信じられないほど充実し、実り豊かな日々だった。
その世界を理由もなく壊し、踏みにじり粉々にした張本人が目の前にいる。抑える理由も必要もない。
播磨と話していた、罰を与える・殺す権利などといった謳い文句が頭を満杯にする。
全身から噴出しそうな憎しみに身を任せ、暴走と爆発の道を選択する。

「うわああああっ!!!」
 生かしてはおけない。許してはならない。そのことだけを考えて一条は駆ける。
負傷した右肩を全く意に介せず、左手に持っていたショットガンを両手で握る。
相当神経が鈍いのか、笹倉は全く動こうとせずこちらに気付いているかも疑わしい。
好都合だった。裁きを与える神のように一条は天高く武器を構える。
そう、この瞬間は自分こそ正義であり絶対に正しい神なのだ。
全てのものを罰する権利を持つ唯一の存在。間違いない。
ならば、死を与える前に自らの罪の重さを自覚させなくてはならない。銃口を突きつけたまま叫ぶ。

「皆の!!うらみを!!」

――言い終わるより先に、轟音が全てをなぎ払った。積もりに積もった一条の憎悪は、この瞬間に消化された。
彼女の全身全霊をかけた一撃以上の力で。小さな波がより巨大な波に飲み込まれるように容易くかき消されてしまっていた。

「あ……あれ」

 パラパラと、何かの破片が散らばる音が聞こえた気がした。信じられないものをみるように両腕の先を一条は見つめる。
そこには確かにスパス15が存在していた。指は引き金にしっかり添えられている。実際に引いた覚えはまだないが。
だがこの銃はそんなに短かっただろうか?軽かっただろうか?だいたい弾丸はどこから射出される仕組みなのだろう。
なんで銃先がこんなにいびつな形をしているのだろう。大きくひしゃげてしまっている。
そして目の前の憎いはずの人物は、相変わらず口元を緩ませて健康そうにこちらを見ている。
笹倉の体には異変は見受けられない。変わったのはこれまで自分の強さを支えてきた大事な武器のみ。

「は……はは。あはは……はははははははは」
 ようやく理解する。裁きは間に合わなかった。それより先に、ショットガンが完全に破壊されていたのだ。
半分ほどになっていた残骸をボトリと落とし、笹倉の前で両膝を地につき崩れ落ちる。ぶるぶると震える両手は行き場を求め地を彷徨った。
一条はもう乾いた笑い声をあげるしかできることはなかった。全身から全ての力が抜けるようで立つ事すら叶わない。
レスリングを失い、強さの象徴だった銃を失い、何とか保っていた意思が完全に粉砕された。

「前に出すぎだよ葉子。危ないところだった」
「大丈夫ですよ。信頼してますから。あ、それと一条さん。駄目よ私達を殺そうなんて。
 どこかの誰かみたいに首輪が爆発したら嫌でしょう?」

 空笑いする一条に和やかに声をかけ、笹倉が振り返った視線の先に、もう一人が姿を見せる。
彼女同様の装備に身を包んでいるものの、その手には笹倉にはない大きめの銃器が携えられていた。二度の轟音の発生源はこれだろう。
一条を追うため、数秒遅れで飛び出していた播磨はゆっくりと彼女の名を呟いた。

「絃子!」
「『さん』をつけろ」

「先生、お待ちしていました。お手数ですが、ご覧の状況なのでこちらまで歩いてきてください」
 高野は雪野をノートパソコンごと向きを反転させ、正面を向いた形を作っていた。もちろん今も刃を雪野の首に押し当てている。
雪野は銃声前のやりとりを最後に黙りこくってしまったようだが、言うべき事は全て言った。
次はあの二人の相手をしなくてはならない。遅すぎる登場に不満がないわけではないがひとまず感謝する。
罰を与える機会がやってきたことを。そのために確認したいことがあった。だから試金石として最適の一条を見逃した。
一条が飛び出した瞬間は絶好の距離と機会だったが教師らの立場を確認することも必要である。
そして一番必要な情報は得られた。最初に集められて殺し合いを告げられたとき、
今の一条のような真似をすれば間違いなく殺されていただろう。
だが今犠牲になったのは一発だけ残されたショットガンのみ。

(先生達は私達参加側の人間を殺すつもりはない)

 教師らを殺傷しようとしなければ身の安全は確保できる。ならばこのまま刑を執行すればいい。
元々自分の考える罰とは一条のように憎いから即殺す、という単純なものではない。
教師の誰かが仕組んだフラッシュメモリという希望を自らの手で摘み取らせること。
言い逃れのための中途半端な小細工を彼ら自身に否定させる。
自分だけは穢れていないなどとぬけぬけと言った雪野同様、逃げ道をなくすことなのだから。

「高野君。報告ありがとう。おかげで助かったよ」
「たいしたことではありません。……それよりフラッシュメモリを仕組んだのは誰か分かりましたか?」
「今調査中だと思うけど、ごめんね高野さん。まだわからないの」
「……では八雲に荷物を渡したのは誰ですか?開始時の映像が残ってると思いますが」
 五メートル程度にまで近づいてきた教師二人と会話を続ける。特定できても的を一人に絞るつもりはないが、それでも聞いておきたい。
教師ら全員にできるだけ揺さぶりをかけておく必要がある。

「させるかよ!くそっ高野、考え直せ!一条、雪野、このままじゃ俺達本当にダメになっちまう!
 絃子達は俺が何とかする!だからノートパソコン持って逃げろ!」
 会話の途中で割って入った黒い大きな影。播磨拳児の無謀な叫びは耳障りでしかない。
銃を持った相手に鉄パイプの彼が何が出来ると言うのか。いや同じ銃を持っていたとしても不可能だろう。
声をかけた他の二人のうち、一条は相当ショックだったのか相変わらず崩れ落ち、情けない顔でこちらを見ている。
そして雪野はただただ首元の恐怖に怯え体を竦ませているだけ。

「邪魔だ拳児君」
「そうよ。絃子さんの言うことはちゃんと聞きなさい」
 ガチャ、と何かがスライドする音がする。刑部と笹倉がそれぞれの獲物を播磨に向けたのを見て、合わせる様にシグ・ザウエルを構えた。
文字通り目と鼻の先に、しかも三方を銃に囲まれ播磨は完全にひきつった表情を見せる。
悔しさと苛立ち、しかしそれでも諦めてはいないそれを眺める間に一つのアイデアが思い浮かぶ。
教師は生徒を殺せない。生徒は教師を殺せない。ならば……

「刑部先生。ここで私が播磨君を殺しても問題ありませんよね。先生を撃つわけじゃありませんから」
 教師らがいる間は殺人はご法度というわけでもない。先程から気になっていたが『拳児君』『絃子』とは何だろう。
もしかしたら、この呆れるほど生徒に興味がない女教師に付け入る隙が、今狼狽している彼なのだろうか?
なら笹倉葉子ともそれなりに親交があるかもしれない。それにここにはいないが姉ヶ崎は普段よく播磨のことを口にしている。
これも教師らへの間接的なアタックになるだろう。わざと撃たずあえて返事を待つ。
刑部は何やらあごを撫で、考え込むようなしぐさをみせて口を開いた。

「高野君、やるならこのAR15を使ったほうがいい。こいつはしぶといからな」
「では拝借できますか?」
「……ああ、すまない。あまり干渉するなと言われていてね。さっきも一条君の武器を壊してしまったし、やれないな」
 おどけてみせる部活の顧問をじっと観察する。だがやはり読めない。探りを入れるだけ無駄なのだろうか。
ならばさっさと播磨を殺し、無力化した雪野と一条を殺す。手早く目的を切り替えた。

「高野さん、私達はフラッシュメモリをもらったらこの場を去るから。それまで悪いけど妙な動きしないでね」
 嫌なタイミングで話しかけられる。例え許された殺人であっても、という意味が視線には込められていた。
動きかけた指をなだめすかし、軽く頷く。二人が登場した前後で状況が変わってないのが理想なのだろう。
一条の武器も気力も破壊しておいて今更何をと言いたくなるが、公平性と称してこちらに不利な材料を作られでもしたらたまらない。
おとなしく今はそれを受け入れることにした。

「葉子、拳児君から目を離すなよ。……さて雪野君、フラッシュメモリをとり外して渡してくれ」
「やめろ雪野!まだだ……まだ何とかなる!そいつ持って逃げろ!」
 立ちふさがる播磨を突き飛ばし、ノートパソコンのすぐ後ろにまで迫った刑部が手を伸ばす。
高野はそっと雪野の背中を小突き、急かす。彼女はのろのろとこれまで地面をいじっていた両手を解放し
恐る恐る土にまみれた右手を動かし始めた。やがてノートパソコンの脇に差し込まれたフラッシュメモリを握る。
「そのまま力ずくで引けばばいいわ。モタモタしないで」

 ――?だが、何かがおかしい。そう思い雪野の右手を注視する。
確かにフラッシュメモリには自転車のハンドルを握るようにしているが……そう、親指だけはそこから横に伸びている。
そしてそれは電源スイッチに置かれているのだ。別に自分は電源を切れなどという指示は出していない。

「だから……私は」
 これまで無言を保っていた操り人形が、初めて口を開いた。


 * * * * * * * * * * * *


 私はとんでもないことをしてしまったのだと、高野さんに知らされた。
誰も殺していない、傷つけていない。だから私は悪くない。
疑ったり逃げたり怖がったりしたのも全部仕方の無いこと。私は悪くない。

――そう考えてたのが完全な過ちだと知ってしまった。ううん、知ったことより認めるのが怖かった。
ずっと目をそむけていたんだ。

 舞ちゃんは高野さんを疑っていた。だから私達に相談してくれた。なのに私は全然聞いていなかった。
与えられた安心感に酔っていた。高野さんは私のことが大好きで守ってくれるのだと自惚れていた。
私が意地っ張りだったから、順子は私に加勢して舞ちゃんを説得してくれた。順子は悪くない。私が悪い。

 順子は烏丸君を信じていた。私はちょっと距離を置いていた。優しい言葉をかけてくれなかったから。
相手が何をしてくれるかでしか判断できなくなっていた。順子は違った。見返りを求めないで烏丸君を信じた。
私は舞ちゃんが死んで、順子が烏丸君にさらわれてもどこかで高野さんがいればいいなんて思っていた。
その後もずっと、頑張ろうなんてうわべだけで頼りっぱなしだった。
順子はきっと違った。烏丸君と頑張ったに違いない。最後の最後まで離れなかったんだから。

 順子に死なれ、高野さんに騙されていたと知った後も私は助けを求めた。
私は悪くない、だから人殺し達がなんとかしろ。そういう態度だった。今の今まで、ずっと。


『葉子、拳児君から目を離すなよ。……さて雪野君、フラッシュメモリをとり外して渡してくれ』
 あれほど憎かった先生達だけど、目の前に迫られてももうどうでもよかった。
高野さんも恨むけれど、やっぱりどうでもよかった。罪を知った以上それをどうすれば償えるのかだけに興味があった。
死んでしまった人。舞ちゃん、順子、岡君、烏丸君、西本君。私がほんの少し頑張れば助かったかもしれない人達。
まだ生きている人。一条さん、播磨君、沢近さん。色々とひどい言葉をかけてしまった。皆ごめんなさい。

 高野さんの膝が私の背中をつっつく。私はゆっくりと右手でフラッシュメモリを握り締めた。
これを渡したら私は用済みだ。殺されて終わる。分かっていても、あるはずのない奇跡を信じて従おうとしている。
でもそれじゃダメなんだ。どれだけ辛くても、何かを望むなら自分でやらなきゃだめなんだ。
順子は最後までそうだったんだから。同じことができなくて、何が親友か。
親友じゃなくなるのは嫌だ。順子が友達じゃなくなるのが一番怖くて耐えられない。
何よりも大事なこと。そのために私は罪を償って、その資格を今から取り戻さなくちゃならない。
先生も高野さんも殺し合いも人殺しもどうでもいい。私が願うのはただそれだけ。


 だから私は。順子や舞ちゃんをはじめとした皆に少しでも許してもらえるなら。順子ともう一度友達になれるなら。


――――命なんていらないんだっ!!

 * * * * * * * * * *

 プッとノートパソコンの電力が落ちる。シュコ、とほぼ同時にフラッシュメモリが抜き取られる音がした。
画面を眺めていた高野と雪野の視界が黒で塗りつぶされる。

「!?」

 それはただ目に映る色が変わっただけでなく、刹那の間で思考を絶つ効果があった。
煌びやかな建物で突然停電が発生したかのごとく、明るい視界に慣れていた二人には何も見えなくなる。
こちらが握った鎌に力を込めるより早く、雪野の黒い影が何かを投げるしぐさをする。風を切り、そのまま遠くの樹木か何かにぶつかる音がした。

「あっ!」
「ちっ」
 笹倉が声を挙げるとほぼ同時に、無意味な反抗をした駒に引導を渡す。体をしゃがめ、左手に力を込めて首輪を傷つけないように刃を食い込ませた。
喉骨と幾つかの頚動脈に達するまで深く刃を進める。

「がっ!ぁ……ふ」
 ビクン、と雪野の体が震え飛び出た血の一部がノートパソコンを汚す。少女は喉の奥から搾り出すような声をあげた。
手ごたえからして致命傷なのは間違いない。
「この大馬鹿野郎っ!!」
 目の前で起きた殺人にとうとう耐えられなくなったのだろう。
もはや自らの立場を忘れ、叫びながら鉄パイプを握り迫り来る男に冷静に銃を向ける。

(あなたもよ、播磨君)
 まだ目ははっきりとしないが問題ない。数発打ち込めば身動きがとれなくなるだろう。引き金に指をかける。

 ――パシッ

 小さな音だった。そして音の主も小さな体をしていた。それどころか残された命もほんの僅かのはずだった。
既に呼吸困難に陥っているはずであるし、「死にたくない」という意思しか残っていないはずなのだ。
違うというのか!?雪野美奈の細い手は握っていたシグ・ザウエルに届き、捕らえて離さない。軽い戦慄を覚える。
「離れてっ!」
 無理矢理雪野の体を横に突き倒し、反動で跳んでかろうじて目の前にまで迫っていた播磨の攻撃をかわす。
鉄パイプは地面の土を深くに食い込み、威嚇などではなく本気で叩きつけるつもりだったことを示していた。
銃は雪野にもぎとられ、薙刀からも一歩分離れてしまっている。リアカーまで走ったら追撃をうけるのは間違いない。
「……怖いね。一歩間違えれば雪野さんかノートパソコンに当たっていたよ」
 一言だけ呟いて身を翻し、すぐ後ろの森林めがけ走る。この場は引くしかなかった。
鉄パイプを持った播磨とやりあえるわけもなく、投げ捨てられたフラッシュメモリにしか興味がないといわんばかりに、
傍観者に徹している刑部や笹倉の協力もタダでは得られない。――タダでは。
雪野の銃を使われる前に身を隠すしかないのだ。

「ちくしょう、高野の奴……!しっかりしろ、おい!」
 鉄パイプを捨て、播磨が雪野を抱き上げたとき、彼女の口元や首周りは既に深紅に染まっていた。断続的に血液が噴射する。
焼け付く喉の痛みと肺に溜まった血が酸素の循環を阻害し、まともな思考力がどんどん削られていく。
それでも自分のやったことは理解していて、不思議な開放感に雪野は浸っていた。

(……見てた?……順子……やったよ私)
 高野の誘惑とは違う甘美な気持ち。ある種の達成感にも似たそれに包まれる。
だが、これで終わりではない。まだやることがある。それが済むまでは自分は許されない。
「は……り……」
「死ぬな……死ぬな!全員で生きるんだ!そうだろうが!」
 残された最後の力で、播磨にふるふると手を伸ばす。一言謝りたかったがもうそれだけの力はない。
燃え尽きる寸前の命に残された全てを右手に込めて、雪野はそれを願う。そして播磨に握り締められたとき、彼女はふっと全身の力を抜く。
今度こそ全てをやりとげ、きっと自分は許されたと安堵した。
(これ……で……)
最後に、彼女は温かく偽りのない記憶を呼び起こす。黒く煙った世界でも失うことのなかった輝かしい記憶。
大事な大事な、自分に勇気を与えてくれた砺波順子と、大塚舞と……高野晶を含めた、大勢のクラスメイト達との思い出を。


 くたっと雪野の首や手から力が抜けた。開いたままの瞳が完全に死の色を宿す。花が朽ちる瞬間を見ているようだった。
喉に刺さったままの鎌がひどく痛々しい。それでもどこか微笑んでいるようにも見えた彼女の亡骸を抱き、播磨は強く叫ぶ。
「雪野!お前……ちくしょおおおおっ!!」
 目頭が熱くなる。最後に彼女が残した物の意味を理解し、悔しさと申し訳なさで押しつぶされそうだった。
更に無力感も加わって、両足が鉛のように重く感じる。だが何かが近づいてくる気配とともに頭上から声がした。
「今更一人死んだくらいでわめくんじゃない、やかましい。君は本当にバカだな」
「……あ?」
 頭の中が一度だけ真っ白になる。頭につけていた妙な機械を外し、自らを見下しているこの女はなんと言った?言葉の意味を脳内でリピートする。
何度リトライしてもたどり着くところはかわらない。ざわっと、体内で血が騒いだ。即座に立ち上がり狙いを一転に定め、手を伸ばす。
コートの襟首を掴んで体を揺らし、バランスを崩させ体を引き寄せる。そして襟元を締め上げ圧迫する。不良時代、何度も繰り返した動き。
女にも身内相手にもこのような行為をしたことはなかったがそんなことは関係ない。今の播磨の目に、刑部はただの『敵』としか映らなかった。

「今更?一人?もう一度言ってみやがれ!」
「っ!……高野君とは、往年来の親友か何かか?……説得なんて、できる間柄じゃないだろう……その、結果が……このザマだ」
「説教なんて聞いてねえよ!もう一度言ってみろっつってんだ!!」
 首周りの力を更に強める。刑部の体が浮きそうになり、眉間に幾筋もの皺が浮かぶ。だがどこか彼女の表情は余裕すら浮かべていた。
「意地を、くっ……張るのもいいが……理に沿うのも大事だ。……今すべきことは、わめくことか?よく考えろと……そう言っている!」
 言い終えると同時に、刑部はAR15を捨て右手をポケットのワルサーP99に伸ばす。一瞬で取り出しそれを播磨の額に突きつけた。
感じる無骨な質感に播磨の力が一瞬緩む。急ぎ、刑部は播磨の体を突き飛ばし離れた。笹倉が駆け寄り、咳き込む刑部の背をさすりながら播磨に厳しい顔を向ける。

「拳児君。人には向き不向きというのはあるの。例えば……うん、拳児君なら喧嘩が一番だね。慣れないことはするなっていう絃子さんなりのアドバイスだよ」
「ふざけんな!俺は絶対そんな手段は選ばねえ!」
「けほっ……ふん、勝手にしろ。私と葉子はアレさえ手に入ればそれでいいからな」
 彼女に免じてパソコンは勘弁しておいてやる、という言葉を最後に二人は高野同様夜の森へ姿を消す。
やがて再び静寂の世界が形成される。先程までの喧騒が掻き消え、世界に誰もいないかのような錯覚が辺りを支配した。
だが彼女らの残した言葉がどうにも耳に残って仕方ない。そして彼の手に残ったそれも。

――パキ

 枯れ木を踏みしめる音に気付いて播磨はゆっくりとそちらを向く。

「……一条」
「雪野さん……嘘……」

 * * * * * * * *

 正直なところ、屈辱だった。飼い犬に手を噛まれたどころではない。数時間前同様、再び武器と手勢を失ってしまった。
まさか死を受け入れた上での反抗をしてくるとは思いもしていなかった。
ち、と読みの甘さを反省し体を休める。高野は雪野が投げたフラッシュメモリを探しに来るであろう笹倉と刑部を待っていた。
これだけの事態に招いた以上、もう教師らも無関係とは言わせない。二人の介入さえなければ自分が勝っていた筈。
何らかの取引をしなくては割に合わない。特にやることもなく耳にかかった髪をかきあげる。
インカムからの連絡もすぐにはないだろう。植えつけられた屈辱感を払拭しようと思考は雪野に集中する。

(……雪野さん。あなたにしてはまあまあだった。でもフラッシュメモリがダメならパソコンを破壊すればいいだけ)
 そもそも本当にフラッシュメモリが見つからなくなってしまったらどうするつもりなのか。
そのあたりの配慮が本当に足らない。軽く笑みを浮かべる。あれを捨てるということは自分から希望を捨てること――
そこでぴたり、とインカムをいじっていた手を止まる。そんなまさか、と彼女は否定したい一つの考えに至ってしまった。
記憶を巻き戻し何度も何度も再生する。雪野の見せた動きの一つ一つを丹念に思い出そうとする。
検証を繰り返し、それが否定できない域にまで達した時、高野は探究心に突き動かされ、来た道を全力で走った。雪野が眠っているであろう場所を目指して。


「……やられた」
 先程の修羅場に舞い戻り、荒い息をしながら横たわる雪野の死体をじっと見つめる。喉に突き刺さった鎌は抜かれ、腕は胸の上で組まれている。
目は閉じられてどこか満足げな表情を浮かべていた。だが彼女の体を整えたであろう播磨や一条の姿はそこはない。既に移動した後のようだ。
「嬉しそうね、雪野さん」
 それはそうだろう。全て彼女の思惑通りに運んでしまったのだから。少なくとも自分は先程までは完全に彼女に手玉にとられていた。
フラッシュメモリは投げ捨てられていなかった。ずっと彼女が右手に持っていたのだ。しぐさと音だけで思い込んでしまった。
おそらく投げたのは地面をいじっていたときに見つけた石か何かだろう。左手に潜ませていて、それを投げた。
子供だましもいいところだが、あの瞬間の自分には充分な効果があった。不利になれば自分が逃げることは楽に想像がついただろう。
あとは駆け寄るはずの播磨や一条に、こっそりと右手の中身を渡せばいい。
教師らはこれ以上の生徒との関りを避け夜でも視界が利く事もあり、フラッシュメモリを探す。
その後、播磨はそれとノートパソコンを持ってこの場を離れたのだ。おそらく一条も連れて。

 もはや先程の屈辱感はなかった。むしろすがすがしさすら感じている。笑いすらこみ上げそうだった。
「……最後の勝負は、あなたの勝ちね」
 プチ、と高野は隣にある名も知らぬ白い花を一輪摘み取った。そしてそのまま彼女の腕の間に差し込む。
勝者に捧げる純粋な敬意と――ほんの少しの謝意を込めて。

(……でも先生なら気付いていたかもしれない。証拠がないから言い逃れできるけど)
 表情が柔らかくなっていたことを自覚し、急ぎ顔を人を殺す者のそれに戻す。
リアカーは残っているので武器はある。だが教師達にも動いてもらおう。
フラッシュメモリもパソコンも播磨の手にあるのは変わらないのだから、拒否することはできない。高野は再び走り始めた。

 * * * * * * * *

「雪野、さん……」
 もはや一条は目的を完全に見失っていた。全てが別世界のような、スクリーン上の出来事とも思えた。
肩の痛みも雪野の死も、今こうして播磨に強引に歩かされていることも。
完全に心が折れてしまった。許してくれる存在も消えてしまい、自分はこれならどうなるのだろう。
彼は――播磨はどうするのだろう。南の人間と合流する、などと言っていたが。この人物は雪野の死を悲しんでいた。何故だろう。薄汚い人殺しのはずなのに。
「いまどりざん…………たすけて」
 か細い呟きは、誰にも届くことなく二人の足音にかき消される。愛らしい少女の面影など微塵も無くし、一条かれんはただただ涙するばかりだった。


【午後:2〜3時】

【播磨拳児】
【現在地:F-03南部】
[状態]:疲労大。返り血にまみれている。
[道具]:支給品一式(食料4,水2)、インカム親機、黒曜石のナイフ3本、UCRB1(サバイバルナイフ) 、パソコン(バッテリー付き) 、フラッシュメモリ
     さくらんぼメモ、烏丸のマンガ 、シグ・ザウエルP226(AT拳銃/残弾14発)
[行動方針]:ゲームを潰す為に生き残りを協力させたい。南の人間と合流して高野をなんとかする
[最終方針]:生き残ってマンガを描き続ける。
[備考]:サングラスを外しています。高野を殺人者と認識しています。ゲームの目的を知りたがっています。リュックの一部が破損してます。

【一条かれん】
【現在地:F-03南部】
[状態]:疲労超大、肩を負傷(簡単な止血)、極度の精神不安定状態。完全に混乱
[道具]:支給品一式(食料5、水1)、東郷のメモ
[行動方針]:特に理由もなく播磨についていく
[最終方針]:???
[備考]:何をすればいいのか完全にわかってません

【高野晶】
【現在地:F-03北部】
[状態]:疲労大。
[道具]:支給品一式(食料0)、薙刀の鞘袋(蛇入り)、インカム子機
     雑誌(ヤングジンガマ)、ブラックジャック×2(岡の靴下でつくられた鈍器。臭い)
[行動方針]:刑部、笹倉とコンタクトをとる。フラッシュメモリが播磨の手にあることを教える
[最終方針]:全員を殺し、全てを忘れない。反主催の妨害。教師達にも罰を与える。 ゲームの目的を知りたがっています。

【共通:盗聴器に気付いています。】

※日本刀、ドラグノフ狙撃銃/弾数9発、工具セット(バール、木槌、他数種類の基本的な工具あり) はリアカーにあります。
 リアカー、薙刀、鎖鎌、支給品一式(食料6、水1) 雑誌(週刊少年ジンガマ)は雪野の死体傍にあります。


【笹倉葉子】
【現在位置: F-03北部】
[状態]:眠気は改善
[道具]:リボルバー(S&W M686Plus)/弾数 6発、.357マグナム弾20発、暗視ゴーグル、セキュリティウェア
[行動方針]:フラッシュメモリを探す
[最終方針]:ノートパソコンかフラッシュメモリの奪取/破壊
[備考]:なし

【刑部絃子】
【現在位置: F-03北部】
[状態]:眠気は改善
[道具]:自動式拳銃(ワルサーP99)/弾数 16発、9mmパラベラム弾15発入りダブルカラムマガジン1つ 、 突撃ライフル(コルト AR15)/弾数:36発
暗視ゴーグル、セキュリティウェア
[行動方針]:フラッシュメモリを探す
[最終方針]:ノートパソコンかフラッシュメモリの奪取/破壊
[備考]:なし

軍用車(詳細不明、ロック中、車内照明有、現在無人)には、二人分の様々な荷物、そして島の南部で回収した以下の品を積んでいます。

支給品一式(食料16、水4)  殺虫スプレー(450ml) ロウソク×3 マッチ一箱
     スタンガン(残り使用回数2回) キャンピングライト(弱で残り2〜3時間)  診療所の薬類

※ショットガン(スパス15)は破壊されました。残骸がF-03北部に残っています

【雪野美奈:死亡】

――残り6名




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