無題
8
空が明るみを増し、辺りのコンクリートを照らす中、神崎渉(男 三番)はジムの中でじっと身を潜めていた。
隣には支給品であるピカチュウが、ただ命令を待っている。
北沢樹里達は大丈夫なのだろうか?
先程から何回かに分けて聞こえた銃声がワタルを不安に落とす。
何とかして連絡を取れないのだろうか。しかし、今のワタルにはそんな手は無い。
しかも――仮にゲームに乗った参加者に襲われたら恐らく一たまりも無い。
いくら石英のポケモンリーグで何度も優勝を重ねるくらいポケモンを扱えると言ってもその現在の対象がピカチュウなのだ。
他の相手に渡されたポケモンの事を考えると――ぞっとした。
いや、それ以外にもマシンガンの様な連続した音もワタルの耳に届いていたので、銃に対する恐怖感及び警戒心もより競り上がっていたに違いない。
このまま隠れていたとしても、間違いなくやられるだろう。
だが、しかし、それでも樹里らに対する心配を捨てたわけではない。
それで、そんなワタルのデイパックに入っていたのは、裁縫セットだった。
――裁縫セット。
針と糸とハサミが入った正方形に加工されたプラスチックの箱だ。
普通は、服が破れたときに使う。
しかし、特にハサミと糸は錆びにくく加工してあり、けれども糸は柔軟性を一切失っていない思考の一品だ。
夜明けの僅かな月明かりが銀色のハサミに反射され、それは通常の現象にも関わらず美しかった。
ワタルは大きいハサミと長針とまとまった糸だけを取り出して、箱はぐちゃぐちゃに踏み付けた後に投げ捨てた。
ハサミでもこの手の平サイズのものでも十分に殺傷出来るだろう。いや、もちろん銃を構えられたらおしまいだけれども。
ハサミを逆手に持つと、ワタルはジムのドアに手をかけた。
その時、まさにその時、ワタルの視界に何かが入った。
ジムの前に、赤黒い下地に、何か、浜辺に打ち上げられたトドみたいなのが二つ。
いけない、自分は疲れているんだ。何でこんな陸地にトドが?
――
得体の知れない感情に襲われたワタルは、ピカチュウにフラッシュを使わせてから、それをじっくり観察した。
結果、それは参加者であった高城恭介(男 六番)と神無月文恵(女 四番)であることが分かったが――
奇妙なことに、二人とも頭がへこんで死んでいた。実際、そんな漫画みたいなシーンを見ようとは?
いや――実際そうだった。何かで殴られたのだろうか?
キョウはキョウでこめかみが陥没していたし、カンナの額にはでっかい穴が空いて、血の池がすっかり出来ていた。
少なからず、ワタルはそれに気圧はされたものの――
問題はむしろ、他の部分にあった。
――二人を殺した人物は、しかも近くにいた自分が気付かないくらい静かに?
ワタルは周囲を見回し――ようやく気がついた。
この時期だと言うのに海パンとゴーグル以外何も着ていない、――桐山和助(男 四番)がワタルに向けてスターミーを両手で保持しているのを。
ありえない――何故、何故こんな、音を立てず――
ワタルは逃げようと――いや、逃げるとか、そう言う指令を脳が送る以前に、ワタルはもう動けなかった。
何故ならスターミーから放たれたスピードスターがワタルの額を捉え、まるきり今、同じく転がっているカンナの様な状態になっていたので。
そのまま仰向けに平面に倒れ、新しく出来た断面の内側、損傷した脳から溢れる血が、後から後からどんどん出て、これまた新しい池が現れた。
和助はワタルの持ち物であった糸を自らの海パンへ導くと(なお、高城恭介や神無月文恵の支給品も既に回収済みだった)また、そのよく発達した筋肉を持つ素足を動かし始めた。
全ては――愛すべきリーダー、鹿嶋香澄(女 三番)の優勝させる為に。
【残り 11人】
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