銃声の後












銃声の後には何も無い。

死ぬ。

無力に。
無残に。
無慈悲に。

少女が死んでいく。

胸元から噴き出した血の暖かさを頬に感じながら、
相反して熱を奪われていく全身の寒さを感じながら、
背を押し付けていた背後の木の幹の硬さを感じながら、

もうすぐ、死ぬのだと。




少女――春原芽衣は、知った。








◇ ◇ ◇








緑の天幕、小鳥の歌、足音リズム。
そんな大人びた表現をこの景色に当てはめてみる。
すると少し大人になったような気分だった。


「聞けば聞くほど楽しそうな人なんですね、平沢さんのお姉さんって」
「うん、私の自慢のお姉ちゃんなんだー」


私、真昼の雑木林を歩く春原芽衣は、
そう言って自分の事のように満面の笑みで胸を張る女の子の横顔を見つめながら、つられて笑顔になっていた。
いま私の隣を歩いているのは平沢憂さんという。さっき雑木林の中でばったりと出会った女の子だ。
女の子と言っても私なんかよりも三つくらい年上で、高校生のお姉さんなんだけど。

こんなよく分らない事態に突然巻き込まれて、私はさっきまで混乱のまっただなかにいた。
衝撃的な出来事の連続で、もう右も左も分らなくなっていて。
林の中を怯えながら歩いていたとき、同じように雑木林を歩いていた平沢さんに呼び止められたのだ。
あわあわとし続けていた私を平沢さんはとっても冷静になだめてくれて、私はようやく少し落ち着くことが出来た。

「とりあえず一緒に行動しよう」って平沢さんは言ってくれて、二人で歩き始めてからまだ少ししか経っていないけど。
平沢さんはさっきからずっと私に明るい話題を振ってくれている。
学校の事とか、制服の事とか、雑木林の木々のこととか、平沢さんのお姉さんの事とか。
日常的なことばかり話した。

殺し合いとか、あの時死んじゃった人のこととか、私が怖がるようなことは意図して避けてるみたい。
すごく、気を使ってもらってる。
私だってそれに気がつかないほど子供じゃない。
だけどその気遣いはとっても嬉しくて。私って、やっぱりまだまだ子供なのかな。なんて思ってしまう。

そんな私にくらべて平沢さんはとっても大人だ。
最初に出会った人がこの人で良かったって、心から思う。
なんだか冷静で、私みたいに取り乱したりもしない。しっかり者、って印象。
同じ高校生でも私のお兄ちゃんとは全然違う。
……お兄ちゃん。そう、お兄ちゃんもここに来てるんだった。

「どうかしたの? 芽衣ちゃん?」
「な、なんでもないですっ!」

私の中に芽生えた不安の色を読み取ったかのように、平沢さんが顔を覗き込んでくる。
これ以上気を使われたらさすがに悪い、なんて思って咄嗟に否定しちゃったけど。
顔に出ちゃってたのかな。だとしたらやっぱり、私はまだまだ子供だ。

「お兄さんが心配?」
「うっ、うう……はい」

そして平沢さんの洞察力は凄いかもしれない。
思っていたことをピタリと言い当てられてしまった。
指摘された通り、お兄ちゃんが心配だった。
私のお兄ちゃんはぐーたらで、駄目駄目で、自堕落なお兄ちゃんだ。
平沢さんのお姉さんみたいに、人に胸を張って紹介できるような兄じゃないと思う。
だけど、大切な。私にとっては何よりも一番大事なお兄ちゃん。
殺されたらどうしよう。死んじゃってたらどうしよう。もう二度と会えないなんて、そんなのいやだよ。

「あの、平沢さんは、お姉さんのこと心配ですか……」

平沢さんは、一瞬だけ身を硬くした。

「って心配に決まってますよねっ!な、なに聞いてるんだろ私、ご、ごめんなさい」

またしてもあわあわしながら、「空回ってるなぁ私」って思う。
完全に言葉を間違えた。考えてみれば洞察力とかそんな事以前の問題だったのかも。
この状況で思うことなんかみんな一緒。
訳のわからない状況で、みんなが共通していることがあって。
それは、大切な家族が殺し合いに巻き込まれているってことだった。

「…………気にしないで」

なんて言って笑顔を作る平沢さんの表情も、なんだか作り物めいて見える。
笑い方がぎこちない。
やっぱりこの人も無理をしてるんだ。
って、今更そんな事に気がつくなんて、私、やっぱり子供だよ。

「あ、あの、そういえば平沢さんの支給品って、なんだったんですか?」

私は慌てて話題を変えようとした。
このままじゃ、いままで平沢さんが暗い話題を避けてくれてた意味がなくなりそうな気がして。
足を止めて、平沢さんと出会う前に確認だけしていた支給品を取り出した。

「私はこんな物だったんですけど……あはは、笑っちゃいますよね、こんな物で殺しあえーだなんて……」
「…………」

だけど私は、気がつかなかった。

「あ、あの、平沢さん……?」
「…………」

それが唐突な、始まりの合図になった事にも。

「ねえ、芽衣ちゃん」
「は……い……」

私から二歩遅れて足を止めた平沢さん。
その、表情は俯いていて見えない。
でも、その声は今までの暖かな声色が裏返ったような。
鋭く尖った、氷柱のような声だった。

「芽衣ちゃんは、お兄さんが大事?」
「え、はい」

話題が、元に戻っている。違和感。
平沢さんは、振り返らない。
私は、何故か自分の動悸が早くなっているのを感じる。

「それなら、守りたいと思う?」
「は……い」
「何をしても?」

私は一歩、退いた。

「平沢……さん?」
「誰かを……傷つける事になったとしても?」
「……えっと、それは……」

もう一歩、退こうとして。

「私の支給品はね……これ、だったんだ」

足が、地面に縫い付けられた。

「あの、平沢さん……それ……って……」

私は目を見開いて、まじまじと見た。
木漏れ日を浴びて鈍い光を反射する真っ黒い拳銃が、平沢さんの手には握られている。

「……銃、だよ」

平沢さんは当然のように、答えて。
その銃口は当然のように、私に向けられていて。
その意図は当然のように、動けば撃つと言っている。

「な、なん、なんで……」

もつれる舌を動かす事に必死になりながら言葉を発した。
銃口を向けられた。
たったそれだけで、私は五体を縄で縛り付けられたような感覚だった。
足は動けない、腕は動けない、首すらもぎちぎちに固まって、目は奈落の様な銃口に固定されて。
自由になるのは口の中だけだったのに、
その口すらもカラカラに渇いてしまっていて、上手く言葉が出てこない。

「あ……ぅ……」

なにか言わなくっちゃ。
なにか言わないと殺される。
なにか言われる前に言わないと。

そんな脅迫観念が私の中をぐるぐる回る。

「なん、で、こんな……こと……」

なんでこんな事するんですか?
ああでもそれだけは、それだけはきっと聞いちゃいけない。
聞いちゃ、いけなかったんだ。

「守りたいから、だよ」

ほら、やっぱり、決まりきっていた。

「大事だから、だよ」

最初からこうなると決まっていたんだ。

「心配だから、だよ」

平沢さんの答えは、最初から一つだけだったんだ。

「ごめんね。私はただ、きっかけが欲しかったんだと思う」

平沢さんは寂しそうに笑いながらも、私の胸元にピタリと銃をむけたままだ。
謝っているのは私を殺そうとしていることじゃなくて。
きっと、すぐにこうしなかったことを謝っているんだって。
何故だかそんな事を理解した。

どこから、こんなことになったんだろう。
いつから、優しい嘘に目が眩んでいたんだろう。
どうして、現実から目を逸らしたりなんかしたんだろう。

この場所は異常だって、誰でも敵になるかもしれないって。
私は最初から気づいていたはずなのに。

「私のお姉ちゃんは、誰よりも優しいから」

私がほんの少し、現実から逃げていたとき。

「私のお姉ちゃんは、誰よりも素敵な人だから」

ほんの少し、平沢さんの優しい言葉に身を委ねていたとき。

「私のお姉ちゃんは、誰よりも大切な人だから」

この人は。

「私のお姉ちゃんは、殺せない、殺さない、殺させない、だから絶対に……」

平沢憂は。

「私はお姉ちゃんを死なせなたくない!」

人が人を殺すという現実を、直視し続けていたんだ。
大切だから、守りたい。
そんな簡単で単純でまっすぐな理由を胸にして。
だからこそこの人は、絶対に私を、何があっても殺すんだ。
絶対に逃がしてくれない、許してなどくれないんだと、そう思った。

「お姉ちゃんを守るために……私はこうするんだよ」

よく見ると、平沢憂は泣いていた。
本人が気づいているか、なんて分らない。
気がつかないフリをしているのかもしれない。
だけどたしかに、両目から透明な滴が溢れ出ている。

「い……やぁ……」

でもそんなこと、私には何の関係もなくて。
私はとにかく怖くて。
むけられた銃が怖くて。
目を逸らしていた現実が襲い掛かってくるのが怖くて怖くて怖くて、たまらなくて。
私は死にたくなくて。
私はとにかく死にたくなくて。
人権とか倫理とか道徳とか慈愛とか公平とか私の知っている平和的な言葉の全てが心の底からどうでもいいと思えるくらい死にたくなくて。

「いやぁ……!」

悲鳴を上げながら、私は腰を抜かして地面に座り込んだ。
足がガクガク震えて動かないから、両手で土を掴んで掻き毟って後ろに逃げた。
爪を真っ黒にして、袖を泥だらけにして、スカートも汚して、みっともなく、ずるずるのろのろ這い回る亀のように。
それでも、死にたくない。私は死にたくなかった。
死ぬほど痛い思いなんて、絶対に嫌だった。

「嫌っ! 嫌ぁっ! 嫌ぁぁぁぁっ!!」

いつの間にか叫び声をあげながら、後退を続ける。
だけどスピードは上がらない。
平沢憂は無言で距離を詰めてくる。
ウサギとカメの追いかけっこをするまえに、私の背中が雑木林の木の幹に阻まれて停止した。

「…………あ」

終わった。
心のどこかで、そんなふうに諦めた私がいた。
終わった、私は死んだ、いやだいやだまだ私は死にたくない、でも死んだ、いやだ死にたくない。
諦めと恐怖が交互に私の身体を震わせる。

助けて、助けて誰か、助けてお兄ちゃん。
歯をガチガチ言わせながら心の中で何度も何度も助けを呼んだけど、誰も私を助けてはくれなかった。
私のみっともない叫び声だけが、真昼の雑木林に木霊していた。

「ごめん……ね?」

その言葉を最後に、平沢憂は私を見下ろしながら、銃の引き金に指をかけて、

「こないでっ! こないでぇっ! こな……っ!?」

私の胸に狙いを付けて、引き金を引き絞って、



地面に倒れて死んでいた。


「………………」


死んでいた。


「………………」


平沢憂は死んでいた。


「………へ?」


間の抜けた声が私の口から洩れていた。

「なんで……?」

質問じゃなくて、状況に対する疑問が自然に口から溢れ出た。
私の目の前で、私を殺そうとしていた平沢憂が死んでいる。
土の上にうつ伏せに倒れて、血を流して、死んで、唐突に、前触れなく、コマが飛んだように、ページが飛んだように、なぜ?

「……う……ぁ……」

いや違う。
生きている。
まだ生きている。
動いている。
少しだけ顎を持ち上げて、身体を持ち上げて、その眼が私を見上げている。
気がつけば先ほどまでとは見下ろす立場と見下ろされる立場が逆転していた。

でも死んでいない。
だったらまた殺しにくる、私を殺しにくる。
その持ち上がった顎が、私に喰らいついてくるような気がした。
嫌だ。嫌だ。死にたくない。

――死にたくないなら、どうする?
逃げるしかない。

そう思って地面を掻いても、でもやっぱりこれ以上は後ろに下がれなくて。



――逃げられないなら、どうする?
□すしか――


代わりに、硬いものに、手が触れて。
私は、それを、そのとき確かに、希望の光と錯覚して、掴んでいた。
救われたんだと、信じていた。


◇ ◇ ◇


痛い。

私はぐちゃぐちゃに歪んだ視界で目の前の少女を見ていた。
少女は、芽衣ちゃんは座り込んだまま怯えた目で私を見下ろしている。
いったい何が起こったんだろう。なんで、こんなことになってるんだろう。

私は確か……そうだ私は……お姉ちゃんを守らなくちゃいけないんだ。
だけど、そうだ、それで、私は、芽衣ちゃんを……。
そっか、だから芽衣ちゃんは怯えてるんだ。
あたりまえ、だよね。

背中が、凄く痛い。焼けるように痛い。
痛みで私は正気に返る。痛い、痛いことは、辛いことだ。
私、なにやってるんだろ。こんなに酷い事を芽衣ちゃんにしようとしてたんだ。
だからバチが当たったんだ。
それでこんなことになったのかな。

芽衣ちゃん、ゴメンね。
そう言おうとして、上手く声が出ない。
だから上半身をなんとか持ち上げて、顎を動かそうとしていたとき。

「……ぁ……ぇ……?」

芽衣ちゃんの手に握られているモノが、目に止まった。
私は目を見開いて、それをまじまじと見る。
木漏れ日を浴びて鈍い光を反射する真っ黒い拳銃が、芽衣ちゃんの手には握られている。
それはさっきまで、私が持っていた、もの。
私はいつ倒れたのかも憶えていないけど、きっと倒れたときに、落とした、もの。
それが、私に、むけられて、いて。

「…………ッ!?」

何かを思う前に、何かを言う前に、衝撃が襲った。
持ち上げていた私の胸元を、灼熱の痛みが貫く。
全身がビクンと跳ねて、パッと血潮があたり一面に飛び散った。
赤い飛沫が芽衣ちゃんの頬にこびりつく。


「…………ぁ……かふっ……!」

私の口から血が逆流した。
激痛が全身に染み渡り、体が小刻みにビクつく。
視界すら、真っ赤に染まる。

でもそれは一瞬のこと。
すぐに真っ暗になっていく。
真っ暗に……なって……。

「痛い……よ……」

最後に見た幻は、暖かくて、力強くて、見ているだけで幸せだったあの姿。
私にとっての、幸せの象徴。
そう、本当に、だた見ているだけで、幸せだったのに。





「おねぇちゃん……」



ねえ、どうして、こんなことに、なっちゃったんだろう?



◇ ◇ ◇



答えを知っている者は木漏れ日の中で、ひっそりと佇んでいた。
その青年、ロロ・ランペルージは立ち並ぶ木々の一つにもたれかけながら、日差しにナイフを翳す。
油で曇った刃から数滴の血がこぼれ落ちて、キラキラと光りながら景色に溶ける。
くるりと手の中でナイフを一回転させれば、それだけで血糊は全て払われて、元通りの真白の刃が日の光を反射した。

ナイフを見上げる姿勢から眼球だけを動かして、ロロはそれを見る。
すぐ目の前の木の根元で、硝煙を昇らせる銃を抱きしめた少女が、いま自らが為した所業に唖然としている。
全身を震わせながら、凶器を握り締めたまま硬直していた。
傍らの木にもたれているロロの存在に気づく気配は微塵も無い。

少女の目の前にはもう一人、少女がいる。
いや、正確には、いた。
今はもう、ただの死体が落ちているだけだった。
ここには、ロロと、殺した少女と、殺された少女があるだけだった。

ロロ・ランペルージはその光景に、さしたる興味も示さない。
先ほど自分の介入によって正常から異常へと変化したその光景。
本来は殺す側だった少女を後ろから刺したという。
やったことはそれだけだ。しかしそれだけで、起こる筈だった因果が逆転した構図。

とはいえ、少女達には今何が起こったのか、まるで分かっていないことだろう。
ビデオ再生の途中で一時停止ボタンを押して、ちょっと場面に細工してから再生ボタンを押す。
いまロロがやった事とはそういうこと。
ロロ・ランペルージは一時停止ボタンを持っている。
それは人体にしか作用しない、などの細々した制限を除けばそういうものと考えていい。

ギアス。
絶対停止の結界。

特段、大した理由も無く、ロロは実行した。
掛けられた制限を確認する為に、ギアスを使った。
確認の為には他人が必要だったから、少女達で試した。
より実践的で具体的な反応を得たかったから、近くにいた方を刺して、遠くにいた方の反応を観察した。
ただそれだけの、ことだった。

結果、今のところ妙な制限は見られない。
問題なく力を行使できるようだった。
確認は終わり。事は終わり。
ロロはもたれていた木から身体を引き剥がして、歩き出す。


「兄さん」

ロロは呼ぶ、兄の名を。

「兄さんは、僕が守るよ」

偽りの兄。しかしロロにとっては、誰よりも本物で、大切な兄。

この力で守ろう。この身体で守ろう。
闇雲に殺して回ったりはしない。
それは兄に迷惑が掛かるかもしれないからだ。
ただし、兄のためなら誰を殺そうと厭わない。
なんでもしよう。兄を守るためなら誰でも殺そう。

当面は、この殺し合いのルールに従って、パートナーたる兄を探す事にするつもりだった。
初期パートナーが兄であったことは幸運。
しかし組を維持するのが面倒な状況であることもまた承知している。
なぜならここには、一つの不純物がいるのだから。

「だけどお前は、必ず殺す」

そう、たった一つだけ例外がある。
この例外だけは、殺す。
この例外だけは、兄のためじゃなくて、自分の為に、殺す。

「……ナナリー」

ロロ・ランペルージは雑木林を歩いていく。
ルルーシュ・ランペルージを守る。
ナナリー・ヴィ・ブリタニアを殺す。
ただその二つを、胸に誓って。


だから二人の少女のことなど、既にその胸中からは消えていた。



◇ ◇ ◇



銃声の後には何も無い。
静まり返る雑木林。

残されたものは、一人の少女と、一つの死体。
そして紡がれる、小さな小さな嗚咽の声。
少女は泣いていた。ひとりぼっちで泣いていた。
土まみれの真っ黒い手で、真っ黒い銃を抱きながら。
返り血がこびり付いた頬に涙がこぼれ、透明な滴が赤く染まって落ちていく。

死んだ。

無力に。
無残に。
無慈悲に。

平沢憂という少女が死んだ。

胸元から噴き出した血の暖かさを頬に感じながら、
相反して熱を奪われていく全身の寒さを感じながら、
背を押し付けていた背後の木の幹の硬さを感じながら、

もう、死んでしまったのだと。



殺して、しまったのだと。




少女――春原芽衣は、知った。



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