夜に溶ける向日葵






「とりあえず、ここまで来れば大丈夫だろ」
L.A.R.は多少息を切らしながら後ろを振り返る。
「ったく、どうしようもないなあれは……」
「どうしようもないのは貴方ですよ」
「!?」
声のした方を見る。いつの間にか、そこには黒髪の女が立っていた。
「……誰だ」
嫌な汗が背中を伝う。さっきまで、確かに誰もいなかったはずなのに。
「日向葵といいます。ご存知ですよね」
その名前は知っていた。リアルタイムであの現場にいた人で忘れた者はいないだろう。
風のように現れ、たった一つのSSでスレッドの荒れを抑え、そしてまた風のように去った謎の人物。
目の前にいるこの女がそうだと言うのか。
「知ってる。忘れるわけもないだろ」
「そうですか。光栄ですわ」
首をややかしげ、微笑む。これが太陽の下なら、その微笑みはまるで向日葵のように映っただろう。
「何か用か。俺は彗夜以外の人間と積極的に戦うつもりはないんだが」
その言葉を聞いて、葵は顔を翳らせた。
「やっぱり、やる気なんですね」
「当たり前だろう。願ってもないチャンスだ。俺はあいつを許せない」
「里村茜、ですか。それはあの人だけの責任ではないのではありませんか?」
そう。浩平や詩子への行動というプロセスを経ての結果。
「だけど、さ。まだ取り返しがついたかもしれないだろう。
それをあいつは最悪の形で結んじまった。しかもハカロワの最後を見届けずに、消えやがった。
なあ、知ってるか。あの一件で、茜はハカロワのワースト人気キャラだ。あそこさえなければ、あんなことにはなってない。
茜が可哀相じゃないか……」
夜空を見上げ、呟いた。
「だから殺しますか。理由にもなってないと思いませんか? 今時、中学生でも最もらしい動機を用意しますよ」
「そうだ。その通りだ。俺はもう、あの時から狂っちまってるんだろ。知ったことじゃないさ」
「……」
葵の目を見て、続けた。
「なんであんたはそんなことを気にするんだ。俺にしてみりゃ、そっちの方が不可解だよ」
「私は……私は、殺し合いが見たくないだけです」
二人の視線が交錯する。
「またいつか、皆で笑える日が来ればいいのに」
「はっ、それは叶わぬ話だよ」
馬鹿にするように言う。
「とにかく、誰に何を言われようと、俺はやる」
振り向き、歩き出す。
「無理ですよ。あなたに彼は殺せません」

「どういう意味だよ」
足を止めて向き直った。今度は怒気を孕んだ瞳で睨み付ける。
「言った通りの意味ですよ。あなたは、そこまで馬鹿じゃないはずです。自分の行動が無意味だと気付いてる。
ただ、自分で思い込んで、自分を追いつめてるだけですよ。
機会が来ても、殺すことはできません」
そう言った直後だった。L.A.R.は葵を組み倒し、喉元に閉じた傘をつきつけた。
「殺してやろうか、今すぐに」
「できるならどうぞ、御自由に」
風が、冷気が、二人の間を通りぬける。互いの目は真剣だった。

どのくらい経っただろう。一時間も経ったように思え、また一分も経ってないようにも思えた。
「……くだらねぇ」
均衡を破ったのはL.A.R.だった。傘を引き、一歩下がる。
倒れた相手に手を貸すようなことはしなかったけれど。
「ほら、できなかった」
またあの微笑みを浮かべながら葵は立ち上がる。その動作には一片の無駄も存在しない。
「……そこまで馬鹿にはなれてねぇんだよ。俺はもう行く」
再び歩き出す今度はもう振り返らないように。
「その傘は普通の傘じゃありません。盾になります。ほとんどの攻撃なら防げるでしょう。扱い辛いかもしれませんけど」
「そうなのか……ありがとな」
振り向かないように。振り向かないように。
「殺さないで、そして死なないで。いつかまた、皆で笑えるように」
今度は返事をしない。心の中ではそれが出来ればどんなにいいだろうと思っていた。
わざわざ告げるほど素直ではない。
振り向くことのなかったL.A.R.は、その場に既に葵がいなくなってることに気付くはずもなかった。



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