赤(くろ)く染まった花






「嬉しそうね、雪野さん」

満足げな表情を浮かべ、横たわる雪野を見つめながら高野晶は呟く。
数時間前と全く同じシチュエーション。

たださっきとは全く違うのは、語りかけるその声と表情に込めた感情。

「本当に嬉しそう・・・・・・」

そう呟き続け、そして安らかに眠る雪野の顔に差し伸べられる――――刃

ドスッ! ドスッ! ドスッ!
振り下ろす度に飛び散る濁り始めた血液が高野と雪野だったものを染める。
深くに抉り続けるその刃。いつしかそれは鮮やかな赤に戻っていた。
まるで、今この瞬間に殺したかのように。


  ※    ※    ※    ※    ※


刑部と笹倉との話を終えた高野は、刑部達の後を追うように南へと歩き続けていた。
回りを警戒するでもなく、ただ遠くを見つめながら思索に耽っていた。
その内容は勿論、ゲームの目的について、そしてフラッシュメモリの内容について。
ただ何度も繰り返される推論は、いつも同じ場所で行き止まる。
まるでその先に進むのを高野自身が拒んでいるかのように。

『このゲームは塚本八雲のために開かれたもの』
回りくどい言い方をしていたが、刑部が高野に伝えたかった考えはそれだろう。
―――それならば何故八雲なのか?
私は八雲のことを知っているつもりだ。少なくともここにいる人間の中では。
それでも、彼女が選ばれた事に思い当たるものは一つもない。

もし高野の考えが正しいのなら、他に進むべき道は他にあるはず。
だが高野は、いつも振り出しに戻ってしまう。


そして、この時も高野は振り出しに戻ろうとしていた。
しかし不意に戦いだ風に足が止まる。振り返り、風が吹いてきた方を見つめる。
そこにあるはずの物は、自分が殺したクラスメイト。
高野はその姿を思い出し、顔を背け前を向こうとする。
しかし、彼女は一度振り返ってしまった。戻ろうとするが思考が動かない。瞳は見えるはずも無い彼女の罪の跡に釘付けになっていた。
そうして、高野はもう戻る事は出来なかった。

―――塚本八雲以外の生徒がこのゲームの目的なのでは?
高野がずっと目を逸らし続けてきた答えがそこにはあった。

膝が震え、今まで感じた事の無いような汗が体中を流れる。
自室のパソコンの画面に映し出される、ある国で行われた子供達の凄惨な殺し合いの話。
そして、数時間後に同じ画面に映し出された全くの空白。跡形も無く。
顔は青ざめ、もはや立っていることさえ難しい程、震えは体中を廻る。

そして高野は辿り着く。ずっと見たく無かったもう一つの可能性。
―――このクラスが選ばれたのは、私がこのゲームの事を知ってしまったから?
『そんなことはない』心の中で否定を続ける。しかし否定すればする程、濃くなっていく色。
もはやそれは、それ以外何も見えなくなるくらい黒く染まっていた。


高野は真っ黒になった自分自身に問い掛ける。
私が今までしてきたことは何だったのか?と

何故、永山を殺した? 何故、大塚を殺した? 何故、砺波を殺した? 何故、雪野を殺した?
何故、みんなを殺そうとした?
理由は簡単だったはずだ。みんなをこの殺し合いから解放するため。
一番苦しむのは生き残る人間・・・のはずだから・・・・・・

だから私はそれを背負おうとした。みんながあの時のままでいられるなら。
私一人が犠牲になれば、みんなは幸せなままなんだと。
しかし目の前にいる自分は、それを根底から覆す仮定を私に突きつける。
―――私さえいなければ、こんなことは起こらなかった

今までは、罪をこの殺し合いを開いた主催者へ向ける事で行いを正当化していた。
そして罰を与える事で、私は許されると思ってきた。
―――だけど一番悪いのは・・・・・・私?
高野はこれまで自分を支えていたものを失う。
そこに残ったのは何も持たない、ただ一人の高校生。
―――じゃあ、私が今まで殺した人は・・・・・・
もう一人の自分が微笑みながら口を開く。その間際、私は恐怖に目を閉じ、耳を塞ぐ。
それを知ってしまったら、もう立つ事はおろか、生きる事すら出来なくなってしまいそうで。


―――誰か・・・答えを教えて
高野は自分というものが信じる事が出来なくなっていた。
今まで一番頼れるはずだった自分を失い、無意識に誰かを求める。
思い浮かんだのは、さっき見たノートパソコンの地図。
必死に探る記憶の中で見つけた、今の自分の近くにある一つの黒い点。
その上にある名前は・・・・・・周防美琴。

高野は走り出していた。彼女の亡骸が眠るであろう場所へ。
美琴なら・・・美琴なら・・・
そう心の中で呟きながら。

暗闇の中をライトで照らし、恥も醜聞も捨て去り汚れる事も厭わず、這い蹲りながら必死で探す。
そして見つけた、良く見慣れた矢神高校の制服を纏った一つの影。
背格好や髪型は間違いなく高野が求めていた親友の姿をしていた。

すがる様に美琴であるはずのモノを抱き締める。そしてそっと彼女の顔を上げ、問い掛けながら見つめる。
『ねぇ美琴さん・・・ 私はどうすればいいの?』
高野は期待していた。「気にすんな!」といつもの明るく強い笑顔でそう言ってくれるはず。
美琴なら・・・美琴なら・・・
そんな高野の前に現れたのは、見た事もない想像する事さえも出来ない彼女の姿だった。

黒く薄汚れた顔はボコボコに腫れ上がり、美少女と言われた面影は無い。
唇は裂け、歯も何本か折れている。それでもその唇は必死に何かを伝えようとしている。
そして、土で汚れた中ではっきりと分かる頬を伝う涙の跡。
それは何よりの証。死ぬその時まで涙に濡れていた事の。
絶望に光を失った瞳。その瞳が訴えかけてくるのは、自分が期待したのとは全く逆の感情。

そんな美琴の瞳に見つめられた瞬間、高野を保っていた理性は崩壊した。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

誰!? 美琴をこんな表情にしたのは誰!?
―――解かっているんでしょ、彼女を殺したのは私。
違う! 私は殺していない。こんな顔にするはずがない!
―――否、私が殺したの。そうなる事を願ったから。
違う! 私はこんなことは望んでいない!
―――否、望んでいたでしょう? あのゲームの事を知った時、このゲームが始まった時にはっきりと思ったはず。
違う! 私はみんなを救いたかっただけだ。それしか方法が無かったから!
―――否、思い出して。思い浮かべたでしょ、みんなが苦しみ死んでいく様を。
ち・・・が・・・う。望んで・・・なんか
―――じゃあ、なんで私は笑っていたの?
ぁ・・・ぁ・・・ぁ・・・ぁ・・・

もう自分自身が差し出す答えを否定することは出来なかった。

言いようのない重みが、急に体に圧し掛かってくる。
あまりの重さに潰されそう。このまま潰されてしまえれば何て楽なんだろう。
でもそれは許されない、きっと許してくれない。だから私は立たなくては、進まなくてはならない。
これは私が背負わなければならない罪の重さ。
これを背負って生き続け、苦しみ続ける事でしか許されない私の罪。
でも・・・・・・


「足りない・・・こんなんじゃ足りない・・・」
そう呟きながら、自分が歩いて来た道を再び歩き始める。何かに導かれるように。


  ※    ※    ※    ※    ※

そこには満足げだった雪野はもういない。
コレを見て、彼女が笑いながら死んでいったと思う人はいない。
いや、雪野だったと分かる人すらいないかもしれない。
高野が渡したはずの白い花も彼女の血で黒く染まり、もう見えることは無い。

―――雪野さん、これであなたの絶望も背負ってあげられる。
そうしてやっと高野は雪野に笑顔を向ける。
希望の欠片さえ見えない雪野を見つめながら高野は感じる。
『あぁ、やっぱりこれが私のすべきことなんだ』と。
増えていった心の重みが心地いい。

・・・・・・でもまだ足りない
こんな重さじゃ許されるはずはない。
高野の頭の中に浮かんできたのは、ここで逢ったことの無いクラスメイトの顔。
そして未だ残る播磨・沢近・八雲・一条・三原の顔。
そして先程自分の前から去っていった刑部と笹倉の顔。
どいつもこいつも希望に満ちた顔をしている。
一瞬だけ忘れていた感情が再び、高野に戻ってくる。

殺す! 全て殺す!
ただ殺すだけじゃ駄目。絶望を植えつけて殺す!
絶望しないまま、何も背負わないまま死んでいった奴も殺す!
死んでいたとしても、もう一度殺す!

そう、そしてその全てを背負って私は生きていく。これが私の贖罪。
ただの死を背負うのでは足りない。全ての恐怖を悲しみを絶望を。
そしてその全てを忘れない。ここであった全てを忘れない。
楽しかったあの時の思い出なんて、私が持っていてはいけない物。

自然と彼らに絶望を与えられるためのモノを持つ手に力が篭る。
彼らに絶望を与え殺すためなら、私は死をも厭わない。
だけど、私は死すら許されない人間。
全てを背負って、忘れないで苦しみながら生きて、それでもみんなのところへ行けるかは分からない。
―――みんなを殺すまで終われない、殺し終わっても終われないのよ

ただ、それでも・・・・・・
恐ろしく長く辛い道を歩こうとする高野に対して、上から垂れる一本の細い糸。
高野の思考に残る、否定したはずの刑部の言葉。
『このゲームは塚本八雲に期待して行われている』
そんな訳はない、この殺し合いの原因は私だから。
しかしそれでもまだ、高野には捨てられず強く残っている。

『そして、彼女が死んだら結果が出るまで次のゲームが開催される』
違うと分かっていても信じたいほんの僅かな可能性。
高野は必死にその糸にしがみ付いた。天国からみんなが与えてくれたのだと信じて。

高野が縋り付いたのは、自分の罪に見合う事の出来る一つの答え。
―――もしも、このゲームで八雲が生き残ることが出来、それが開催者の満足のいくものだったら・・・・・・この殺し合いは終わる!

だから私と八雲と最後に残ったら、躊躇無く私を殺す。
その時だったら、私は終わってもいいはずでしょ?
だって私がこのゲームの全てを終らせたのだから。もう自分達のような悲劇は繰り返されないのだから。
それだったら許してくれるでしょ?

ここにはいないクラスメイト達に問い掛ける。
もういつもの彼女達は出て来てはくれない。微笑んではくれない。優しい言葉を掛けてはくれない。
何も言わずに自分をただ憎しみの瞳で睨みつけるだけ。
それでもまだ、自分の事を見てくれている。
それだけで高野は満足だった。


そんな悲しみに見送られながら、高野は力強く歩を進める。
自分が進むべき終わらない罪滅ぼしへ。
この場所へ来てから、初めて持った微かな希望を胸に。


しかし高野は知らない。たった今、この場所にある最後の希望が潰えたことを。
もうみんなのところへは行けなくなってしまったことを。

【午前:4〜5時】


【高野晶】
【現在地:F-03北部】
[状態]:疲労大。極度の精神不安定状態(しかし自分の行うべき事に対しては意識をしっかり持っている)
[道具]:支給品一式(食料13、水4)、ドラグノフ狙撃銃/弾数9発、鎖鎌、薙刀の鞘袋(蛇入り)、インカム子機
     雑誌(ヤングジンガマ)、ブラックジャック×2(岡の靴下でつくられた鈍器。臭い)
     殺虫スプレー(450ml) ロウソク×3 マッチ一箱、スタンガン(残り使用回数2回)
     キャンピングライト(弱で残り1〜2時間)  診療所の薬類
[行動方針]:まだ死んでいない奴を探し、絶望を与えて殺す(現在の最優先は播磨達)。
[最終方針]:この場所にいる全員を殺す。そして全てを背負い生きていく。
ただし八雲が生き残り、ゲームが終る可能性があるならそれを優先する。



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