遥かなるはるか。






人が二本足で立つのは走る為だ。
そして高いところから世界を見渡し、その手で何かを為す為だ。

少女が走っている、何かから逃げるために走っている。
まるで恐ろしい獣に咬まれる事を恐れるように、その表情は凍り付いているように見える。
どうしようもない恐怖に襲われたとき、人はえてしてこういう顔をする。
泣く事も叫ぶことも出来ないほどに。人は、止まってしまう。
――ある意味では、彼女を追うものは、獣よりも恐ろしいかもしれない。
何故なら、獣ならば彼女を喰らい殺すだけだろうが――

少女の額に汗が滲む。早くなる動悸を必死に抑えながら、
全力でその足を動かしながら、彼女は後ろを――自分を追ってくる男の姿を確かめる。
にたりと、いやな笑顔がはっきりと見えた。
つまり――もう絶対に逃げられない程までに、男は近づいてきてしまったという事だ。
中学生にしては驚くほど小柄な体格は、男の足から逃げるにはあまりに脆弱すぎたのだ。
少女は諦めて立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。

「――もう逃げられないよ、お嬢ちゃん」
にたり、と男――駄っ文だ(男・13番)は嘲笑う。

獣ならば、食い殺されるだけ。
だが――人間なら。自分より遥かに大きな体格をした男ならば。
欲望に飢えた、男ならば。

駄っ文だの右手には、コルト・ガバメントが握られていて、その先端から広がる深い闇は、
真っ直ぐに自分の脳髄に向けられていて、つまり何か不穏な動きをしようとしたらすぐ撃つぞ、
そういう事を意味していて、そしてそれが暗に示すのは、従わなければすぐに犯し倒してやる、
という事だった。
「本当に中学生の女の子が葉鍵板、しかもハカロワみたいな残酷な物語に参加してるなんてな」
「――ぼくの、勝手でしょう?」
小柄な少女――通称「。」(女・3番)は、恐怖に震える身体を抱きながら、しかし異常なほど冷静に、呟いた。
まだ息を切らしてはいるが、汗を拭った下に見える視線には、先ほどほどの怯えはない。
「ああ、なんて可愛らしい子だろう。中学生どころか小学生の高学年くらいにしか見えないねえ」
嘗め回すように駄っ文だは、「。」の身体を見る。それが不快だったので、少女は思わず顔を逸らす。
「くく。そんな大きな鞄の中には何が入っているのかな? おじさんに見せてみ?」
少女は震える手を必死に抑えながら、鞄の中に入っている――木の枝を出す。
それを見て、駄っ文だは思わず噴出した。ハカロワで上月澪に配布された武器ではないか。
「ははは、こんなか弱い少女にそんな武器しか渡さないとは、主催も酷な事をする」
高笑いをする男を、「。」は唇を噛みながら見つめる。
そんな少女の様子を見て、駄っ文だは思わず嫌らしい笑みをこぼさずにはいられなかった。
「意外に落ち着いているんだねえ。12歳で21禁板に来るくらいだ、これから自分が何をされるかも判ってるんだね」

そう言って、再び高らかに笑い出す男を、「。」は少々呆れとともに見ていた。この男は馬鹿なんだろうか、と。
ハカロワでこういう展開になったときに、自分がどうなるか大体判っているだろうに。
「まあ、手始めに、俺のコレでも咥え」
そう言ってズボンのファスナーを下げようとした瞬間、カァンッ、と男の額を木の棒が打った。
一瞬自分から視線を外した瞬間に、木の枝を駄っ文だの額めがけて投げつけたのだ。
「ってぇっ!」
男が怯んだ隙に、「。」は小走りで男との距離をつめ、その股間めがけて全力で膝蹴りをぶつけようとする。
父に習った護身術だ。痴漢に絡まれたときはこうやって撃退するんだ、そう父は力説していた。
――だが、そう上手くはいかなかった。
男の股間は自分の胸くらいの高さで、そんなところまで膝蹴りが届くわけがなくて、せいぜい男の膝くらいまで
しか届かなかった膝蹴りに、起死回生の破壊力があるはずもなくて、「。」は男にそのまま捻じ伏せられる。
「クソガキが――ッ……!」
ガシッ、という鈍い音を立て、駄っ文だの拳が「。」の額に叩き込まれる。
「。」はそのまま地面に叩き付けられる。軽い脳震盪が起こり、抵抗する力も、瞬間、失せた。
「そんなにお望みなら犯してやるぜ、可愛い顔したお嬢ちゃんよう」
怒りでか、それとも性的興奮でかは判らないが、男の顔は激しく紅潮していた。
「葉鍵板の住人の半分はロリコンで、もう半分はペドなんだよ……ッ」
息をハァハァと荒くして、駄っ文だは笑う。やっと目的が果たせる。彼女をここまで追ってきた目的が!
力を失った身体を押さえ込み、彼女の薄着のワンピースを強引にめくり、下着に手を這わせ、
まるで発達していない真っ白な胸があらわになり、薄い桃色をした誰にも吸われたことがないだろう、純潔の乳首に吸い付き、
彼女が何やら苦しそうに息をするのを耳元で聞き、ああ、俺がこの中学生の初めてになるのだな、と歓喜に震え、

その乳首にぽたぽたと赤いものが垂れるのを見て、そして自分の首に痛みが走り、真っ赤な噴水が「。」の頬を赤く染めている、
その不思議な光景を眺めながら、駄っ文だの意識は真っ白に途切れた。
きっとそこには、僅かなり歓喜はあっただろう。なんてったって女子中学生の上での腹上死だったから。

「。」はゆっくりと立ち上がる。乱れた服を正して、自分の頬にかかった赤いものを指でなぞりながら、考える。
誰かが助けてくれた。その事を認識するのには、多少の時間がかかる。

「リアルで会うのは始めまして」
にこりと笑うのは、髪の長い、長身痩躯の女性だった。ちょうど、ホワイトアルバムのあの人に似た感じの、綺麗な人だった。
けれど、あの人とは違い、冷たさのない――やさしい笑顔をしていた。真っ赤に染まった白いパンツスーツとは反対の、
どうしようもなく、どうしようもなく大人の、優しい笑顔だった。右手には、赤く染まった日本刀が握られている。
「嬢ですよね? 私です、遥か昔の書き手」
「……はるかさん!?」
遥か昔の(略)(女・21番)は、くすりと笑った。

「はるかさんが女性なんて知らなかったですっ」
はしゃぐように「。」は笑う。先ほどまでの怯えた様子とは全く裏腹に。
ピンク色のワンピースも、肩までのセミロングのストレートの髪も血で汚れているというのに。
12歳とはいってもハカロワに参加していた娘なのだ、血生臭いのには慣れているという事だろうか。
「ええ、私も嬢が本当に女の子だとは思わなかった」
遥か(略)もつられて笑う。真っ赤なのに笑えるのは、なんとも不思議な光景だ。

もしかしたらまだ、自分は――「殺す」ということがなんたるか、判っていなかったのかも。
そんな風に、後になって遥か(略)は思う。
「。」嬢は違っていたことを、ずっと後に知る。

「取り敢えず助け合っていきましょう? 嬢を見殺しにするのは流石に忍びないから。
 ほら、ハカロワみたいに脱出も出来るかもしれないですしね」
遥か(略)はそう提案する。その提案に反対するまでもなく「。」は頷いた。
「――絶対、足手まといにはなりませんから」
駄っ文だの死体から奪ったコルト・ガバメントを握り締めながら、囁くように「。」は吐いた。

「林檎さんやセル氏、それにL.A.R.氏を探しましょう。あの人たちがいれば、もしかしたら脱出もなるかもしれませんしね」
「はい。……でも、二人とも割と腹黒いから、意外とマーダーとかなってたり、しないかな……」
くすり、と笑う。心配そうに首を傾げる「。」の様子がひどく愛らしかったからだ。
「嬢は心配性だなあ。大丈夫、二人とも人を殺せるような人じゃないですよ」
そうですかね……と、「。」は首を傾げる。

こうしてチャット組二人は出会った。もしかしたらこのくそゲームを打破できるかもしれないと思っての、共闘契約だった。
――だが、遥か(略)は後に、この事を多少なり後悔することになる。
中学生が21禁板に来て、堂々と立ち回る――それが、どれ程の頭脳を秘めているのか。
その事を、この時点ではるかは理解していなかったし、深く考えようともしていなかった。

怯える姿も、男に襲われる姿も、すべてが演技。そして、誰かが助けに来てくれることをも読みきった洞察力。

……彼女のその大きな鞄に入っていたのは木の枝などではなく、恐らくこのロワイアルに於ける最強の武器の一つ、
奇しくも本編で七瀬彰が使用していた武器、イングラムM11と、その無数の弾薬であった。
だがその事を「。」は遥か(略)にまるで話そうとしなかった。

【13番 駄っ文だ 死亡   残り32人】
【遥か(略)「。」 暫定的に共闘開始】



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