バトロワロンパ――奇跡の孤島と絶対の八十八人
橙色の髪をした一人の女、右代宮絵羽が目を開くと、そこは体育館だった。
絢爛な衣装を纏った彼女の姿は傍から見たなら、生徒の保護者にでも見えたかもしれない。
忌まわしい学生時代の記憶を思い出して苦い顔をしつつも、絵羽はふと呟いた。
「六軒島じゃ――――ない?」
信じられない話だが、彼女はつい先程まで殺人事件の渦中に居た。
実弟とその妻、右代宮霧江によって行われた大量殺人事件、混乱の中で彼らを捜していた筈なのだ。
だが、気が付いた瞬間にはこの体育館にこうして立たされていたのである。
変わり者として有名な彼女の父親でも、まさかこんな物を自分の住む島に作ってはいないだろう。
それ以前に絵羽の父は、既にこの世に亡い。
それは、既に明らかなことだった。
立ち眩みに耐えながら辺りを見回すと、どうも突然呼びつけられたのは絵羽だけではないらしい。
顔を知らない者から、自身の親族まで、百人近い人数が広い体育館の中で各々戸惑いを見せている。
どういうことなのか、絵羽は腕を組んでその頭脳を巡らせようとする。
殺人の首謀者たる次男夫婦の仕業なのか、それともこれも父・金蔵の仕組んだゲームなのか。
「……譲治! そうよ、譲治は一体どこに―――」
絵羽が溺愛し、彼の為なら命だって張れると断言さえできる一人息子の存在。
阿鼻叫喚の惨劇が繰り広げられる六軒島から何としても逃がさなければならない、大切な人物。
彼のことを思い出した刹那、自身を襲った不可思議に沸々と怒りの情が湧いてくる。
誰だか知らないが、この時間をロスしたことで譲治が死んだら絶対に許さない。
殺意を煮えくり返らせる絵羽だったが、不意に体育館のざわめきが大きくなったことに気付いた。
周りに合わせて体育館の、本来校長たる人物が立つであろう場所に目を向けると、そこには。
「グゥゥゥッドモォニング、オマエラ! 寝惚けてる場合じゃないよ、そしてこれは夢でもないッ!!」
――――白と黒の、若干奇抜なクマのぬいぐるみがあった。
昭和の声優を思わせるダミ声が、粋の欠片もない激しさで体育館を満たす。
あれが何なのかは正直まるで分からないが、あれを操る人間がこの件の首謀者であることは明白だ。
そう考えると、急に絵羽はあのぬいぐるみがひどく憎らしい存在に見えてくる。
「ちっ。何だ何だ、何が起こってるんだよ、ったく」
聞き覚えのある声がした気がした。
その声の主が、自身の息子を脅かすのではないかと恐れている弟のものであるとは気付けなかった。
しかし、皮肉にも彼女の実弟、右代宮家序列第四位・右代宮留弗夫の一言が状況を進ませる。
彼の言葉を耳にした者達はぬいぐるみへの怒りより先に、何が起きているのかを気にし始めたのだ。
怒号は次第に困惑の色が強くなり、壇上のぬいぐるみに一斉に降りかかる。
その流れを待っていたとでも言いたげに、ぬいぐるみは一歩前に出た。
とある高校生達は、この状況が何を意味しているのかを既に察している。
これとよく似たシチュエーションを一度経験し、ある者は死に、ある者は希望の力を見せつけた。
悪夢としか形容できないような学園生活をやっとの思いで越えた彼らだからこそ、白黒のクマを見た瞬間に感じた『絶望』の度合いは、計り知れないだけのものだった。
あれがどういう存在で、何を意味するのか知っているから。
中身が違えど、意味するところは同じであると、かつて希望と呼ばれた学園に入学を果たした高校生達は、その身と心をもって知り尽くしている。
希望を食らうことを生業とし。
絶望を蔓延させる最悪の絶望的存在。
「うぷぷぷぷ、ボクの名前はモノクマ。よろしくね」
特徴的なダミ声の中にうっすら混ざる隠しきれない邪念が、蛇のように参加者達の背筋を這った。
恐らくは誰一人として、その奇抜な外見をいとおしく感じた者はいなかったろう。
それほどに巨大な違和感。
まるで白い画用紙の上に一滴のインクを垂らしたような、そんな心地悪さが場を支配していた。
「今日オマエラに遠路はるばる集まって貰ったのは、早い話ひとつのゲームをして貰いたいからでっす! ……うぷぷ、有無を言わさず拉致してきたのはボクなんだけどね?」
「ふざけるなッ、何様のつもりだ、てめえ!」
「そんな理由で……私達を!?」
「戯言を吐くのも大概になさいッ、これ以上の狼藉は許しません!!」
「そ、そうだ! これは犯罪だぞ、すぐに警察が来る。お前は逮捕される!」
「なんやお前……謝罪安定ですわぁ」
各々溜まった感情をぶちまける。
絵羽も例に漏れず、激怒の声を抑えることは叶わなかった。
息子の安否も知れない状況下、快楽主義者の戯言に付き合っていられる時間は最早一秒とて無い。
今すぐ六軒島に帰り着き、殺人事件から守るべき者を救い出す。
右代宮家序列第三位、右代宮絵羽の矜持に懸けて、彼女は強く決意していた。
「退けぃ、退けぃッ!!」
その時、思い思いに感情を発露する人々を押し退けて、一人の白髪の老人が前に歩み出た。
絢爛な衣服にあしらわれた片翼の鷲。
気難しそうに皺の寄った顔、隠そうともせずに憤怒の色を相眸に映した形相。
間違いない。
その面こそ右代宮絵羽が憎み、そして利用し、多額の金銭をせしめようと企んだ元凶たる存在。
しかし、彼女にとってそれは信じられない光景だった。
(お父様……? どうして、お父様は死んだ筈じゃなかったの!?)
父、右代宮金蔵。
長男によって隠匿されてはきたものの、既に死んでいる筈の人間。
それが生前の老獪さそのままで、今まさに壇上のクマを掴み上げようとしているのだ。
これが驚かずにいられるか――怒りも忘れて、ただ食い入るように実父を見つめるだけしか出来ない。
「今宵は大切な儀式の日であるぞ! 我が最愛の魔女ベアトリーチェの甦る日であるッ!
何者にも汚せぬ我が想いを、如何な理由によって蹂躙するか、痴れ者がッ!!!」
「えーと、ですからこれはゲームで……はっ、一瞬気圧されてしまった!
コラ、持ち上げるんじゃありません! ボクへの暴力行為はルール違反ですよ!?」
「黙れィ!!」
モノクマのボディを皺だらけの右手で掴みあげ、そのまま握り潰さんとする金蔵。
参加者達も彼に賛同するように叫び、モノクマが何か言っていることさえ聞こえない。
しかし――、そのダミ声はとある『刑(ワード)』を呟いていた。
『グングニルの槍』
「がッ、あぁ!?」
右代宮金蔵の老体を、幾つもの凶器が貫いていた。
噴き出す鮮血がモノクマのボディに浴びせられ、体育館の床を紅く紅く染め上げる。
何か言うように口を動かす金蔵だが、モノクマの攻撃は彼に致命的な損壊を与えていた。
老体が仰向けに崩れ落ち、血だまりが広がるより先につんざくような絶叫が響き渡る。
「うぷぷ、ご覧になりましたか? ボクを脅かす者はこうなるのです」
心底愉しそうに短い両腕を広げて、モノクマは倒れ伏した金蔵を指差す。
本来死亡している筈の幻影に再度の死を与え、哀れな羊たちにこれが冗談でも戯言でもなく、紛れもない現実、逃れようのない絶対の運命であると示した。
人を殺すことに躊躇がなく、恐らくこの場で全員を殺すことだってやってのけるだろう。
これがそういう存在であると、会場の誰もが知ってしまった。
人々の絶望を喜ぶようにうぷぷ、と笑うとモノクマは、本題の説明に戻ることにしたようだ。
「制限時間は無制限! ……だけど、このままだと殺し合わないで過ごす人達も出てくる訳です。
だからボクたちは、一つルールを設けさせてもらいました――
『六時間の間毎に行う定時放送で死人の名前が告げられなかったら、全員ゲームオーバー』!!
うぷぷ、どう? 絶望的でしょ? こんな絶望に携われるなんて、オマエラは運が良いよね!!
……そして、優勝者の方にはどんな願いもひとつだけ、叶えてあげましょう。大サービスです」
―――狂ってる。
誰かがそう呟いた。
あれほど五月蝿かった罵詈雑言の嵐はすっかり静寂に呑まれ、不気味な無音が空間を支配していた。
怯えの色を隠さず浮かべる者もあれば、まるで楽しむかのような笑顔を見せる者もいる。
一方の絵羽はといえば、あまりに急すぎる展開の連続に唖然とするしかできない。
死んだ筈の父が蘇り、殺された。
一体何がどうなっているのか―――あのモノクマとは、一体何者なのか。
隠し黄金の碑文を見事解いた彼女でさえも、それを見抜くことは不可能だった。
「おっと。でも一つ忘れないで欲しいけど、ボクたちは別に殺し合わない人を殺す、なんて勿体ないことを考えてはいません。
僅かにでもある希望が消える瞬間こそ楽しいのに、摘み取っちゃうのは勿体ないでしょ?
……でも、絶対に脱出なんて無理なんだけどね! うぷぷぷぷぷー!!」
モノクマの笑い声だけが響く。
誰もが言葉を失い、壇上で狂喜するモノクマに視線を奪われていた。
「うーん、正直なところあんまりやることがないんだよね。
ルール説明を一からやるのも時間が掛かっちゃうし、何よりボクがめんどくさいし。
というわけで後のルールは後々配るルール冊子を読んでもらうとしまして」
普通なら呆れ果てるところだろう。
もしくは、どんな形であれこの恐怖が終わると安堵する場面か。
が、かつて超高校級の絶望が操っていたこの機械人形は、そんな生易しい開幕は与えなかった。
すっかり聞き慣れてしまった笑い声を高らかにあげ、どこからかスイッチを取り出す。
スイッチと金槌。
まるで法廷で判決を言い渡すが如く、モノクマは二つの道具を手元に置いた。
……それが何を意味しているのか、この時点で大半の人間は気付いた。
少なくとも右代宮絵羽は、最悪のセレモニーの最悪な幕切れを察し、その顔色を青褪めさせている。
ゲームの参加者となるだろう人々の首には、金属製の黒い首輪が装着されているのだ。
槍に貫かれた金蔵の首にもあり、周囲を見回しても一人の例外もなく、首輪がある。
外そうとしても外れないし、何よりそんなことを考えている余裕が今までなかった。
一抹の不安因子が、絶望のゲームの幕開けに相応しい形で―――爆発する!
「それじゃ、オマエラにちょっとばかり殺る気を出して貰いましょう」
かつん。
金槌がスイッチを叩いた。
サイレンサーを装着した銃声によく似た、くぐもった音がした。
「憧っ!? う、うわああああああああ!!!」
かつん。
絶叫に怯むことなく、スイッチが叩かれる。
今度は星の髪飾りをした少女の喉笛が、ごく小規模な爆発によって吹き飛んだ。
「小毬さんっ!」
少年の悲痛な叫びと少女の泣き声など、絶望の心を照らすことすら叶わない。
「恒一くんっ、助け―――」
少年に命乞いをしようとしても、彼には何も変えられない。
「く、くそおおおおおおおおおっ!!!」
没収し忘れていた拳銃の弾丸なんてもの、届かない。彼もまた、膝から崩れ落ちる。
「………ゆく、はし」
首を吹き飛ばされた遺骸を抱える王だった少年にも、神は微笑まない。
「……俺様の友達は、殺させないぞっ!!」
橙色の怪物の突撃も、哀れにもスイッチ一つで止められる。最終と呼ばれた存在ですら、簡単に死ぬ。
計六名の首が吹き飛ばされて、そうしてやっとモノクマの虐殺は終わった。
ふぃー、なんて汗を拭う動作をするモノクマとは対称的に、体育館はまさに地獄絵図。
絶叫が轟き、暴れ出す人々の怒号までもがそれに重なって、最早モノクマの声すら届きはしない。
が、導火線としては十分だった。
知り合いが死んだ者、そうでなくとも間近で死を目視した者は、殺さなければ生き残るどころか自らもまたこんな風に死ぬことを理解してしまう筈。
全てはモノクマ――ではなく、裏で糸引く黒幕達の思うがままに事は運んでいた。
どんな言葉も通らない状況、モノクマは無言で再び一個のスイッチを取り出した。
ただし今度は青色のもので、先程のものとは用途が異なっている。
金槌がかつん、とスイッチを叩くと、体育館に溢れていた人影は一人残らず消えた。
そのアブノーマル過ぎる光景が行われたのは、言葉通りに一瞬の出来事である。
「……うぷぷ。それじゃあ頑張ってね」
そう誰にともなく呟くと、モノクマは派手な音を立てて爆発、跡形もなく消し飛んだ。
スペアはいくつもあるが、それにしても乱暴な処理方法である。
とまあ、こんな風に、バトルロワイアルは始まった。
【右代宮金蔵@うみねこのなく頃に】
【新子憧@咲-saki-】
【神北小毬@リトルバスターズ!】
【三神玲子@Another】
【西島真澄@未来日記】
【行橋未造@めだかボックス】
【想影真心@戯言シリーズ】――――死亡
【残り88人】
【自重なしバトルロワイアル】
【ゲームスタート】
■ ◆ ◆ ■
「……成程、ね。ニンゲンにしては面白いことを考えたものだわ――『超高校級の絶望』」
「……うぷぷ」
「絶望も希望も、裏を返せば同じことだが……いやはや、今回は本当に世界の終わりを見られそうだな」
「やっぱり人間って、面白」
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