井出商店・後
「こっちが下手にでてりゃちょーしに乗りやがって、ああっ?」
笹岡は依然井出の襟首をつかみながら更に続けた。
「育て上げた社員のリストラはあなた様のオナニーのネタですかぁ!!」
「グ…ぐる…」
「そもそも、てめーの醜悪な笑いどーにかなんねーのかっ?」
「ぐるじ…」
「どーなんだ(゚Д゚)ゴルァ!!」
「…F&Cの塵がっ!!」
笹岡はつかんでいた襟首を離し井出をソファへと叩きつける。
「ぐ…げほっごほっ…ハァハァ…っ、貴様ぁっ、今した事がどんなことだかわかってるんだろうなッ」
激昂した井出はただひたすら吼えつづけた。
「貴様なんてくびだっ…いや、今後この業界に2度と来れないようにしてやるぞっ」
しかし当の笹岡は、明後日の方向を向き黙りこくっている。
「俺に手を上げたことを絶望しながら業界を去るがいいっ、ははっ、はははっ」
ソファにへたりながらも井出の顔には例の笑みが戻ってきていた。
「ああ……そうだ。井出さん、ものは相談なんですけどね…」
井出に背を向け高田馬場の町並みを見下ろしながら、思い出したかのように話し始めた。
「もう、使い捨て的な社員の使い方は…どうかと思うんですよ」
それに対し井出は口元をゆがめ、笑いながら答える。
「はっ、どっちにしても君はもう我が社には用済みだ。エロゲ界においても必要ない人間だ」
一呼吸置いて井出は続けた。
「一般人に指図される覚えは無い、馬鹿か君は…ははっ!!」
ひとしきり井出が笑い終わると二人の間には沈黙が流れた。
「……」
「……」
「そう…ですか…」
一方井出は、満足そうににやけながら続けた。
「あれっ、こんなところに関係者以外が入ってくるなんて…おかしいなぁ」
「では…」
そう言いながら、笹岡はゆっくりと振り向いた。
(あ・・・あれ?)
一瞬の事に井出はまったく反応できずにいた。
視界が徐々に暗転してゆく…。
自分の胸から下、そしてソファがベタベタした赤い液体で汚れていた。
井出は何かを喋ろうとしたが、ただ、がひゅがひゅと音が漏れるだけだった。
(あれ…?)
大分薄暗くなった視界を持ち上げると…笹岡が自分を見下ろしていた。
(あれ…あれ…?)
よろよろと、笹岡のスーツを握る…
喉からはまだ、なんともいえない音が、がひゅ…がひゅ…と漏れていた。
「井出さん…さようなら」
笹岡は、わずかに口元を吊り上げると、もう一度腕を無造作に振った。
(あれ…あれ…あ……)
「こんなことなら、最初からスーツを着て来るんじゃなかったですね…」
と笹岡が呟いた時、部屋のドアがキィ…と開いた。
☆画野朗…F&Cの若手急先鋒となった原画家はNAKED BLUEの最終作業で退社時間が少しずれ込んでいた。
「あんぱん美味しいんだもんっ、…んふ〜」
あんぱんを口いっぱいにほお張り、至福の表情で退社しようとしてた彼の耳に、なんともいえない音が聞こえてきた。
ボーリングの玉を床に落としたような鈍い音…。
「んーと…笹岡さんの部屋からだ…なんだろう」
ドアノブに手をかけ☆画野朗はドアを開けた。
「そーっと、っと…しつれいしまーす…」
中では、笹岡がソファの前に立っていた。
「あ・・・☆画野朗さん、お疲れ様です。NAKED BLUEの方はどうです?」
「んと、だいたいイイ感じですね…」
「それで…えと、今何か落ちませんでした?」
「それはですね…」
といって、笹岡は無造作に足を動かした。
ゴロゴロゴロゴロ…
「これの音じゃないですか?」
「あーっ、この音です…って…」
と、ソファの影から転がってきたモノをみて、☆画野朗は失神しその場に倒れこんだのだった。
倒れた☆画野朗の上着からはカサカサッ、という音と共にあんぱんが数個タイルに散らばった。
「…はぁ…この人は…まったく…」
笹岡は倒れている☆画野朗を軽く介抱すると、胸ポケットから携帯電話を取り出した。
「笹岡ですが…えーと、はい…そういう訳で…ええ…処理をお願いしたいのですが…ええ…では」
話を終えると笹岡は携帯をしまい、誰と言わず呟いた。
「最終リストラ…完了ですかねぇ」
朝、いつも通り出社してきた宮村は、珈琲を片手にメーラーを起動した。
新着メールざっと目を通す…
「お疲れ様です」の定型から始まる、発注やスケジュールの確認関連のメールが三通。
いつもならば、これで終わりなのだが、その日においてはそれは違った。
無題と表されたメールが未開封のまま残っていた。
宮村は珈琲を一口含むと、おもむろに「無題」という名前のメールを開いた…。
―――――――――――――――――
送信者:正義の使徒笹岡
件名:無題
―――――――――――――――――
諸君らの愛した、井出は氏んだっ!
…なぜだっ!?
某日記サイトを思い起こさせるような、文字のサイズと色…。
さらにあまりにも突拍子の無いねたに、宮村は思わず口に含んだ珈琲を噴出しそうになる。
とりあえず、その場をなんとか堪え、ホイールを回した…。
誰も愛していなったからだっ!!
ディスプレイデストロイの瞬間だった…。
珈琲臭くなってしまった書類を片付け、ディスプレイにかかった珈琲を拭きながら、宮村はさらに読み進めた。
というわけで、笹岡です。皆さんお疲れ様です。
本日は、F&Cにとってのターニングポイントになるだろうことをお知らせします。
知っての通り、月間F&Cの後の、我F&Cブランドに対するユーザー様方の不信感
さらに一部人材の流出と、我が社にとって現在、相当芳しくない状況であると考えられます。
この打開案として、F&Cという名前の力の誇示、ならびに流出してしまった人材の補完、
さらなる増強の為の企画をここに提案します。
1.雑誌社さんとの合同企画による原画家の公募。
2.社内結束の強化の為の待遇の向上。
尚、これらは今後のF&Cの未来を占う上での大事な一手であると確信しており
万難を排してでも実行し、我社のますますの発展を促したいと思います。
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詳細につきましては後ほどご連絡します。
このとき、メールを配信された人々は、事をそれほど重大には捕らえていなかった…。
PIA3への足場固めでしかないと…。
そのころ、笹岡は革張りのソファにすわり、ある人間と会話…否、対峙していた。
「すべては予定調和ということですかねぇ?」
笹岡は、両手を上げ、さも解らないといった仕草をした。
「一体なんのことでしょう?」
一方はやれやれといった表情で言葉を紡ぐ。
「他社の介入、内部の不調和、トップの更迭、社内への影響力の拡大…」
「次ぎは、一体何を…?」
それに対し笹岡は依然として同様の態度で受け答えしていた。
「すみませんが、申されている事について、皆目見当がつきません」
相手は、目線を外すと、口元を吊り上げながら続けた。
「いやぁ、まったく怖い目をしますねぇ、おお怖い怖い」
「まぁ、私だって自分の会社の利益が大事ですから、今のところはそちらとはつかず離れず…」
「そんなところですかねぇ…」
すっと、腰を上げ立ち上がった笹岡は、窓際に移動して
「仰られる事はことは皆目検討もつきませんが、我が社とはまだ、協調関係でいてもらえると…そういうふうに受け取って宜しいですかな?」
「まぁ、私も社員を路頭に迷わすわけにもいきませんし、何より私がぬけちゃうと会社自体危ういので…ね」
「十二分に協力させていただきますよ…」
続く言葉は、両者が同時に発した。
『利害が一致しているうちは…』
両者はそれぞれに歩み寄ると、互いに握手を交わした。
欺瞞に満ちた笑顔と共に…
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