冨樫vs藤崎






 藤崎の体のあちこちに、焼け火箸をつっこまれた様な感覚が襲った。藤崎の肩にかけていた島袋の手がずるっと落ちた。
 その向こうに冨樫の姿が見えた。藤崎はその時にはもう倉庫の方へ走り出していた。
 藤崎は倉庫の中に入ると、引き戸の陰においてあった鞄を掴んでずるずると闇の中を後退した。口から血があふれている。
 それに、右手の指先、最も痛みが突き上げてくるそこを見た。もう漫画はかけないな。
 描けたとしても、人気漫画家には慣れない。天才トーン貼り師の伝説に終止符――。
 島袋は――まだ息があるだろうか?
 冨樫――上等だ。俺を追ってこい。島袋はもう打ち切り寸前の落ち目だが、俺はまだネタには困ってないぞ。
 島袋を打ちきるのは後回しにして俺を追ってこい。頼むから、俺を追ってこい。
 次の瞬間、爆発音とフラッシュの様な光が炸裂し、倉庫内に念弾がばらまかれた。
 藤崎はPSYCHO+を開いて、レベルを上げた。
 『レベル2 運をコントロールできます』『「危険レベル特大」が近づいてます。運を使いますか? YES/NO』
 「いえす、だ。」こんなことなら初めからレベル2にしておくんだった。
 藤崎は鞄の中から何かを感じた。太極符印に力が戻っている。同時にPSYCHO+の表示が変わった。
 『あなたは今まで溜めてきた運を使い果たしました。』
 オーケイ、こっからは自分でなんとかしろってことだな。
 冨樫、俺はこっちだ――こっちへ来い。

 藤崎は右手で太極符印を持ち上げ、自分の腹の上に乗せた。そうして、音を立てないように後退した。
 東の壁際の方に台車があった。ドラム缶を運ぶのに使おうとしたものでドラム缶が乗っているが中には水が入っていた。
 すぐ脇にドアがあり、それは閉まっていた。
 考えている余裕はなかった。藤崎は台車の方に体を引きずり、その横までいきつくと、ドラム缶の中に静かに太極符印を沈めた。
 光年も俺も傷つきもう連載を続けることはできないだろう。だから――
 特別読者プレゼントだ、冨樫。
 藤崎はドアノブに飛び付いた。冨樫が両手の指先を向けると同時に、台車を蹴り飛ばし、自分は外に飛び出した。
 念弾がドラム缶を貫く音が聞こえた。
 ドラム缶の中の水を電気分解で水素と酸素に――。
 水素と酸素を2:1で混ぜた気体は爆鳴気と呼ばれている。それを圧縮して詰めておいた。わずかな火花でも生じれば――
 藤崎の背後で倉庫の壁がぐうっとふくらみ、島を覆う夜の空気を、轟音が揺るがせた。
 伏せた体が地面をこすり、皮膚がすりむけ、周りを何かの破片やら屑やらが吹き過ぎ、
 しかしそれでも藤崎が顔を起こすと、様々な破片が満たした空間をポリバケツが飛んできて、駐車場の中央にぐしゃっと落ちた。
 さらさらと細片が降り積もり、倉庫はもはや骨組みしか残していなかった。
 気が付けば体を覆い尽くした壁や何かの細片の中から、藤崎は上半身を持ち上げ、その建物の残骸を見つめ「疾ッ」と呟いた。

 「光年――」
 つぶやきながら、藤崎はようやく体を起こし、ガレキの上に右膝をついた。全身に激しい痛みが跳ねた。
 もはやまだ打ちきられていないのが不思議なくらいだった。
 しかし、なんとか立ち上がり、光年の倒れている駐車場に目をやって――
 そして藤崎はみた。ひっくりかえったポリバケツの蓋が、ばかっと音をたてて開き、冨樫の体が地面に投げ出されるのを。
 冨樫は動かなかった。藤崎が「死んでるのか?」と思ったところで、突然冨樫がすいっと立ち上がった。
 擬死行動というやつだったのだろう。何事もなかったかのように、両手を藤崎に向けていた。
 ――おい、ギャグだろ?
 藤崎は笑い出したい気分だった。その時にはもう冨樫が撃っていた。
 思った。冨樫。クソ、結局俺はお前に打ち切られたわけか。
 思った。光年。俺のネームがあまかったんだ。すまない。
 思った。師匠、ざまぁねえや。
 思った。遠藤。お前は面白い漫画をかけよな。俺はもうまともな漫画はかけない。俺は――
 そこで藤崎の思考は中断した。それから、藤崎は前のめりに倒れた。
 こうして”ザ・トーン・マン”と呼ばれた男、藤崎竜は打ち切られた。


【藤崎竜、島袋光年、誰か 打ち切り】
【残り17人】




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