オープニング
「どこだ、ここは?」
意識が現実に蘇えってからの第一声がそれだ。
巳屋本いろはは、一ページ前の記憶とつじつまが合わない光景に目を見張った。
上下左右、そこに存在するは純粋無垢な白のみ。
己の影さえ塗り潰している穢れを知らぬその一色が眼窩を満たしていた。
差し替えられたその景色があまりにも唐突すぎて、
繰り広げられている光景を模倣するように脳内が純白に染まる。
『兄さん!状況が』 ――― 『ああ、わかってるよ。また何で』 ――――
――『ひゃ!な、何でアンタが私の部屋に…ってあれ?ここどこ?』―『不幸だー!』―――
―『ちょっとネギ!あんたはまたなに抱きついて』――『ご、ごめんなさ』――『アスナさん!ネギ先生はお疲れな』―
『DIO様!ご心配なさらずとも、あなたのことはかならずや』―――『誰だ貴様ッ、鬱陶しいぞ老いぼれ!このディオに』――
――――『…………………………………おや、あれは』―――――
空間を一望していると、滲むように浮かび上がってくる人型の闇。
その漆黒のライトが点灯していく様を、ひたすら目線で追う。
大きな鎧、目つきの悪いチビ、顔を真っ赤にして傍で横たわっていた少年を殴り飛ばす短髪、
顔面にのめりこむ拳に嘆くツンツン頭、キーキーと怒り狂うオッドアイ、平謝りするスーツ少年、少年を擁護する金髪、
ひれ伏す年寄り、尊大な態度の青年、何かを発見したらしい前髪で目元を隠した外国人。
そして。
『孝士殿!!起きてください孝士殿!』
『何だ?どこだよ、ここは』
『それが、気付いたらみんなここに居て』
『僕らもわかんないんだよ』
尊敬する武術家の先輩にあたる九頭竜もも子。
密かに恋心を寄せている犬塚孝士。
恋敵でもあり、同時に孝士を守る仲間でもある中慈馬早苗。
己がいちばん信頼する舎弟の半蔵。
ここに来て初めて知り合いの存在を認識した。
一方、あちらはまだこちらに気付いていないらしい。
「先輩!」
輪を作る四人に駆け寄り自分の存在を主張する。
そこでようやく四人の視線がこちらへ……。
『あ、あなたは…!』
……違う。
四人の目線はいろはの延長線上、つまりいろはの後方に立つ別の人物へと注がれていた。
怪訝な表情を浮かべつつ、緩慢と足先を方向転換する。
「虎金井天々!!」
いろはと同じく西の武術家であり、巳屋本家一族の敵である虎金井天々。
……さては、一連の事件も彼女の仕業?
その可能性の高さはこれまで彼女が起こしてきた数々の所業が語っている。
「これも全て貴様が仕組んだことだろう!いったい何を企んで…」
『ワタシも気付いたらここに居てね〜』
「無視するんじゃない!」
『辺りを見渡してたら、偶然キミたちを見つけて、声をかけてみたの。ねぇ、これって何なの?』
「おい!!」
あくまでも無視を貫こうとする相手に、いろはの堪忍袋が耐え切れるわけがなかった。
言葉が聞こえないのなら――と、目線の大分上に低位置を決め込んだ天々の胸倉に、いろはが掴みかかろうとしたその時。
「無駄ですよ、彼女たちには触れることはできません」
「…!?」
咄嗟に動きが止まる。…動けなくなった、と言った表現が正しいか。
「おめでとうございます、巳屋本いろはさん。貴方は"とある犠牲者"の代わりに"とある義務"が与えられた最後の来訪者です」
頭上から降り注ぐ男の声にいろはは素直に驚愕を露にする。
声の出所は背後。距離は、男の息が首筋を撫でるほどに、近い。
今に至るまで僅かな呼吸音…いや、気配さえもを完璧にかき消していた男に、
脳が状況処理を終えるより早く身体が戦闘態勢に向かうのはほぼ条件反射。
「何者だ?」
振り返り、鋭利な視線を見舞った先には、いやらしい笑みが特徴的な男。
焦燥感に駆られつつも必死に男に関する記憶を追うが、やはり覚えが無い。
ならば、一度も対面したことの無いどこかの武術家の者?……その可能性も極めて低い。
何故なら本来武術家が身にまとっているはずの闘気が感じられないからだ。
代わりに、言葉では表現できぬほど奇妙な雰囲気を、男は持っていた。
不気味な、形容しがたい感覚がいろはを襲う。
「落ち着いてください、私はただの案内役…ゾルフ・J・キンブリーと申します」
キンブリーは両の手のひらをこちらへ見せつけ、丸腰であることをアピールする。
弟分である半蔵が愛用するゲームなどに出てくる魔法陣とやらに似た模様が皮膚に刻んであるだけで、手の中は空。
けれど何らかの武器を隠し持っている確率だって充分にあるのだ。
当然張りつめた警戒心を解こうだなんて考えは無かった。
「はぐらかすな!」
「まぁまぁ、私のことはお気になさらず。そんなことより、この状況のほうが気になるのでは?」
「…そうだ!何だ、ここは!いったい何がどうなっている!?」
「それはあの数分前の『立体映像』を見てもらえばわかりますよ」
「映像?」
キンブリーが顎先を持ち上げ、天々たち含む『会場』に存在する人物らの方向を示唆する。
反芻しつつ、いろはも視界から男を逃がし、立体映像で作られたという見知らぬ人間たちを引き替えに捕らえた。
『全員起きたようね』
誰もが釘付けになるようなボディ。豊富な胸。露出度の高いドレス。
いつの間にか会場内に姿を現していた、派手な風貌の女。
その背後では猿藤優介を除いた猿藤一族が列を作っていた。
会場の人間の表情をひととおり窺っていくと、困惑している者が多く見える。
『刹那!』
『…どういうこと、姉さん?』
黒髪の少女が一歩前に踏み出し、女によく似た少女が彼女を制止するように手を広げた。
……知り合いか?
『あまり騒ぐなよ、土宮。そして静流。これはオマエに与える最後のチャンスでもあるのだから、黙って話を聞け。
もしも逆らうというのなら……殺す』
……少女たちが発する声も、その他の者が奏でる雑音も、一瞬で静寂の波に流されていく。
誰も抵抗しようとしないのは、刹那とやらがそれ相応の気迫を持っているからだろう。
『よく聞け。オマエたちにはこれから、殺し合いをしてもらう。
もちろんただで、とは言わない。優勝者には一つだけ、どんな願いでも叶えてやろう』
会場内は依然として閑散としている。
そりゃあ、突然殺し合いだなんて突拍子のないことを言われても、現実味が無さすぎる。
唖然とする他に、何があるというのだ?
『ルールはいたって単純。支給された武器を使って最後の一人を目指して殺し合うだけだ。
一人に支給される武器は一つ〜三つ。あらゆる特殊な能力を備えた"当たり"から、持っていてもまったく無意味な"ハズレ"まで様々。
その他の支給アイテムは懐中電灯、時計、方位磁石、地図、筆記用具、名簿、水と食料、歯ブラシセットやタオルなどの必要最低限の日用品となっている』
凝った質の悪い冗談と思い込んでいた会場内の何人かの顔に、徐々に影が差していく。
恐らく、今の自分の顔色にも雲が掛かっているだろう。
『次は首輪について。この首輪は爆発する仕組みとなっている。
爆破条件は制限時間である三日を経過しても二人以上が生き残っていた場合、会場から逃げようとした場合、
八時間毎に死亡者の名前とともに発表される禁止エリアに足を踏み入れた場合。この三点となる』
映像だという事が嘘みたいに、刹那が口を開くたびに妙な威圧感が押し寄せてくる。
他の人間もそれを受け刹那の言葉が"冗談"でないことを悟ったか、友人同士顔を見合わせる者、
今にも泣き叫びそうなほどに顔を歪ませる者、逆に全ての事実を受け入れ喜々とする者――多種多様な感情表現をなしている。
『それからもう一つ。この中には想像を絶するような大きな力を持つ者が何名か居る。
だがそれでは殺し合いにならない。だから心当たりがあるオマエたちの能力には、ある程度制限を掛けさせてもらった』
『以上』
ふざけるな! 何が殺し合いよ!
誰か…。
人の命を何だと思ってる!? 冗談じゃないわ! 帰してよ!家に帰してよぉ!
助けて。 いやだ!まだ死にたくないっ!!
何で私がこんな目に…。 ………う、うううう、うえっく、ひっく。
…――――語尾と同時に会場内では憤怒の叫びと恐怖の叫びとが重奏を織り成していた。
もちろん自分も同じだ。あの女には、これまでに無いくらいの怒りを感じている。
本当なら今すぐこの手でぶん殴ってやりたい。
『騒ぐな、と言ったはずなのだがな。……やれ』
『はい』
刹那が斜め後ろに控えた猿藤幹久に何かの合図を出す。
幹久は"やれ"というたった一言で指示の内容を理解し、
細長いスイッチのような物を握る手を胸の前まで持ち上げて……ボタンを押した。
すると、ピッピッピッ、という古びた電子音が人の群の中から自己主張を始める。
人々が彷徨わせた目線は、…やがて一人の、鼻頭付近のそばかすが特徴的な少年の首を一周する首輪に着陸地点を決めた。
注目された少年は事態を理解できてはいないようだが、縋るような眼差しをあちこちに送っている。
『え…は、はぁ?な、な、何なんスかこ―――』
爆発した。
首輪が、破裂した。
頭が飛んだ。
誰の。
誰のだ。
あれは誰だ。
首から下が無い、あれは誰だ。
つま先まで転がってきたこの頭は、
判別がつかないほどに血まみれとなったこの顔は、
だ れ の も の だ 。
「は、」
『い゛や゛あああああああああああああああああああああああああああ!!!!』
『あたっ、あたま…!!』
『な、なにが起こって……』
恐慌状態に陥る参加者たちの叫びなど耳には入らない。
脳裏に一つのヴィジョンが浮かんで、そこに映った出演者の声のみが頭の中を支配する。
―――おまえ名前 なんていうんだ?
は、半蔵―――
―――そうか、半蔵か。 半蔵…。
「は、んぞ…」
―――何があっても離れませんから。
「はん、ぞう」
― 1 0 年 後 も 、
2 0 年 後 も ―
ずっと、
ずーっと。
「半蔵」。
「半蔵おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
届かないとはわかっている。
それでも喉が裂けそうなくらい、叫んで。
触れられないとわかっていても。
それでも、駆け出さずにはいられなかった。
「キ、サ、マああああぁぁぁぁぁぁあああぁあああああぁあああぁぁあぁ!!!!!!!!!!!!!!!」
一直線に、刹那目掛けて走った。
怒り以外に何も無い。ただそれだけが、足を動かす。
いくつもの立体映像を身体が切り裂いて、数秒もせぬ内に刹那の正面にたどり着き。
『そ……そろ時間…ザザ…な』
いろはが握りこぶしを引き上げた瞬間、
恐怖の色に染まる参加者たちの顔を満足気に見物していた刹那のノイズ混じりの声が掛かる。
同時に、展開されていた映像が歪んで、
もう一歩というところで、視界を暗闇が覆いつくした。
それでも、それでもこの拳だけは全力で振り切って、
「それでは、健闘をお祈りしていますよ」
キンブリーの言葉を背景音に、ついに巳屋本いろはは意識を手放した。
【半蔵@すもももももも〜地上最強のヨメ〜 死亡】
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