誰がために神は謳う――――
この世界は歪んでいる。
世界の四大属性がズレて、おまけに全ての根底にドロドロとした『負の燃料』が渦巻いている。
どうしようもなく、救いようがない程に歪みきっている。
原因は一つや二つではない。
数多の方向から集中した矛盾によって狂わされ、ちょっとやそっとの修正力ではどうしようもない。
まるで世界そのものがやがて来る終わりを黙って待っているように。
――神様は完璧な、神様が作ったシステムによって運営されている。
それこそちょっとやそっとの異常ぐらいは自力で修正してしまうような、そういう歯車があった。
なのにも関わらず、その歯車は少しずつ狂い始め、今はこの有り様だ。
何故そんなことが起こるのか、と問われれば。
異形の存在を空中に侍らせた赤髪の男は、即答することが出来ただろう。
――――世界という巨大なサイクルの一部が、もう限界に達しかけているからだ。
だから男は、世界を救おうと考えた。
たとえ手段が間違っていようとも、それで恒久的な世界の救済が実現するなら安いものだと思った。
そのための計画は周到に組んで、『ベツレヘムの星』を起動させることにも成功した。
後は不穏因子……上条当麻を排除し、神の力による一掃を行う。
全ては順調だったのだが――
「……やってくれたなクソ野郎」
その全ては、鎌池和馬という男の前に完膚なきまでに打ち砕かれた。
まるで馬鹿みたいだ。
これまで積み重ねてきた計画が、あんなふざけた冒涜者ごときにパーにされてしまった。
自分が戻った頃には世界がどうなっているのか想像も出来ない。
神の力(ガブリエル)を卸してしまった以上覚悟はしていたが――こうくるとは誰が思う。
禁書目録の遠隔制御霊装も手元には既に無く。
支給品にあった科学サイドの武器は肌に合わない。
残されたのは――――『これ』だけだ。
フィアンマの横に浮遊している、歪すぎる形の腕。
残滓のように不安定で、だがしっかりここに存在している異形。
悪魔的な外見ながら、どこか神話的な印象さえ抱かせる。
それは『神の右席』実質的なトップの座を担う男の、最強の武器だった。
「――十分すぎるな」
くくっ、と笑ってフィアンマは『第三の腕』を見やる。
ベツレヘムの星発動下でない以上、その威力は全力に比べれば劣るだろう。
だが、それでもその威力はあまりに強大だ。
イギリスの第二王女を一方的に打ち倒す程には研ぎ澄まされた破壊力。
神の右席が頂点『右方のフィアンマ』の名は伊達ではない。
彼は聖人ではなく、肉体のスペックでなら同郷の『後方』の方が遥かに上なのは明らかである。
――それでも。
――聖人なんて生まれながらの才覚を頼らずともそれを優に超える、フィアンマはそういう人間だ。
世界の救済を掲げた男は、結論から言ってゲームへの参加を決意した。
理由など語るまでもない。全ては、己の理想を遂げるために。
罪のない者を殺し、踏み潰し蹂躙し、願いを叶える力とやらを手に入れる。
そうしたら――自分の計画では叶わなかっただろう、誰もが望む真の救済をくれてやるまで。
罪悪はやがてゼロになる。
その為になら、いくらでも自分は悪鬼羅刹に染まって見せよう。
「さて、それでは終わりを始めようか」
地面を踏み締めて歩く。
殺戮を誓ったフィアンマは、口元を裂くようにして――笑った。
◇ ◆
――――愉快な事になってやがンなァ。
一方通行は眉間に惜しみ無く皺を寄せて、地面に唾を吐き捨てた。
自分は確かオアフ島の一件を解決させて学園都市に戻った筈。
漸く抜け出した戦いの日々に回帰するのは癪だったが、守るべき者を守る覚悟だけはしていた。
自分が変わるきっかけになった小さな少女は勿論、その周りの世界もまた然り。
それを脅かす者がいるなら、そいつを血だまりの真ん中に寝かせてやるのも吝かではない。
そんな一方通行に、今回の一件は喧嘩を売る行為に限りなく等しかった。
(どンなカラクリを使いやがった……? 黙って拉致られる程、俺が弱くなったってことか……?)
考えて、有り得ないとそれを否定する。
一方通行は学園都市最強の超能力者だ。
ありとあらゆる『向き(ベクトル)』を操作する能力者――尤も、今は事情により弱体化しているが。
その弱体化を補うために自作した杖には、ジャミング電波機構が備わっている。
一方通行を無力化する遠隔操作をしたにしろ、気付かせずに拉致を行うなんて不可能な話だった。
(――……『魔術』か)
魔術。
科学の住人たる一方通行にとっては、信じるにすら値しなかった眉唾もの。
だが、今の一方通行にはそれも道理の一つとして認識されている。
オアフ島の一件だって、魔術サイドの人間が関与していたのは間違いない。
現に一方通行自身も、敵の魔術師に一度は遅れを取っているのだ。
名簿にはレイヴィニア=バードウェイなど、魔術サイドの知り合いの名前も確かにあった。
科学も魔術も分け隔てなくかき集めたメンバー、なかなかにイカれたセンスだ。
――血みどろの底を生きてきた一方通行には、この上なく誂えた趣向のゲーム。
今の一方通行が衰えているにしろ、全てを叩き潰す手段も可能性の一つにはあっただろう。
が、当の一方通行は現在――ブチ切れかけてさえいた。
「鎌池クンよォ、オマエはいけねェことをしちまったなァ」
にやぁっ、と笑顔を作った口元の三日月が、肌の白さと相反してやけに目立つ。
紅い瞳の爛々とした輝きはやはり殺意のみを連想させ。
とてもじゃないが、彼が殺し合いの反逆者であるとは思えない殺気を放っていた。
「俺だけなら好きにすればいい。だが、あのガキを巻き込ンだのがオマエの最大の失敗だ」
ミサカネットワークの最終信号(ラストオーダー)。
過去に己の手前勝手な理由で行った虐殺実験の忘れ形見。
あの少女の笑顔を脅かしたことを―― 一方通行は絶対に許さない。
彼女の世界を傷付けるならば、一方通行は誰を殺してでもそれを止める。
そして今回のような最悪の形でアイツを弄ぶというのなら――――、
「――ブチ殺し確定だぜェ、かァァァまちくゥゥゥゥうううううンンンン!!!!」
跡形も残さず、綺麗にブチ殺してやる。
◆ ◇
フィアンマの視界は、幻惑に包まれていた。
前方のヴェントがいた。
左方のテッラがいた。
後方のアックアがいた。
そして右方のフィアンマも、いた。
四人の怪物が、たった一人のフィアンマに対して同時に威圧を放っている。
睨み合いを続ける『神の右席』と『フィアンマ』。
その様子を少し離れた場所から見守り、笑う一人の人物の姿があった。
端正な顔立ちに会心の笑みを浮かべて幻術を行使するその男の名前は――ウートガルザロキ。
(は、はは……焦らせやがって。これなら全然いけんじゃねえか!!)
ウートガルザロキは、魔術組織『グレムリン』の構成員だ。
使う魔術は幻術。『木原』の尖兵に不覚を取って意識を奪われ、気付けばここにいた。
傷はどういうわけか癒えており、幻術のキレにも衰えの色はまるでない。
最初に『あの』右方のフィアンマを目撃した時は心臓が一瞬止まりかけたが、蓋を開けてみれば大したことはない。
所詮は人間、ならば欺けない道理がない。
現にフィアンマはウートガルザロキの幻に囚われ、ああやって歩みを止めているのだから。
(どうにかして脱出しなきゃいけねえ。なら、ああいう面倒な奴には死んでもらうに限る)
ウートガルザロキは、フィアンマのように極端な思想を持っている訳ではない。
願いを叶える権利は魅力的だが、当面の目標は『グレムリン』のメンバーを連れての脱出だった。
鎌池和馬がどんな秘策を講じていようと、出し抜いて嘲笑ってやる気でいる。
だがその前にまずは、脱出の前に邪魔な存在を殺しておくことが必要だ。
少しでもメンバーの生存率を上げるため、そして殺し合いに乗っているという偽装工作の為の策。
そのやり方を実行する上で、フィアンマなんて存在は甚だ邪魔なだけだ。
実力者には、お早い退場を。
第三次世界大戦終了後に片腕を切り落とされたと聞いていたから、五体満足なのは少々気がかりだったが、そこは連絡ミスか、それとも自分のように傷を癒す処置が行われたかのどっちかだろうと思って勝手に納得していた。
神の右席だろうが何だろうが、死んでしまえば脅威ではない。
――この殺し合いを利用して、都合の悪い人間を殺しておくのも手だ。
例えば上条当麻のようなイレギュラー要素、一方通行のような超人も殺すに越したことはない。
そして――自分にはそれをやれるだけの力がある。
「いい様だ」
神の右席の実質的トップというからどんなものかと思えば、この程度。
正直拍子抜けさえ禁じ得ないレベルだった。
これでは自慢話として語れるかも怪しい。
だが、右方のフィアンマの全盛期ともなれば見逃すのは危険が少々過ぎるだろう。
「…………殺すか」
言うなり、ウートガルザロキはディパックから一丁の銃を取り出した。
魔術サイドの人間であるウートガルザロキにとっては見慣れないフォルム。
学園都市製の狙撃銃。使い方は知らないが、そこまで複雑な操作はまさか要らないだろう。
狙うは幻術に嵌まるフィアンマの眉間。
引き金を引く。
正確には、引こうとその指を引いたところだった。
衝撃を感じた。
例えるなら、ジェット機の高速旋回にブチ当てられたような獰猛なそれ。
あまりにも理不尽な威力は、ウートガルザロキに痛みの知覚を一瞬遅らせる程だった。
「が、ァァああああああああああッッ!!??」
ウートガルザロキの肉体がくの字に折れ曲がって吹き飛び、地面を何度もバウンドしてやっと止まる。
全身に走る鈍痛。
胸に走る鋭い痛みは、折れた肋骨が肺を穿った激痛か。
いや、その前にまず両腕が完全に砕かれている。
これではどうしようもない――戦うなんて、できるわけがない!
幻術使いであるウートガルザロキの戦闘手段はその名の通りに幻術オンリーだ。
前線に出て武器を構えるような戦いはまずしないし、幻術を幻術で返されても分が悪くなる。
あの『木原』にだって、幻術対決で不覚を取ったのだから。
「おいおい、まさか俺が幻術を見抜けていないとでも思っていたのか?」
「な、っ――」
「見抜いていたよ。そもそも俺が二人いる時点で可笑しいだろう。恐らくは自分こそが偽物だと誤認させての精神錯乱を狙ってのものだったんだろうが、甘すぎるな」
フィアンマは嘲るように虫の息のウートガルザロキを鼻で笑い飛ばす。
フィアンマに幻術は作用していた。
それがこうもあっさりと破られたのはひとえに精度の甘さ――神の右席の再現の失敗。
神の右席は手前勝手な行動の相次ぐ、纏まりとは限りなく縁遠い集団だ。
まず、誰それを始末しろと命令を出したところで動こうともしないことだってある。
そんな連中が協力して一人を相手するなんて――幻以外には有り得ない話だ。
そして何より、ウートガルザロキは運がとことん悪すぎた。
彼の幻術は決して緩いものではない。
不覚を取りこそしたが、同じ幻術使いの木原乱数をも欺く精度がある。
『グレムリン』の構成員の名は伊達ではなく、普通ならまず見破るのは不可能な程に精巧な幻だ。
見破ったところで、幻の支配から逃れられるかも分からない。
精神力で乗り越えようと、術者であるウートガルザロキが在る限りは幻に終わりはないのだ。
しかし――所詮は幻。
現実とは程遠い領域に位置する、陽炎。
そんなもので、『神の如き者(ミカエル)』の片鱗を振るうフィアンマを止められるわけがない。
ただの一薙ぎでウートガルザロキの幻術は霧散し、その勢いを殺さぬままに術者をも捉えた。
「しかし、ベツレヘム発動下に比べれば随分と弱っているな。お前も不幸な男だ、ちゃんと俺様の全力が使えていれば、苦しむ暇すらなく逝かせてやれたというのに」
冗談じゃない、とウートガルザロキは思う。
ただの一撃で自慢の魔術を粉砕され、おまけに致命傷まで負わされた。
肺を破った肋骨のせいで、呼吸は徐々に苦しくなってくる。
全身も至る箇所が骨折しているせいかまともに動けない――生き残れないのは確実だ。
右方のフィアンマが、これほどまでに出鱈目な存在だとは思わない。
これでは――マリアンやベルシ達であっても、勝てるかどうか……。
第三次世界大戦の首謀者。
聖なる右を専門とする神の如き者の属性保持者。
『魔神になり損ねた男』オッレルスと共に行動していると聞いていたが、それは改心後の話。
幻想殺しの少年を最も追い詰め、世界を本当に終わらせかけた男を舐めすぎていた。
(……ち、くしょ……う…………)
ウートガルザロキは瞳を閉じる。
あまりの苦痛に、目を開くことさえ手間に感じる。
後は死を待つだけ――――その時、ウートガルザロキは激しい爆発音を聞いた。
それは、科学が誇る最強と、魔術の領域の絶対が衝突を開始する合図だった。
◆ ◇
佐天涙子は無能力者である。
学園都市の落第者、俗に言う落ちこぼれというやつだった。
が、彼女はもう無能力者であることを恥じたりはしない。
それで大切な親友に迷惑をかけたんだから――これが自分だと理解して、ちゃんと生きていく。
そういう決意をした彼女だった。
しかし、まさか自分の無能力者という肩書きがこんな形で足を引っ張るとは思わなかった。
「嘘でしょ…………?」
バトルロワイアル。『最後の審判』ってのも、学校で習った記憶がうっすらとある。
その光景を見るためだけに人を集めて、最後の一人になるまで殺し合いを行わせる。
まるで悪夢のような話だったが、試しに頬をつねっても見慣れた寮室に景色が変わったりはしない。
現実なのだ。
見せしめみたいに二人の大人が殺されたことも、自分がいつ殺されるか分からないことも。
佐天はがちがちという歪な音を聞いた。
その正体に気付くのには数秒を要した。
自らの歯が、恐怖に震えて情けない音を立てているのだ。
自分の恐怖を自覚した瞬間、バトルロワイアルへの不安が一気に佐天へと押し寄せてきた。
佐天涙子は力なき無能力者であって、そしてたかだか十数歳の中学生だ。
日溜まりの中で暮らしてきた彼女には、人を殺めた経験もなければ、誰かに殺されかけた経験もない。
学園都市に巣食う『闇』なんて知るよしもない。
学校へ行って退屈な授業を受けて、終わったら友達と遊んで1日を終える。
そういう日々を過ごしてきて、いきなり闇のどん底に落とされて――怯えないわけがなかった。
「やだ……!」
死にたくない。
まだやりたいこともある。
だけど、その為に他人を殺すことだってしたくない。
初春や御坂さん、白井さんみたいな人たちを殺すなんて思っただけで気分が悪くなる。
なら、どうすればいい?
首輪を外す手段は?
一定時間死人が出なかったら全員が死ぬルールは?
そもそも、誰かに襲われて無能力者の自分が生きて逃れられる可能性はどれほどなのか?
――考えれば考えるほど、絶望しか見えなくなっていく。
キャパシティダウンの一件で自分は体を張ったが、これはそんなものと比べ物にすらならない。
こんなに身近に『死』を感じたのは――生まれて初めてだ。
(とりあえず、初春たちと合流しないと……)
初春たちとは言っても、彼女には一つの懸念があった。
見せしめ役として殺された二人の大人。
その女性の方が、佐天のよく知るとある人物に似ているように思えたのだ。
御坂美琴――――学園都市第三位の超能力者『超電磁砲』。
最強の発電能力者(エレクトロマスター)と呼ばれるだけあって、御坂はとても頼もしい存在だ。
佐天だって、自分が馬鹿をやらかしたあの『幻想御手事件』の時に御坂に助けられている。
間接的ではあるものの、御坂がAIMバーストを倒さなければあの事件は収束しなかった。
強くて頼もしくって、白井黒子が憧れるのも頷けると思えた。
佐天も密かに彼女に憧れていたし、初春だってそれは同じだと思う。
だけど――御坂美琴は佐天と同じ人間だ。
もしも、万一殺された二人、或いは片方が彼女の親族であったなら。
彼女は果たして――今まで通りに毅然と正義を進むことができるのか。
もし自分だったらと考えると、分からない。
家族をあんな形で失うなんて想像も出来ないし、想像もしたくないのが本音だった。
殺し合い促進の為の見せしめなんて理由で生みの親を殺される苦しみは、一体如何程のものだろう。
(……あたし、嫌な奴だなあ)
ふと、自分の汚さに気付いて自嘲的な笑顔を浮かべる佐天。
(あたし、今御坂さんを疑ってた。あんなに良くしてくれた御坂さんに、会いたくないと思った)
そう思うと、すぅっと恐怖の熱が引いていくのを感じた。
自分への嫌悪が、それを塗り潰して新たに佐天を苛み始めたのだ。
最低だ、と思う。友人を人殺しかもしれないと一方的に疑ってかかるなんて、本当に最低だ――。
これじゃあ、いつか初春たちに愛想を尽かされても仕方ない。
「……誰か探さないと。一人で動いたって、あたしにできることなんてたかが知れてるしね」
自分は頭も特別良くないし、何度も言うように無能力者である。
バトルロワイアルに考えなく反対したところで、犬死にを晒すのが落ちだろう。
まずは頼れる人間を探して情報交換。
それから仲間を更に増やして首輪を外して――上手くいけば、それから鎌池を倒せるかもしれない。
温帯気候の島なのか、やや湿った空気の中を歩き始めて――すぐに、佐天は絶叫を聞いた。
(誰か襲われてるんじゃ……!!)
声の方向に足音を殺して近付いていくと、二人の人間の姿が見えた。
一人は地面に倒れ付していて、もう一人の赤髪の男性がそれを見下ろして何かを言っている。
倒れている方の人はかなり辛そうだけど、まだ生きているみたいだ。
……とはいえ、このままじゃ殺されてしまうのもまた確実。
(……どうすんの、あたし?)
デイパックに手を入れると、一本の金属バットが出てきた。
高校球児が使いそうなフォルムの黒光りするバット。
これで後ろから叩けば、意識を飛ばすことくらいは容易なはず。
こうしないと倒れている男の人は殺される――だけど、やはり怖い。
歯はまだ無様に震えている。
参っている時間もあまりない、急いで行動しないといけないのに――足が震える。
がくがくと震えて、初めの一歩すら踏み出すことを許してくれない。
「……やるしかないっ」
小声で呟き、一歩を漸く踏み出した瞬間に――――
「…………あ」
男と目が合った。
端正な顔面が嗜虐的な笑顔に歪み、佐天は蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまう。
蛇ならまだいい。あれは、今の自分にとっては死神同然だ。
――殺される。
ぺたりと尻餅をついた佐天に向かって男は、侍らせている異形の『腕』を振るおうとする。
佐天にはあれが何なのか分からない。
魔術の知識を佐天は持たないし、『神の如き者』なんて言われても何のことだかはさっぱりだ。
けれど、あれが振るわれた瞬間が自分の最期だということは分かった。
防御の策はない。
攻撃の策もない。
逃げようにも、腰がすっかり抜けて立ち上がれない。
(……死ぬの?)
実感が湧かなかった。生命の終わりってものは、こんなにあっさりやってくるものなのか。
こうも唐突に無慈悲に理不尽に――何もかも、踏みにじっていくのか。
走馬灯のように蘇る十数年の思い出。
初春や黒子、そして御坂との思い出。
ドタバタした日々を送ってきたが、今思い返しても楽しい日々だった。
佐天は思う。否、気付く。
最後の最後に、当たり前のことに気付く。
(……なぁんだ、あたしって馬鹿だなぁ。初春のこと、白井さんのこと、御坂さんのこと――こんなに大好きなのに。疑ってばかりだから、こんなに辛かったんだ)
だが。
佐天涙子の体が無惨に弾けることはなかった。
空間を駆け抜けた小石の雨霰が、フィアンマに一斉に浴びせられていたのだ。
小石といっても、時速数百キロで飛ばせばそれは弾丸に匹敵する。
フィアンマは『第三の腕』の薙ぎでそれを振り払うが、次は少し大きめの石ころが一発、空間を走る。
「ハァーイ、ご機嫌なトコロ失礼すンぜェ」
頭を反らすことで石ころの弾丸を避けたフィアンマに向かい、歩いていく一人の人影があった。
白い髪に肌、そして血液の如く紅い紅い相貌――アルビノの証たる、よく目立つ華奢な外見。
触れれば折れそうなほど細い体のくせして、纏う殺気は紛れもなく肉食獣のそれ。
白い肌の中で、首輪とは別に装着された電極型チョーカーがやけに目立っている。
杖を突きながら現れたその人物は、口をにぃぃぃっと裂くようにして笑顔を作り。
「選ばせてやる。大人しく優勝を諦めるか、愉快な肉達磨になるか。オマエが選ンでいいぜ」
「ならば選択肢を追加で頼む。俺様がお前を殺すっていう、単純な選択肢を一つな」
衝撃が吹き荒れる。
学園都市最強の怪物、一方通行が戦場に君臨した。
◆ ◇
フィアンマの行動は実に迅速だった。
『第三の腕』を振るって、一方通行を文字通り一撃の下に粉砕する。
それから佐天涙子を殺し、早速ながら三人分のキルスコアを挙げる寸法だ。
はっきり言って、微塵も危険などは感じていない。
科学サイドの高位能力者だか何だか知らないが、己の『第三の腕』はあまりに強大。
心配をするだけ杞憂という話だった――のだが。
「…………なに?」
一方通行は、『第三の腕』が振るわれた後に無傷でそこに立っていた。
ウートガルザロキを粉砕した攻撃が、傷一つ与えられていない。
それどころか、散らされた砂埃さえも浴びていないように見える。
「オラ、ボケっとしてンじゃァねェぞォ!!」
瞬間、一方通行がフィアンマの視界から消えた。
勿論その程度のことを理解し損ねる彼ではない。
すぐに一方通行が急激な加速を行い、死角へと回っただけの話だと理解する。
まるで他人事のように事態を理解すると、またも『第三の腕』が振るわれる。
向かってくる一方通行の鋭い高速の飛び蹴りと正面からぶつかり合い――白い少年が先に飛び退いた。
その反応速度は脅威だし、またも傷一つとして負っていない。
あの細そうな足で『第三の腕』を受けきれる筈がない、やはりあの防御は能力ゆえのもの。
速度に力と防御を兼ね備える――面倒だな、とフィアンマは思った。
「どうした能力者。俺様はまだ傷一つ負っちゃいないぞ?」
フィアンマの挑発が終わる前に、一方通行はまたも突撃を行う。
両手を突き出しての突貫(ロングレンジ)。
第一位の超能力者の魔手。
触れただけで全身の血流を破壊し、逆流させて生命を刈り取る悪魔の両腕。
死神の鎌のようなそれにフィアンマは三度目の『第三の腕』をぶつける。
エネルギー衝突の衝撃が大気を揺らし、衝撃波が周囲の地面を散らす。
「――ほざいてろ」
一方通行はフィアンマの挑発に乗ろうともせず、怒りよりなお鋭い殺意で応対した。
常人なら感じているだけで震えかねないそれを受けて怯みもしないのは、やはり彼が神の右席、ローマ正教数十億の信徒の頂点に君臨する者であるからか。
それとも――やはり、自分の『力』に対する絶対の自信か。
(さて、威勢だけは良いが――――――ッ!?)
しかし、ここでフィアンマは初めて表情に驚きの色を示した。
『第三の腕』と拮抗していた一方通行の魔手が、振るわれる力の波を抉じ開けようとしていた。
緩やかではあるが、このままではそう遠からぬ内に破られる。
フィアンマは咄嗟に退いて、拮抗を崩した上でもう一度一方通行へ攻撃を放った。
それは一方通行に当たらず、空中数メートルにも及ぶ跳躍で避けられてしまったが。
「オマエの攻撃は確かに強力だ。凶悪って言ってもいい」
お世辞抜きで、一方通行は同じ人間でフィアンマクラスの実力者を見たことがない。
相性云々を加味すれば、もっと一方通行を追い詰めた存在はあった。
木原数多の格闘術や、垣根帝督の反射の穴を突く戦略。
エイワスの正体不明の力には手も足も出なかったし、『グレムリン』の魔術師にも傷を受けた。
が、単純に最も強力な破壊をもたらす存在としてはフィアンマは最強だ。
ベクトル変換を込めての蹴りや突き、核シェルターを易々ぶち抜く攻撃を打ち返すほどのエネルギー。
あれを生身で受ければ成る程、確かに比喩抜きで肉の塊に変えられかねない。
「――けどよォ、戦いには相性ってモンがあンだよ」
一方通行の能力は『ありとあらゆる力の向きの操作』だ。
その応用によっては、フィアンマの『第三の腕』を破る手段も存在する。
ベツレヘムの星内部でならまだしも、弱体化している現状では一方通行に勝機は確かにあった。
「そうだな……成程、これには俺様も参ったと言わざるを得ない」
絶対の力の弱点を見出だされたにも関わらず、フィアンマは笑っていた。
彼もまた、戦う内に一方通行の弱点には気付いた。
彼の首に装着されている電極型のチョーカー、あれが只のアクセサリーとは考え難い。
恐らくあれを壊せば一方通行は無力化出来る。
そして、もう一つ。
「ところで、俺様にはお前が『急いでいる』ように見えるんだがな」
「……」
これは仮説に過ぎなかったが、一方通行の戦闘には『時間制限』があるのではないかと思った。
カマをかけてみれば、やはり図星らしい。
一方通行の戦闘スタイルに急ぎが見られるのは、事実だったが。
急ぐのも当然だ。何故なら、能力を失えば一方通行にフィアンマの攻撃を避ける術はないのだから。
後はなぶり殺しにされるのが関の山。故に、勝負はとっとと決める。これに尽きた。
「それでは、悪い大人の戦い方を見せてやろう」
瞬間。ゴバァッ!! と『第三の腕』の力が――佐天涙子に向かって放たれた。
フィアンマがわざとらしく向きを変えたため、一方通行にはそれを予期することができた。
攻撃の座標に割り込んで、両腕を前に突き出して暴虐のエネルギーを止める。
やはり重い。反射を破られるのではないかと錯覚するような重さがある。
この感覚は――ロシアの大地で、『天使』と戦った時に似ている気がした。
「タイムアップまでどれくらいかは知らん。まぁ、気長にやるとしよう」
「ッッ……」
タイムアップ。その時が来れば、一方通行は佐天涙子ごと吹き飛ばされて終わる。
佐天が逃げれば何も憚ることなく一方通行は戦えるのだが、当の彼女は既に気絶していた。
一方通行が助けに入った時にはもう、失神していたようだ。
これでは逃げることもできない――かと言ってこのままでは一方通行が死ぬだけ。
仮に奴が佐天を見捨てても、フィアンマには十分勝算があった。
ゆっくり堅実な戦いを続けて、来るその時まで遊んでやればいいだけのこと。
嗜虐的な笑みを浮かべてフィアンマは笑い声を漏らし――――
――――その時、一方通行の背後から一人の少年が走ってくるのを見た。
.
「……見付けたぜ、フィアンマ」
ツンツン頭の少年が右拳を叩き付けると、フィアンマの自慢の一撃はあっさりと虚空に弾け消える。
「…………因果だな、幻想殺し!」
一方通行が佐天を連れて逃げたことも今はどうでもいい。
それより先に排除すべき障害が現れた。
優先順位に従うなら、あの超能力者よりこの『幻想殺し』の方が数段上なのだから。
世界を救済する計画の上で、唯一完璧な計画に楔を打つかもしれないある種の規格外。
ありとあらゆる異能の力を打ち消す右手を持った少年が、今目の前にいる。
『第三の腕』が勢いよく振るわれ、それが幻想殺しの右手に触れた刹那で消失する。
やはり厄介だ。
しかしここで殺さないと、彼に影響されて団結した複数人を同時に相手取ることになっては面倒。
暫く、轟音ばかりが天高く鳴り響いていた。
◇ ◇
オアフ島を、風のような速さで駆け抜ける白い影があった。
彼――、一方通行は、両手で一人の女子中学生を抱えていた。
こう言うとメルヘンチックだが、一刻も早くあの男――フィアンマから離れねばならない。
電極の制限時間はあと二十分以上あるものの、長期戦になれば敗北するのは間違いなく此方である。
自分自身でも理解していない『黒い翼』は、信用しすぎるのは間違いなく危険だ。
あの力を使うとなれば、佐天を守りながら戦うような真似は出来ないだろう。
守りまでも攻撃に回す。あれはそういう力なのだ。
(鎌池のクソ野郎。随分とまあめんどくせェ奴を集めやがったな)
異形の腕を振るう奇人・フィアンマ。
彼の力は間違いなく学園都市に当て嵌めれば超能力者クラスの筈だ。
魔術師という存在を知った一方通行だが、あれは見てきた中でも間違いなく最大の実力者だった。
自分の到着がもう少し遅かったら、抱えている佐天は今頃死んでいた。
あれじゃあ無能力者に勝ち目なンてハナっからねェだろォが、と一方通行はぼやく。
しかし、一つだけ解せないことがあった。
フィアンマはあの局面で、自分に対して相当な優位に立っていたのだ。
どうしてあそこで、わざわざ自分達を逃がすように攻撃の手を止めたのかが分からない。
もしも攻撃を続けられていたら、本当に危なかった。
黒翼頼りになるか、それとも保身の為に逃亡に走るか。
「だがアイツ――『幻想殺し』って言ってたよなァ」
『幻想殺し』――そのコードは、一方通行にとって少なからず縁のあるものだった。
最強だった自分を正面から殴り倒し、一万の命を救ったヒーロー、上条当麻。
あの男もここにいる。
そしてあの男とフィアンマの間には何らかの繋がりがある。
まただ。またも、上条当麻に話は繋がった。
「まァいい。俺は俺のやることをやるだけだ」
紆余曲折の末に漸く同じ道に立った少年の面影を脳裏に描きながら、一方通行は駆け抜ける。
打ち止めを守り、その周りの世界も守り、鎌池和馬を殺して綺麗に話を終わらせるまで。
白き少年が駆ける。紅き相貌に、殺意以外の感情を灯して。
【一日目/深夜/H-6 オアフ島】
【一方通行】
[装備:一方通行の杖]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[状態:能力使用(残り20分)、疲労(小)]
[参戦時期:新訳三巻終了後]
[スタンス:対主催]
[思考・行動]
1:こいつ(佐天)を安全な場所まで運ぶ。
2:打ち止めを探す。上条当麻、浜面仕上とも余裕があれば合流したい
【佐天涙子】
[装備:なし]
[所持品:金属バット、基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[状態:気絶]
[参戦時期:アニメ終了後]
[スタンス:対主催]
[思考・行動]
1:…………
◆ ◆
上条当麻は跡形も残ってはいなかった。
死体も残さず消失し、立っているのはフィアンマだけだ。
数多くの幻想を殺してきた少年は呆気なく霧散。
右方を司りし男が残った。
だがその表情は優れず、むしろ苛立っているようにさえ見える。
「――手間を取らせてくれたな」
フィアンマは現に苛立っていた。
地面は大きく抉れて吹き飛んでいるが、それほどの規模での破壊があったとしても、跡形も残さずに上条当麻を殺害したなんて事実を素直に信じるほどフィアンマは馬鹿ではない。
そして何より極めつけとして、フィアンマが上条当麻を殺した時、攻撃は右手に当たった。
にも関わらずそれを貫通して攻撃は彼に直撃し、それで決着となったのだ。
そんな筈がない。上条の右腕が魔術の世界で特別視される理由は、科学の怪物でさえも追い詰める『第三の腕』だろうと一瞬で打ち消してしまうことなのだから。
即ち、あの上条当麻は――――、
「幻術か」
破壊の中心から離れた場所で、一人の青年が朽ちていた。
全身に傷を負い、両腕はあらぬ方向を向いて、おまけに内臓を肋骨が突き破っている。
フィアンマが矛先を佐天に向けた時には、青年――ウートガルザロキはまだ生きていたのだ。
自分の同胞が生き残れば、願いの力で生き返ることが出来る。
故にフィアンマに勝てる可能性を秘めた一方通行を逃がすべく、フィアンマに幻術を行使した。
「鼬の最後っ屁というんだったか」
苛立ちの表情を今度は笑顔に変えて、フィアンマは『第三の腕』を振るう。
ウートガルザロキの肉体はその一撃で文字通り四散し、原型を失った。
「ふざけやがって」
笑いながら、フィアンマはあてもなく歩き出す。
救済の為に全てを殺し尽くし、最後には全てを最高の形で再生させる。
バトルロワイアルが無ければ改心の未来があったにも関わらず、数奇な運命はそれを許さない。
――救済者は往く。
【ウートガルザロキ 死亡】
【残り68人】
【一日目/深夜/H-8 オアフ島】
【フィアンマ】
[装備:なし]
[状態:健康]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×3]
[参戦時期:ロシア編、ベツレヘムの星発動後から]
[スタンス:マーダー(救済)]
[思考・行動]
1:参加者を殺してまわる
2:上条当麻、白い髪の少年(一方通行)には注意する。
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