尾田&岸本・1






ちょっと思い当たったことがあった。斉史の方に向き直り、訊いた。
「俺のことは怖くなかったの?」
「へ?」
「俺が君を殺そうとするとは思わなかったのかい?」
月明かりだけでよく見えなかったが、斉史は少し、目を見開いたようだった。
「尾田先生がそんなことするわけないですから」
尾田は少し考えた。それから、言った。
「けど――人間の心なんて、わからない。さっき君が言ったぞ。また伏線無視か?」
「いや、違うってばよ」斉史は首を振った。「僕にはわかる、尾田先生だけはそんなことをしない」
尾田は正面から斉史の顔を見た。多分、がぼーんという表情だったに違いない。
「わかるの?」
「わかります。――僕は。――尾田先生の作品を、ずっと、見てる――から」
それは本来だったらもう少し、堅い口調で口にされたはずの言葉だったのかもしれない。
できればもうちょっと、ぜいたくは言わないが、もう少しばかりは申し訳なさそうな表情で。

とにかく、それで、尾田の頭に、ライトブルーの巻物がぶらさがった、差出人不明の矢文の事が浮かんだ。
それは四月のある日、自分の机に刺さっていた。現在の自称(ときたま他称)ジャンプの看板作家としても、
矢文をもらうのは初めてだったので印象に残ったし、捨てるに捨てられなかった。
たぶん、書いてあった詩のような言葉も気になったからだともおもう。
"嘘でもいいから、夢でもいいから、どうか上でいさせて"と、それは始まっていた。
嘘じゃない、夢じゃない、あの日の掲載順は/
でも僕の嘘かも知れない、でも僕の夢かも知れない、あなたがコメントで僕に呼びかけてくれたことは/
けれど嘘にはならない、夢にはならない、印刷は残るものだから/
嘘だったことはない、夢だったことはない、僕はあなたの作品の展開を、とても、気にしています。"
あれは――岸本の挑戦状だったんだろうか?
そもそも字が似ているし、あるいはその少し酔ったような言葉は――とは思ったけれど、やはり?

 尾田は一瞬、その巻物のことを今ここで訊いてみようかと思ったが、――やめた。
そんな場合じゃないし、大体、自分にはそれを話題にする資格はないだろう、
何せ、自分はといえば、鳥山明に、巻物の言葉を借りれば、決して「上でいさせて」もらえるはずのない作家と
「対談ができた」とのぼせ上がっていて、大方他の作家のことも、当然その挑戦状のことも眼中になかったのだから。
そして、今の自分にとって大事なことというのは、そう、
「梅沢春人が好きだった作家」のことだ。その作家を、無事に守ることだ。
「自分の作品を意識してくれている誰か」の事じゃない。
それで、また、いつかの梅沢の発狂しかかった表情が蘇った。「尾田先生!!俺、好きな作家、できたーー!!」

今度は逆に岸本が訊いた。
「尾田先生こそ、僕が怖くないんですか?いや、どうして僕を助けてくれたんですか?」
「そりゃ――」
尾田はまた一瞬考えた。梅沢のことを言おうかと。
君は俺の友達が好きだった作家なんだ。だから俺、君だけは助けないわけにはいかない。当然だ、そんなの。
これもやめておいた。いつか、ゆっくり話すべきことだ。それは、多分。いつかがあればだけど。
「岸本クン怪我してたしさ。ほっとけるわけないじゃんか。それに俺、岸本クンなら信用してるよ。少なくとも。
岸本君みたいな巻頭カラーを代わってくれる人を信用しなかったらバチが当たるよ」
岸本がちらっとかすかに笑ったように見え――尾田も少し努力して笑顔を返した。
ひどい状況にもかかわらず、笑いの形に筋肉が動くことに少し安心した。



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