夏
民家のブロック塀に背中を預け、今の話を聞いていた。
あのカップルは自分のポリシーや相手を守る為に誰も殺さない道を選んでいた。
馬鹿だ、大馬鹿だ。
俺にはとてもできそうにないことをやってのける。
そんな馬鹿は、好きだった。
「どうすればいいのかな、俺は……」
憎らしいほど澄み渡った夏空を仰いだ。
「大丈夫ですよ。あなたには殺せないと言ったじゃないですか」
聞き覚えのある声が、した。
「日向葵……これまた妙な所に現れたな」
「偶然ですよ」
始めた会った時と同じように、気づけは悠然と、そこに立っていた。
頭には麦藁帽子をかぶって。
「その帽子、涼しいか?」
「ある家の中で拾ったんですよ。似合いますか?」
「知らねえよ、そんなの」
「そうですか」
少し声が沈んだように聞こえたのは気のせいだろう。
「あれから考えたんだ。俺に彗夜が殺せるのかどうか」
別に話す義理もなかったんだけどな。
さっきの二人のやり取りを聞いて、張り詰めてた心がほぐれたんだろうか。
「最初は殺す気でいっぱいだった。
あんたに、俺は思い込みで自分を追い詰めてるだけだと言われた。
その後別の奴にも言われたんだ。つまらない死に方はするなって。
で、やっぱり俺には殺せないとか言い出すんだよな」
あいつはまだ生きているだろうか。
「その上さっきの名前も知らない二人の会話だ。
あれ聞いて感動したね。元々ああいう話には弱いんだ。
で、自分のやってることがわからなくなった」
そして思い至った考え。
「この島で俺は何をするべきだかわからなかった。言うなれば道に迷った。
だから彗夜を殺すことを第一目標にした。
それが一番楽だからだ。それだけ考えてりゃ、他の面倒なことを考えずにすむ。
本当のところ、ただそれだけなんじゃないかって」
「そうですか。それに気づけば、もう殺すだなんて物騒なこと考えなくても」
「いや、違うな」
言葉を遮る。
「ここでこの目標を捨てたら、俺はまた道に迷っちまう。
それに奴を激しく憎んでるのは事実だ。いずれ決着をつけたいと思ってるのもな。
あんなことに気付いても俺は奴を殺そうとすることを捨てたわけじゃない。
嫌な言い方だが、奴は今の俺の道標なんだ。他にすることがない、俺の」
「でしたら他の目的を与えてあげましょうか」
葵の声ではない。第三者の声。
そちらに目を向けると、知った顔があった。
「あんたは、挽歌さんか」
俺よりも前に教室を出たから知っていた。
「立ち聞きするつもりはなかったんですけど、ね」
両手を挙げている。戦う意志はないということか。両手使わなくても攻撃は出来るがな。
「私の話を聞いてもらえますかね。
仲間と、武器と、主催側の情報を集めてここから脱出しようと考えてるんですよ」
へえ、なかなかの心がけだと思う。が、
「で、勝算は? 俺はそういう考えは全くしてなかったし、どんな状況なのかも知らない。
実現できそうなのか?」
「協力次第じゃないですかね。きっと。
でお二人にも協力していただきたい、と。そういうわけです」
それがさっきの『他の目的』ってやつか。
「もし実現できそうにないという場合はどうなさるんですか?」
今まで口を閉じていた葵が訊ねる。
「それは勝算が薄いという意味ですか?
それとも協力いただけないという意味で?」
「両方です」
「ふむ。後者なら非常に残念ですが仕方ありません。今のとこ無理強いできるものじゃないですから。
前者なら……そうとわかった瞬間から、仲間が敵になるということです」
戸惑うことなく答えた。
「正直ですのね」
俺もそう思う。敵に回る確率は有り得ると言い切るなんて、普通言えるものじゃない。
「俺からもう一つ。協力を求めた相手が問答無用で襲い掛かってきた場合は?」
「殺すしかないでしょう。そんなことがないように願うしかありませんけどね」
葵は露骨に嫌そうな顔をする。彼女はとにかく誰にも死んで欲しくないと願っている……らしい。
この人物のことは全くわからないが、綺麗事ばかりで生きていけると思っているほど馬鹿ではないと思う。
真意はどこにあるのだろう?
「もうそろそろ放送ですね」
挽歌が言った。そしてほどなく、正午の放送が始まった。
「……なんでだろうな……」
ため息をつく。
「思ったよりも死んでますね。これは早いとこなんとかしないと」
そう、想像以上に死人が出ていた。だがそれ以上に俺の心をとらえたこと。
マナーが死んでいた。
「ははっ……ははははっ……」
俺は笑ってやった。アイツの名前が放送で呼ばれたら腹抱えて笑ってやる。そう誓った。
「あはははははははっ……」
笑うこと。どうしてこんなに虚しいんだろう。
「L.A.R.さん?」
「はははっ、いや、なんでもない。なんでもないから……
挽歌さん。悪いけど俺は彗夜を追いかけることにするよ。
やっぱりどうするかはわからないけど。追いかけることにする。
それから……仲間探すなら、林檎には気をつけろ。
あいつ、穏やかな顔して何するかわかんねえ。俺は奴に銃向けられたからな」
「そうですか。残念です。お互い健闘を祈りましょう」
健闘、ね。
俺は返事をせずに走り出す。
青い青い空の下。
夏はまだ始まったばかりだった。俺達にとって最後になるかもしれない、夏は。
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