潮騒のメモリー







 姉が死んだ。
 それはある、とてもよく晴れた夏の日の事でした。

 辛く厳しいMI作戦を終え、すっかり小休止の感が出てきた舞鶴鎮守府。
 深海棲艦の暴虐が止んだわけでは決してなかったけれど、気が緩んでいたことには間違いありませんでした。
 砲と銃の音色が潮騒の中に絶え間なく響くいつも通りの光景ながら、皆の心にはどこか余裕があったのです。
 ……いや、それはそんな救いのあるものなんかじゃなくて。。

 ひとえに、慢心していたのです。
 絶望的な難易度を誇ったAL/MI作戦をも制覇した私達が、今更そこいらの海域で不覚を取るはずがないと。
 そんな風に思っていたからこそ、――突然やってきた"その時"に誰も対応することが出来なかった。
 
 大破進軍。
 安全第一が鉄則の舞鶴で、そんな命令が下るなど考えられないことでした。
 それはたった一度の過ち。しかし、一度坂を下り始めた滑車は最早止まりません。
 
 渇いた音を聞いた気がしました。
 それが、最後でした。
 振り返った時には、あの子の小さな身体を、炸裂する砲弾が撃ち抜いていたのです。
 
 悲鳴を上げて手を伸ばした。
 ――伸ばした、けど。その時には、もう誰もが悟っていました。
 …………それはきっと当の本人である、彼女も同じだったと思います。
 
 これは、助からない。
 万全の状態ですら大破域に追い込まれるような痛打を、その大破域で何の準備もなしに受けたのですから。
 
 奇跡は微笑みませんでした。
 そして、この世に神様なんてものは存在しないのだと知ることになるのです。
 戦場というものが、非情な現実を運否天賦に裏打ちされた理不尽極まる場であることは、百年前も、そして今も変わらないのだと。仲間が怒声をあげて仇の深海棲艦に突貫していくのを茫然と眺めながら、電は――


 ■


 一期一振の思考は極めて現実的だった。
 都合のいい夢や希望を描いて行動できるほど幼い心を持っていなかったこと、それが彼にとって最大の不運であると言えたろう。よしんば聡明過ぎたから、彼は道を過つことになった。
 三十本の刀剣と、同数の少女たちによる規範無用の殺し合い。
 皆が仲良しこよしで手と手を取り合えたならそれに越したことはないと思うが、そんな出来過ぎた展開はまず有り得ないだろうと彼は早々に諦めた。

 殺し合いは必ず起こる。
 勝手の知らない少女達だけに限らず、恐らく同胞である刀達の中からも殺人者は出るだろうと彼は踏んでいた。
 彼らには、皆それぞれ未練があり、一見明るく振舞っていても心に癒えぬ傷を抱えていることすら珍しくない。
 そんな脆弱さを容易に刺激してしまうこの趣向で、まず平和的に事が済むわけがない。
 当然、そうなれば「乗らない」刀達も無関係ではいられなくなる。

 殺し合いの打破を狙うなら、勝手にすればいい。
 私はそれを否定しないし、寧ろ応援さえしよう。
 ――だが、私は私の目的を果たすために、この剣を振るわせていただく。


 一期一振という刀は、多数の弟を持つ。
 藤四郎の名を持つ刀達が、彼の弟に該当する。
 彼のいた本丸にも、弟達は数多く鍛刀されていた。
 その中から誰一人としてこの任務へ参加させられていないなどと、そんな都合のいい話はないだろう。
 それこそが、彼を凶道へ駆り立てさせた恐ろしい現実だった。
 殺し合いが必ず進む以上、弟達がそれに巻き込まれていくのは避けられない。
 彼らの中には短刀さえいるのだ。
 少女達は兎も角として……大太刀や太刀の刀剣男士に本気で襲われでもすれば、ひとたまりもない。

 死なせられるか。

 否、死なせられない。
 彼らが誰かの踏み台として砕け散るなんてこと、たとえ主の命であれども承諾しかねる。
 彼らを守るためならば、この身は鬼にも羅刹にもなろう。
 共に出陣し、時には内番の一環で鎬を削りあった仲間達も。
 顔を合わせたことすらない、提督なる人物に従えられている少女達も。
 藤四郎の名を持つ以外の参加者は全てこの手で排除するのだと、一期一振は誓った。
 自身の写身である太刀の柄を力強く握り締め、忍すら思わせる静けさで、彼は闇夜に溶ける。

 
 ――――最初の獲物を見つけたのは、それから半刻ほど経った頃だった。


 「……童女、ですか」

 息を潜めてその人影を見定めた一期一振は、顔を顰めて呟いた。
 一瞬だけ、彼の瞳が慙愧の念に曇ったのを視ていた者は誰もいない。
 月明かりに照らし出されたのは、小さな背丈をした茶髪の少女。
 武装こそしているようだが、実戦経験が豊富とはとても思えない。頼りなさが伝わってくる。
 ……あれなら、確実に獲れる。
 少しは抵抗されるだろうが、そう時間はかかるまい。

 しかし。
 本当にそれでいいのか、と思う自分がいるのもまた事実だった。
 その理由など分かりきっている。
 要は、彼女の小柄な背丈と自らの弟達を一瞬とはいえ重ねてしまったのだ。
 彼女は恐らく、短刀の藤四郎達と同じ程度の齢であろう。
 羅刹を止めるにはちっぽけすぎる。それでも一期一振を止めるには十分すぎる事実。
 それが、完了しきったつもりだった覚悟に楔を捩じ込んでくる。

 「なにを、莫迦な」

 一瞬芽生えた迷いを、彼は失笑と共に切って捨てた。
 
 虚けにでも成り下がったか、一期一振。
 元より私は人斬りの道具。
 付喪神として人の形を成してからも、敵であるとはいえ何十と斬り殺してきただろう。
 何を戸惑うことがある。そのような雑念は、犬にでも喰わせてしまえ。

 「羅刹になると、誓ったのだろうが……!」

 その決意を証明するがごとく。
 隠密の体を解き、一期一振は少女目掛け踏み出した。
 少女もこちらへ気付いたようで、何かしらを口にしたようだが、そんな言葉に耳など貸さない。


 殺られる。
 そう感じたのか、彼女も自分の武装を構える。
 そこから放たれたものを見て――思わず目を見開いた。
 それは砲だ。自分達の戦で用いる銃兵とは異なる、嘗てでは考えられないほど小型化された砲台。
 少女の身体でそんなものを振るってくるのかと少々気圧されたが、されど尻込みする彼ではない。
 
 放たれた砲弾を躱し、間合いへ踏み入る。
 狙うのは逆方向の袈裟、即ち斬り上げだ。
 刀装を装備していないのはお互い様だが、近接戦においてはやはり刀に分がある。
 終わりだ。そのまま柄を上へ斬り上げにかかる彼であったが――しかし、そうは問屋が卸さない。

 「な」

 それは瞠目に値する行動だった。
 なんと少女は、自身の装備した砲を斬撃へ横から当てることで僅かに衝撃をずらし、大きく身を後退させることで命中を免れたのである。そして砲弾が火を噴く。それは彼の足下に着弾し、視界を僅かに奪ったものの……致命には足りない。
 煙の向こうから現れる一期一振の姿は、少女の目にはどのように写っていたのだろうか。
 彼が成ることを望んだ羅刹のような恐ろしい存在か――否。そうでないことは、彼女の瞳が物語っていた。

 「…………何故です」
 
 その声は震えていた。
 一期一振が怒りを示しているのは、言わずもがな砲持ちの少女へだ。
 彼の表情は、まるで屈辱に打ち震えるかのようで。

 「今、貴女は加減をした。
  私は貴女が今の一閃を避けるなどとは微塵も思っていなかったのだから、……貴女がその気になれば、私を折るとまでは行かずとも傷を負わせることは出来たはずです」
 「……」
 「答えなさい、名も知らぬ娘よ。
  ……貴女は何故、今情けをかけた。憐憫のつもりですか」

 誰だって舐められるのは好きじゃない。
 ましてそれが、誇りを抱いて戦う男であれば尚更のこと。
 一期一振はあの瞬間、やられた、と思った。
 喰らうのは避けられない。次の瞬間には砲が炸裂する熱風がやって来る、それを如何にして流すかを考えていた。
 しかし、結果はどうだ。彼女が狙ったのは一期一振の足下。着弾しない、ギリギリのところ。
 それがただの偶然でないということは、彼の一閃を初見で回避してのけた芸当が証明している。

 「はい」

 少女は首肯した。
 ぴくりと一期一振の眉が動く。
 
 「あなたは、とてもかわいそうな人だと思うのです」
 「……可哀想? 
  見ず知らずの人間に、ましてや戦の何たるかも知らない子女に情けを掛けられるとは心外ですね」
 
 哀れみなど要らない。
 共感されることなど望んじゃいない。
 大体、"貴女に何がわかるというのだ"。
 静かながら、泣く子ですら黙るような怒気を滲ませる彼に、しかし動じず少女は答えた。

 「だったら、あなたはどうしてそんな目をして戦うのですか」
 「……なに……?」
 「あなたの目。悲しそうなのです。とっても」

 その時、一期一振は少女の異質さに気付いた。
 ――剣を構えた殺人者を前にしていながら、彼女はあまりにも落ち着いている。
 いや、落ち着いているだけではない。伽藍洞とすら言えるほどに、彼女のすべては静まり返っていた。

 「そういう目をして戦う人を、電は知っています。
  ……だから、あなたは可哀想なのです。
  だから。――電は、あなたと戦いたくありません」

 ■


 響ちゃんが轟沈した日から、司令官さんは変わりました。
 
 もっとも、彼はそれを隠し通せているつもりのようでしたが。
 舞鶴鎮守府で建造されて長い電や、一部の艦娘さんにはお見通しです。
 でも、誰もそれを言い出せませんでした。慰めたり、励ますことも出来ませんでした。
 本当に癒えることのない心の傷を負ってしまった人を、見たことがあるでしょうか。
 ――彼が、そうでした。
 普段の明るい人柄を仮面のように演じ続ける姿を見れば、誰も彼に何か言うことなんて出来ません。

 彼はその後、一度とて艦娘を沈めませんでした。
 慎重なのは今まで通りでしたが、前までのとは明らかに意味合いが違っていたのです。
 彼は病的なほどに、艦娘が傷つくのを嫌いました。
 大破して帰ってきた艦娘を見る度に、司令官さんの仮面が一瞬だけ剥がれるのを電は知っています。

 ほんの一瞬ですが、あの目になるのです。
 言葉にし難い、いろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った悲しそうな目。
 あの人の時間はきっと、あの日で止まってしまったのでしょう。
 響ちゃんを――彼が提督を始めてすぐに建造し、長年連れ添った大事な仲間を失った日から。

 変わってしまったのは彼だけではありません。

 暁型四姉妹の長女である暁ちゃんは、頑なに妹の電達を出撃させたがらなくなりました。
 雷ちゃんは、駆逐艦の仲間をよく庇って負傷するようになりました。まるで、誰かと重ねているかのように。

 あの日から、何もかもがおかしくなった。

 電もきっと、どこか外れてしまったのかもしれません。
 自分ではよく分かりませんが、たまに電のことを寂しげな目で見ている人がいるのを知っています。
 けれど、いいのです。電は、もう二度とあんな想いをしたくないのです。
 壊すのも壊されるのも、もう嫌です。だから、電は決めました。

 ■


 「黙りなさい」

 一期一振は、電の首筋へ刃を突きつけていた。
 彼女に抵抗する様子はない。首を切り落とすには、もう一度振り被る必要があるのを電は知っていた。
 それが、彼の苛立ちを更に増長させる。
 火に油を注ぐという諺よろしく怒りを激しくさせ――同時に、ある感覚を覚えさせるのだ。

 「誰と重ねているのか知りませんが、私には止まれない理由がある。
  理解不能な言葉を並べて煙に巻こうと、私はここで貴女を殺す。それは変わりません」
 「……殺されるのは、困るのです」

 悲しむ人がいますから。
 言って刀身へ手を掛けようとする姿に、ぞっとするものを覚えた。
 反射的に刃を引き戻し、そのまま突き出す。
 脇腹を掠めた刃には、彼女の血糊が付着していた。

 「電はもう、誰かが泣く姿を見たくありません。
  誰かが悲しむ姿も――それで壊れてしまった人の姿も、絶対に見たくないのです」

 蹌踉めきながら、彼女は連装砲を構えた。
 再び砲弾が吐き出される。またもそれは一期一振を捉えることなく、その傍らの地面を吹き飛ばした。
 吹き付ける風圧と砂煙は熾烈なものだが、決め手には程遠い。
 そのようなことは、最早どうでもよかった。
 そう思えてしまうほどの問題が、目の前にあったのだ。

 電は、砲弾の炸裂が生む風圧の中を前進し、一期一振へと歩み寄って来ている。
 一歩、また一歩。その歩みはごく小さいが、しかし後退していない。
 
 ――この少女……!

 太刀の青年は、初めて自分の覚えている感覚の正体に勘付いた。
 これは……恐怖だ。自分より一回り以上は小さい背丈の少女に、そんな感情を抱かされている。
 彼女自身に恐ろしい所はない。精々が少々の出血程度である。
 現に一期一振が殺し合いに乗っていない刀剣であったならば、恐れなど抱くことはなかったろう。
 彼は今、殺し合いに乗っているからこそ……彼女が恐ろしく見える。絶対に出会ってはいけなかったと確信する。

 「あなたも、誰かの為に戦っていると思うのです。
  その道は間違っているけれど、――だからと言って、電にはあなたを殺せません」

 
 電は、壊れてなどいなかった。いや、壊れられなかった。
 彼女が姉の死をきっかけに至った境地は、ある一つの悟りである。
 喪失の痛みを知った。その痛みに呻く人達の悲痛さを誰よりも見てきた。だから――



 「電は――もう二度と、電の前で誰かが死ぬのを、見たくないのです……!!」



 自分は、何も殺さない。
 それは駆逐艦という在り方からまったく乖離した主張である。
 しかし、彼女らしいとも言えるだろう。
 駆逐艦・電はかのスラバヤ沖海戦にて、376名もの敵乗務員を救助している。
 所詮戦いの道具でありながら、それに相応しくない優しさを持つ者。
 そんな彼女が艦娘として生まれ変わり、人の体と声を手に入れた以上、いつかこうなるのは必然だったのかもしれない。

 「……愚かな!」

 声を荒げ斬りかかる一期一振。
 彼だとて、本当は彼女のように在ることこそが正しいのだと心の内では信じている。
 が、それはあまりにも都合の良すぎる話。
 目の前で誰も死なせたくない。その主張は、武器として生まれたことと明らかに矛盾している。
 そんなことは――そんなことは、叶うはずがない理想論。

 だからもう喋らないでくれ。
 その希望は、自分には眩すぎる。
 足を引く想いを振り払う勢いで振り上げた刀。
 電にも、今度のは回避できない。
 間違いなく致命傷は確実の一撃――では、ここで彼女は終わってしまうのか。

 普通ならば、そうなるところだが。
 少女の鳴らした砲音は、彼女にとっての好転を引き寄せていた。


 「愚かなのは貴様の方だ。少し頭を冷やすがいい、馬鹿者」
 「……がっ……!?」


 一期一振の背へ打ち込まれた手刀。
 それは的確に彼の意識を刈り取り、呆気なくその意識を奪い去った。
 ――電を救援した一撃の主は、麗しい白髪の持ち主であった。

 人の形をとっていながら、伝説の狐を思わせる艶やかな毛並みを持った偉丈夫。
 冷静さを欠いていたとはいえ、一期一振を一発で昏倒させる腕前は伊達ではない。
 彼はきょとんとした様子の電にフッと笑みを浮かべると、気絶した一期一振を肩に担ぎながら話しかけた。

 
 「短刀もかくやという小ささ。童女でありながらそれだけの肝を持つとは面白い娘よ。
  しかし、一人では何を成すにも辛かろう。私に付いて来い。近くに良さげな小屋を見繕ってある」
 「……あなたは……?」

 「私か? ――小狐丸。決して図体が小という訳ではない。そこの所をよろしく頼むぞ」

 斯くして、救いを掲げた幼い駆逐艦は窮地を脱することに成功する。
 しかし彼女の進む道は、言わずもがなの茨道だ。
 果たして電は殺し合いを生きて脱し、"司令官"のもとへと辿り着くことが出来るのか。
 そして、誰も死なせたくないという願いはどこへ至るのか。

 それを知る者は誰一人いないが。
 この月夜に邂逅した二本の刀が鍵を握るのは、確かなことであった。


【E-4 廃墟群/一日目/深夜】

【電@艦隊これくしょん】
[状態:疲労(小)、脇腹に刀傷(未処置、小程度の出血)、強い決意]
[装備:12.7cm連装砲@艦隊これくしょん]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:誰も死なせたくない。皆を助けて、司令官さんに話を聞きたい。
1:とりあえず、小狐丸さんについていってみるのです
2:この人(一期一振)とも後で、もう一度話をしてみなきゃ。
3:暁ちゃんや雷ちゃんがいるのなら、なるべく早く合流したいのです

【小狐丸@刀剣乱舞】
[状態:健康]
[装備:太刀『小狐丸』@刀剣乱舞]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:殺しを働くつもりはない。
1:屋内で電に話を聞き、一期一振が目覚めるのを待つ。
2:電、といったか。なかなかに面白い少女よ。

【一期一振@刀剣乱舞】
[状態:健康]
[装備:太刀『一期一振』@刀剣乱舞]
[所持品:基本支給品一式、ランダム支給品×2]
[思考・行動]
基本:弟達を守る。その為ならば、仲間殺しも厭わない。
1:???



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