画太郎・浅見・かず
ペンが紙をひっかく音。あるいはトーンを削る音でも良かったが、
画太郎の耳に聞こえてきたのは、ぴぃっという、集中線を引く音だった。
やぶの向こう、四畳半ほどの仕事場で、背中を向けて線を引いている漫画家がいた。
不安そうにしきりに左右を振り向く横顔から、彼女がかずはじめなのだと分かった。
WJ以外で描いた「マインド・アサシン」以外は鳴かず飛ばずの、どうということのない普通の漫画家だ。
「明稜帝」はまぁ十人並み。萌えは――さあ、あるのか。聞いたことないがな。それに、今さら聞いてもしょうがないことだ。
そんなことよりも画太郎は、かずはじめの左手に握られた大型の銃に気づいていた。あれは役に立つ。
画太郎は音を立てないようにゆっくりと定規を抜き出し、右手に持った。
「珍遊記」のババアよりも素早い動きでかずの背後に忍びより、その後頭部に向かって定規を持ち上げかけた。
誰かが背後で「あ――」というのが聞こえ、かずはじめも画太郎もびくっとなって振り返った。
浅見裕子が立っていた。こちらは可愛らしい絵で低年齢層を狙う漫画家だ。
それが武器なのか醜い犬の人形(ブリキ製)を掲げ、画太郎を見つめて口を開けていた。
画太郎は内心で歯噛みした。何だ、漫画家同士でいるなら集中線ぐらい共同で描けばいいだろうが!
それどころではなかった。かずの持ったリボルバーの銃口が、画太郎の胸のあたりを狙っていた。
「かずさん! やめて!」
浅見が引きつった声を上げた。かずの指が寸前で止まる。
「なんでよ! こいつ、私を打ち切ろうとしてたのよ! 見てよ!
く、雲形定規なんか持ってるじゃない!! 久保くんと矢吹くんを打ち切ったのだってこいつかも知れない!」
画太郎は「ち、違うよ」と涙を浮かべてせいぜい気弱そうな声を出した。
またまた主演ギャグ漫画家画太郎さんの見せ場ってわけだ。
「かずさん、大声出したらダメだよ」
浅見が、それまでと違って落ちついた穏やかな声を出した。画太郎は少しおやっと思った。
浅見裕子はワン公に人間並みの思考力と価値観を持たす、
甘っちょろいヲタ女代表みたいな漫画家だと思ったのに、ずいぶん堂々として見えたのだ。
「そりゃあ――画太郎さんのことでいい話は聞かないよ。でも、そんなの今の状況じゃ関係ないでしょ。
案外、いつもはシリアス一辺倒って人が、巻末ギリギリの状況になるとさ、
萌えとか下ネタとかで見境なかったりするじゃない」
ちぎったトーンくずを、足元に投げた。また画太郎へ顔を向けた。
「わたし、画太郎さんはそんなに悪い漫画家じゃないと思う」
「どうして?」
画太郎が自分の漫画のような表情で正面から見つめたせいで、浅見は慌てて下を向いた。
「画太郎さん、いつもはすごい下劣なネタだよね」
「そうかもね」
「けどさ」トーンが四つになり、八つになった。「画太郎さんのネームさ、時々すごく哀愁ある、優しいコマがあるの」
画太郎は黙って聞いていた。
「だからね、私、前から思ってたんだ。画太郎さんはみんなが言うほど、クソな漫画家じゃないって。
きっと、たぶん、もし下品なネタを使ってるんだとしても、きっと何か理由があるんだって。
画太郎さんが悪いわけじゃないって」
何だか随分恥ずかしげな、まるで好きな同人誌カップリングを告白するような緊張した声音で、
つっかえながら浅見はそれだけ言った。
付け加えた。
「少なくとも、私は、それがわからないようなつまらない漫画家にはなりたくないって思ったの」
画太郎は胸の内でかすかに、ため息をついた。勿論、甘すぎるぜ浅見と思っていたのだ――しかし――
「――ありがとう」
画太郎は微笑して、そう言った。自分でもびっくりするような、上品な台詞が出た。
画太郎は目を見開いた。
やられる――。
かずはじめが間髪入れず、引き金を絞った。銃声。二発。
画太郎の眼前、ゆっくりと浅見裕子の体がくず折れようとしていた。
画太郎は浅見が脇に置いていた雲形定規をつかむと投げた。
かずはじめがぐっとうめいて、その手から銃がこぼれていた。
画太郎は遅滞なく、今度はブリキのブル・テリアを拾い上げ、かずの頭に向けフルスイングした。
ほうら。おまえにゃおなじみの肉だぞ? 満足か?
かずはその場に昏倒した。画太郎はすかさず、今度はその額に向けて肉を振り下ろした。
漫☆画太郎の外道プレイ。殺人スライディング。ほらほら、次はセンターよ。
その一撃で、ぶしゅっ、と血がしぶいた。画太郎は「肉」を下ろした。かずは既に打ち切りになっていた。
画太郎は肉を放りだし、リボルバーを拾い上げた。それから、俯せに倒れている浅見の方に歩み寄った。
浅見の体の下には血の染みが広がっていた。
画太郎をかばったのだ、あの一瞬。
少し考え、浅見の肩をぐっとつかんで、あおむかせた。
「が、がたろう、さん――げ、げんこう、落としてない?」
「うん――」
画太郎はうなずいた。
「かばって、くれたんだね」
浅見はちょっと笑ったようだった。
「ご、ごめんね。私、も、もう、げんこうがかけ、ないや――」
画太郎は「わかってる」と言い、そっと浅見の体を抱きしめた。
画太郎の原稿の先が、浅見の血で濡れた。浅見はわずかに目を動かして見た。
こればっかりは、さっきかずに押しつけたゲロ絵とは違っていた。
心のこもった、画太郎直筆「Wild Half」の同人絵だった。
浅見が薄く目を開けた。「ご、ごめ――」と言った「私、もう――」
画太郎は笑った。
「わかってる」
どん、どん、どん、と銃声が響いた。
画太郎の絵を見つめたまま、多分何が起きたのかも分からないまま、浅見裕子は打ち切られていた。
「あんたちょっと、素敵な漫画家だった。俺ちょっと、嬉しかった。忘れないよ、あんたのこと」
それだけ独りごとを言うと、画太郎は自分の汚い原稿を取り上げてその場から歩み去った。
浅見裕子 かずはじめ 打ち切り
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