Life Goes On






 ――闇が広がっている。
 何も見えない。
 何も聞こえない。
 あるのは、ただ無限に広がる――深い絶望の闇。


『……女子8番 周防美琴』
 矢神学院高校物理教諭、刑部絃子の抑揚のない声が一人の少女の名を告げた。


「……ッ!」
 それは決して呼ばれるはずのなかった名前。
 今もどこかで同じ空の下、希望を持って戦い続けているはずと信じていた人の名前。

 ……午後12時00分。
 西にある平瀬村分校跡へと急ぐ麻生広義達3人がその放送を聞いたのは、それを聞くために立ち止まった
G-06エリア鷹野神社の脇に繋がる石段の下だった。

 その少女に前後して呼ばれた生徒達の名前もまた、彼らには少なからぬ衝撃を与える人物達である。
 だが、その中でも麻生にとって周防美琴の名は特別であった。

  (死んだ……? 周防が? 何故だ? 花井は? いつ? どこで? ……――誰が?)
 石段から立ち上がって茫然と立ちつくす麻生の心の闇の中で様々な声が彼の周囲に渦を巻く。
 四方から幾重にも響くそれは一度も聞いたことがないはずの、けれどよく知っている己自身の心の声――。

『殺された』   
『お前のせいだ』
『何故捜しに行かなかった』

(……大、丈夫だと思った。彼女は強いから……。それに花井が……)

『勝手な思い込みだ』
『お前が彼女の何を知っていた』
『責任を花井に押しつけて罪悪感から逃れたいだけだ』

(違う……! 違う……俺は、俺は……)

『そうだな。もう過ぎたことだ』
『お前は彼女が死ぬ場面にはいなかった』
『だから、誰もお前を責めたりしない』

(! 俺はそんなつもりじゃ……!)

『そんなことより、これからどうする』
『捜していた彼女は死んだ』
『お前の目的は永遠に失われた』

(……)

『お前にはもう何もない。それなのに――』
『お前はどうして生きている?』
『一体何のために生きている?』

(それは……)

『簡単な答えがある』
『奪われたなら奪えばいい』
『殺されたなら殺せばいい』

(馬鹿な……! そんなことができるはず……)

『彼女もそれを望んでいる』
『他にお前に何ができる』
『罪の意識があるというなら、他にどんな償いができる』

(だからって……)

『彼女は失意と哀しみと恐怖の中で孤独に死んだ』
『彼女はお前を待っていたのに』
『お前が来るのを信じていたのに』

(……)

『お前にはそうする義務がある』
『そうすべき責任がある』
『殺せ。殺せ。彼女を殺した奴をその手で――殺せ!』

(……そうだ。せめて、周防の仇を……。彼女を殺した奴をこの手で殺……) 

 もはや何が正しいのかもわからない。
 けれど今は他に道はないように思えた。
 自分を苛む心の声が他の選択を全て打ち消し、麻生を追いつめていく。

 一切の考えることを止め、麻生がそこに用意された安易な答えに手を伸ばしかけたその時――。 

『麻生先輩!!』

 漆黒の闇に沈んでいく己の意識を呼び戻す声が聞こえた。
 強くて凛々しくて、でもどこか心が安らぐような優しくて暖かな声――。

  「あ……? 俺は一体……?」
 はっと我に返り周囲を見回す。
 そこにあるのは放送の前から変わらない山の上に建つ神社の風景。
 ともに行くことを決めた三原梢の不安げな表情。

 そして――自分を心配そうに見上げるブルーの瞳と、自分の袖をきゅっと掴む小さな手。
 その澄んだ眼差しに己の心の闇が少しずつ薄れていくのを感じる。

  「サラ……。……どうしたんだ?」
 ほっと小さく息を吐いて、蒼白の顔色で麻生は後輩のサラ・アディエマスにぎこちなく笑いかけた。
「あ……その、大丈夫……ですか?」
 サラは慌てて麻生の学生服から手を離しながら不安そうに尋ねた。
「……ああ、大丈夫だ。少なくとも頭はまだしっかりしてる」
 麻生は意識をはっきりさせるように頭を振りながらサラにそう答えてみせた。
「そう、ですか……。よかった……」  
 サラはほっと安堵の表情を浮かべて壊れてしまいそうな笑顔で一度だけ微笑むと、すぐに表情を曇らせて俯いてしまう。
「どうした?」
 言いかけて麻生はふと気がつく。
 彼女のその細い肩が震えている。
 再び多くの命が失われた哀しみと、自分を心配する気持ちが痛いほど伝わってくる。
「すまない。また心配かけたんだな……」
 麻生は彼女の気持ちを理解して、その優しさに今は心を救われる思いで穏やかに語りかけた。
「……」
 サラはその麻生の言葉に顔を上げずに小さく首を横に振る。
「……ごめんなさい」
 そして、続いてサラの震える唇から消え去りそうな声で紡ぎ出された言葉。
「え……?」
 その言葉の意味を測りかねて麻生は訝しげに尋ねる。

「……ごめんなさい。……私が、先輩の足手まといになったせいで……」
 哀しく綴られるのは彼女自身を責める言葉。
「……違う。俺はお前のせいだなんて思っていない」
 思いもよらなかったサラの言葉に麻生は本心から彼女の言葉を否定する。
「ううん、私のせいです。私がいなければ周防先輩を捜せたのに……」
「違う……! こうなったのは誰のせいでもない」
(責められるべき人間がいるとすれば、それは俺だ)
 続く言葉はサラの心情を察して決して口には出さない。
「こんなはずじゃなかったのにな……。みんなを救いたいと思っているのに、思ってるだけじゃ何もできない。
空回りして裏目に出て、私にできるのはただ麻生先輩に迷惑をかけることだけ……」
 自嘲するようにサラは俯いたまま小さく笑ってみせる。
「……サラ」
 麻生の目にはその彼女の姿があまりに痛々しくて見ていられなかった。
「先輩の優しさに甘えて、そばにいるんじゃなかった……。
田中先輩を見殺しにして、周防先輩も菅先輩も見つけることさえできなくて……!
私がいたから代わりにみんな死んでしまった! 結局は、私が周防先輩を殺し……!」
「――サラ!!」
「……!」
 怒りと哀しみが入り混じったような麻生の悲痛な叫びがサラの哀しい言葉を遮った。
 今まで聞いたこともないような険しい麻生の声にサラはびくんと身をすくませた。
 ゆっくりとサラが彼に視線を向ける。
 麻生はとても寂しそうな、辛そうな表情でじっと彼女を見つめていた。
「……なんで、そんな風に考える? 俺がお前のことをそんな目で見ると思うのか……?」
「だって……!」
 哀しげな麻生の眼差しを前にサラは何も言葉にできない。  
「……俺達はみんなこのフザけたゲームの中で迷って苦しんで、時には誰かを傷つけてしまうこともあった。
けど、お前はそんな俺達に道を示してくれたじゃないか。
お前がどんなにみんなのことを想っているか、誰よりも俺が一番よく知っている。
お前がどんなに人の命を大切に感じているか、ちゃんとわかっているから。
だから、そんな風に言わないでくれ……。誰がお前を責めるとしても、俺がお前を理解している。
――お前は決して、間違ってなんかいない」
 サラの頬にそっと触れて、諭すように麻生は彼女に語りかける。
「麻生先輩……」
 深い哀しみを湛えたブルーの瞳に溢れそうな涙を浮かべてサラが真っ直ぐに自分を見つめている。
 ずっと護りたいと思ってきたかけがえのない温もりがある。 

   周防や田中のことばかりではない。
 彼女はこれほどの哀しみをずっと一人で抱えて生きてきたのだ。

 護り抜かなくてはならない。
 この身と命を盾にしても。
 ――誰よりも優しい心を持ったこの人を。

 大丈夫だ。
 自分はまだ立っていられる。
 手も足もちゃんと動く。
 自分はまだ――戦える。 

 ――そうだ。
 まだ全てを無くしたわけじゃない。
 戦う理由がある。
 生きる目的がある。
 希望は、光は――ここに在る。

 言うべき言葉がある。
 伝えたい想いがある。
 麻生は一度は言うまいとした己の心の内をサラへ告げようと決意する。

「サラ。周防が死んだことの一因は間違いなく俺にある。
 でもそれを悔やんで歩くことを止めたら何も変わらない。
 かといって忘れることなんてできるはずもない」
 麻生はそこで一度言葉を切る。
「……」
 サラはただ、黙って彼の言葉を待っていた。
「――だから、俺は周防のことも菅のことも、田中や永山達のことも全部背負うと決めた。
 あいつらの哀しみや痛みや残していった想い、全て背負って一緒に生きていく。
 お前がお前の大切な友人達の命を背負ってここまで来たように。
 心に刻んで忘れない――俺が生き続けていく限り」
「先……輩」
「お前はもう一人じゃない。何もかも自分だけで背負うことなんてない。
 お前は俺を信じてくれると言った。――俺もお前を信じている。
 俺一人だけの力じゃ無理でも、お前が一緒なら何とかできる。してみせる。
 だから……どこへも行くな。――そして、一緒に、生きていこうぜ?」
 穏やかに微笑んで麻生は力強くそう告げた。
「麻生先輩……。――はいっ!」
 サラはごしごしと袖で両目を拭うと泣き出しそうな笑顔のままで元気に頷いてみせた。

 二人を心配そうに見守っていた梢にもようやくほっとした笑顔が戻る。

 麻生は思っていた。
 サラがいなければ自分はとうに壊れてしまっていただろう、と。
 彼女を護るつもりでいて、本当は自分が護られていたのだと今更ながらに気づかされた。
 サラに出会えてよかったと今、心から神に感謝する。
 彼女がいてくれる限り、自分は道を失うことはない。

 怒りだけでは戦わない。
 憎しみだけでは殺さない。
 これ以上犠牲者を出さないために、かけがえのない大切な人を護るために、――この島に残る殺人者達はこの手で止める。


   ◇    ◆    ◇


 こんにちは、三原梢です。
 この島に来て4回目の放送が終わりました。
 読み上げられた名前に私は耳を疑います。
 ララ? それに天満ちゃん?
 ……嘘でしょ?
 あんなに元気に駆け出していった二人なのに!
 なんで? どうして? そんなのアリエナイッ!

 ……でも、本当はわかってました。
 冴子と今鳥君が死んじゃった時から、ううん、このイカれたゲームが始まった時から、
アリエナイなんてことは有り得ないんだって。
 一度別れた人達に生きてもう一度出会える保証なんて、どこにも無かったんだって。

 でも、私はもう泣きません。
 哀しくないわけじゃないけど――本当は泣きたいくらいに哀しいけど、
泣いたってどうにもならないことがわかってるから。
 それに、哀しいのは私だけじゃない。
 麻生君だって大切な人を無くしてる。
 そして、サラちゃんはもっとたくさんの友達を……。
 でも――それでも、二人とも一生懸命に前を向いて歩いてる。諦めないで戦い続けてる。
 だから、私も決めました。
 もう、怖がったり泣いたりしているだけじゃダメだ。
 大切なものを奪う人がいるなら、その人達と戦う。
 奪われたから奪うんじゃない
 奪う側に回るんじゃない。
 大切なものを護るために、私は戦う。
 そして、みんなで生きるんだ。
 やってやるわよ、こんちくしょう。

 お互いを支え合う二人の姿が信じることの意味を、諦めないことの大切さを教えてくれた気がする。
 彼らと一緒にいる限り、私は道を外れることはない。
 私間違ってないよね? ララ、天満ちゃん。
 それでいいんだよね? 冴子、今鳥君。


   ◇    ◆    ◇


 放送が終わり麻生達は再び分校跡を目指して歩き始めた。
 友人達が死んでいるにもかかわらず条件反射的に禁止エリアの記録を取っていた自分に嫌悪感を覚えつつも、
生きるためにその内容を互いに確認する。
 自分達に関係のありそうなエリアは今いるG-06の17時。
 まだしばらく時間はあるがこの場所に長居する理由もなく、またいい気分もしないので街道を通ってG-06を
早急に通過する。
 一つのエリアを移動するのにかかる時間は通常約一時間程度だが、街道のみを通った場合は30分程度で通り抜けられることが
経験上わかっていた。
 途中10分ほどの食事休憩を挟んでからG-05も同様にして通過し、禁止エリアであるG-04は南側の最短距離を迂回して進む。
 H-05経由でH-04を一時間ほどかけて抜け、H-03へと入ってすぐに麻生達は進路を北へと変えた。
 彼らの誰にも知る由のないことだったが、そこはララ・ゴンザレスが疲労した塚本天満を気遣って
遠回りを承知で西へと進路を変えた場所。
 彼女達の哀しい運命が決した場所であった。
 ――今、麻生達は別の道を選ぶ。
 戦うために、生きるために、護り抜くために。

 3人は草原を歩き続け、やがて遠くに木造一階建ての平瀬村分校が見えてきた。

「んー、思ったより早く着いたねー」
 分校の敷地に入ってすぐに梢が大きく伸びをしながら言った。
「油断するなよ三原。建物の中に誰かいるかもしれない」
 それが味方とは限らない――言外にそう意味を含ませ、無防備に分校に近づいていく梢を呼び止めて麻生が警戒を促す。
「はいはい。んじゃ、チャッチャと調べてみよっか」
 軽い口調とは裏腹に、梢はベレッタを腰のホルダーから引き抜いて表情を引き締め麻生に頷いた。
「ああ。三原、バックアップ頼む」
「おっけ。まかせて」
「サラは俺から離れるなよ」
「はい」
 周囲を警戒しながらウージーを構えた麻生を先頭に、続いてサラ、ベレッタを構えた梢の順に慎重に建物に侵入していく。

   15分後。
 麻生達は分校の教室のひとつにいた。
 小さな分校は全ての教室を調べるのに大して時間はかからず、すでに周囲の安全は確認されていた。 
「誰もいない、ね……」
 梢が教室の机に腰をかけてほっとしたような、拍子抜けしたようなやや複雑な声で呟く。
「ああ、当てが外れたか」
 そう答える麻生だが、その言葉ほどには彼に落胆した様子は見られない。
「先輩?」
 その麻生の様子にサラは思い当たる節があるのか、何か言いたそうに声を掛けようとする。
 だが麻生は小さく首を振ってその言葉を遮るとさっさと教室を出て行こうした。
「麻生君? どこ行くのよ?」
 梢がそれに気づいて麻生を呼び止める。 
「ちょっと表を調べてみたいんだ。二人とも一緒に来てくれ」
 麻生はそう言って二人の返事も待たずに玄関に向かって歩いて行ってしまう。
「なんだろうね?」
「さあ?」
 梢とサラは怪訝そうにお互い顔を見合わせてから、結局は仕方なく麻生の後を追うことにした。


   ◇    ◆    ◇


「で、何を調べるって?」
「ああ、まずは……」
 梢の問いに麻生が答えようとすると、
「……?」
 建物の陰に何かを見つけたのか、サラが一人でそちらの方に歩いて行く。
「サラ? あんまり遠くへは行くなよ」
 それに気づいた麻生は今のところ周囲に危険はないと思いながらも心配そうに彼女に注意する。
「はい。大丈夫ですよ先輩、心配しないで」
 振り返ったサラは小さく笑って素直な返事を返してきた。
 その麻生達のやりとりを梢が微笑ましそうに見守っている。
「……何だよ?」
 その視線が妙に居心地が悪く、麻生は梢をにらむ。
「べ〜つに〜。ただ、相変わらず仲良いなぁとか思っただけ」
 にやにやと笑って梢は意地悪っぽくそう言った。
「……そんなんじゃねえよ。こんな時に何言って……」 
 麻生が呆れ顔で梢の考えていることを否定しようとしたその時、
「麻生先輩、三原先輩」
 建物の向こうから自分達を呼ぶサラの声が聞こえた。
「どうした!? サラ!」
「何!? サラちゃん!」
 二人は弾かれたように反射的に銃を抜き、その場所に駆けつける。
 建物の角を曲がるとすぐに目の前に立ちつくしているサラの後ろ姿が見えた。 
「やっぱりここには誰かがいたみたいです……」
 振り返らずにサラは地面を指差して背後の麻生達にそう告げた。 
 ほっとしながらそこに目を遣ると、サラの示した地面には土を埋め直したような跡。
 そして、誰かが捧げたのであろう冬に咲く花達が哀しくその場所を彩っている。
「誰、なんだろうね……」
 ベレッタをホルスターに戻しながら、梢は重々しく口を開いて隣にいる麻生に尋ねる。
「わからねえ。けど……」
「うん……。なんだろう、この感じ。何だか、すごく哀しいよ……」
 ここに眠るのは同じ時間を共有し、同じ未来を見ていたはずの矢神学院の同胞。
 そして、二度と同じ時を歩むことのない自分達の記憶の中だけに住む人。
「……」
 サラが黙って跪き、そっと十字を切って両手を合わせ祈りの言葉を呟く。
「……」
 麻生もそれに倣い、そして梢も……。
「こんなところに一人にしてごめんね。でも……誰かはわからないけれど、あなたの分まで私頑張るよ。
だから、どうかゆっくり眠ってください。そして、私達のことを見守っていてね」
 何故かはわからないけれど溢れそうになる涙を瞳に浮かべて、梢は優しく微笑んだ。
 梢はそれが思い人の墓とは知らぬまま黄色の水仙を墓前に供え改めて誓いを立てる。
 最後まで決して諦めずに戦い抜くことを。
 そして、残された大切な人達を護り抜くことを。


   ◇    ◆    ◇


   名も知らぬクラスメイトの冥福を祈り、麻生達は分校周辺の探索を再開した。
 といっても探しているのは麻生だけだ。
 サラと梢には麻生の目的がわからないのだから、とにかく彼に着いて行くしかない。
「……」   
 現在、麻生は足を止め校舎を背にグラウンドの周囲に視線を巡らせていた。
「ねえ、そろそろ教えてくれないかな? さっきから何を探してるわけ?」
 腕組をしながら不満を隠そうともせずに梢は刺々しく麻生に尋ねる。
「悪い、ちょっと黙っててくれ。……あれか?」
 梢の問いにぞんざいに答えながら麻生の視線がふとある場所に止まった。
 それはグラウンドの隅に作られた小さな体育倉庫。
 その一辺は校庭のフェンスの代わりに小さな丘の壁が続いており、その倉庫も壁を背にするように
ぴったりと密接して建てられている。
「あれかって、ただの倉庫でしょ? って、コラ! ちょっと待ちなさいって!」
 梢の言葉を無視して麻生は急ぎ足で倉庫に向かう。
「先輩……?」
 サラには麻生が意図的に口数を少なくしている理由も探しているものを口にしない理由もわかっているようだが、
それでもやはり彼が何を探しているのかには少なからず興味がある様子である。
 ぶつぶつ文句を言いながら歩く梢とともにサラも麻生の後を追って歩いて行った。

   錆ついた引き戸を開けると倉庫の中には学校で見慣れた体育用具が雑然と散らばっていた。
 麻生はそれらには目もくれず、奥の壁に向かってまっすぐにと歩いて行くとそこを何やら調べ始める。
「ここに何が……」
 言いかけた梢の目の前で麻生は器具の陰で見えなかった木製の扉を勢いよく開け放った。
 何の装飾も無い木の扉は、そこに“ある”と思って見なければ壁の一部としか見えないようなものだ。
「うわお……」
 その扉の向こうに現れた新たな通路に梢は言葉を失う。
「わあ」
 サラもびっくりしたような顔で小さく感嘆の声を上げる。 
「行くぞ」
 麻生はそう言ってすたすたと通路の奥に歩いて行ってしまう。
 通路はすぐに広い空間にぶつかった。
 周囲の地形から判断して、ここは丘の内側に作られた空洞なのだろう。
 明かりは入り口と日光や空気の取り入れ口らしき窓から入り込む光だけで中はとても薄暗い。
 その中で麻生は何かを懸命に探して壁に取り付けられた棚を調べ続けた。
 そして――。

(あった……)
 心の中で呟いた麻生の表情からようやく緊張が解かれる。
『――?』
 麻生の見ているものを覗き込んでサラと梢は顔を見合わせる。
 “それ”が何かわからない――いや、何となくはわかるが麻生が“それ”を何に使うつもりなのかがわからなかったからだ。
「さて、と――」
 麻生は意図的に言葉を発すると“それ”を再び棚の奥に隠し、先ほど調べた別の棚へと向かった。
「三原」
「え? 何……」
『ヒュッ』
「わわっ!」
 急に名前を呼ばれて梢が答えるよりも先に、彼女の手元に固形の何かが飛んできた。
「リュックに詰めとけ」
 麻生が投げて寄こしたのは数個の缶詰。
「ええっ? これ……食べれるの?」
 受け取った缶詰のひとつを摘み上げて梢は露骨に嫌そうな顔をしてみせる。
「中身は乾パンだ。腐らねえから心配すんな。もっとも味は保証しねえけどな」
 麻生はしれっと答えると自分も幾つかの缶詰を抱えて戻ってきて、その内の数個をサラに手渡す。
「ありがとうございます。……先輩、何なんですか? ここ」
 暗い室内を見回しながらサラが麻生に尋ねてきた。
「防空壕だよ」
 麻生は少し考えてから彼女にそう答えた。
「ボウクウゴウ?」
 聞きなれない日本語にサラはきょとんとした顔で尋ね返してくる。
「ああ、“元”な。現在はシェルター兼災害時の備蓄倉庫ってとこだろう」
「へえ……って、何でそんなもんがあるのよ!」
 梢が当然の疑問を麻生にぶつける。
「この辺りの島は戦時中、かなりの激戦に見舞われたらしく当時作られた防空壕が多く残されている。
地面に穴を掘っただけの脆いものだと危険だが、横穴式の丈夫なものなんかは内部を補強して現在も
倉庫として使用されることもあるらしい。特にこういった古い学校では疎開してきた人々を避難させるために
大抵は大がかりなものを備えてたって話だ」
 こういった施設は往々にして管理者と所有者が異なる場合が多い。
 だから行政の調査が行われても存在を見落とされる可能性が高いのだと麻生は付け加えた。
「へえー、麻生君て意外なこと知ってんのね」
 麻生の説明に今度は素直に感心して梢が尊敬の眼差しを向ける。
「俺じゃない。……田中が、教えてくれたんだ」
 その言葉を否定するように首を振り、麻生は静かにそう言った。
「田中君が……?」
「ああ」
 田中一也。
 麻生達を信じ、彼らに希望を託して死んでいったかけがえの無い仲間。
 その田中からこの島の名前を聞いた時、麻生はかつて彼が言っていたことを思い出していたのだ。


   ◇    ◆    ◇


『この島はさ、海底資源が眠る可能性で有名だけど、むしろ実際に戦争の悲劇に襲われた場所だってことを覚えとかなきゃいけないと思うんだ』
 心優しいサッカー部の次期主将が熱く語っていた。
『そんなテストに出ねえことまで覚えきれねえよぉ……』
 頭を抱えて泣き言を言っていた、気のいい赤毛のバスケ部員。
『やれやれ、菅には歴史のロマンって奴がわかんねえんだよなあ』
 わかったような口をきくのは何かにつけて主将と張り合う、慌て者のサッカー部員。
『……石山。お前、日本史赤点ばっかじゃねえか』  
『……う』
 菅の指摘に言葉に詰まる石山の姿に笑いが起こる。
『あのね、田中君。ちょっとわからないところがあるんだけど……』
 そこへおずおずと声をかけてくるのは長い黒髪が綺麗な、穏やかな物腰の少女。
『お? 永山、お前も勉強か。感心感心』
『うん。もうすぐテストだもんね』
 根拠も無く偉そうに言う菅に永山は微笑んで答える。
『どれ? 遠慮しなくていいよ、永山』
『えと、これ……なんだけど』 
 気さくにテキストを覗き込む田中の顔が近過ぎて、永山の頬が微かに赤くなる。
『そんなぁ〜……』
 無情な現実の前に崩れ落ちる石山。
『あ、その、他にもいっぱいあって……』  
 恥ずかしそうに永山がテキストで顔を隠す。
『じゃあ、永山の席に行こう?』
『本当? ――ごめん、田中君借りるね。みんな』
 ポンと両手を合わせて永山は可愛らしく菅達に謝る。
『待ってくれ! 永山さん! 田中先生抜きで俺達にどうしろと言うんですか!?』
 力強い口調で情けないことを言ってのける菅。
『ああ、うん、どうしようかな……』
 田中の視線が助けを求めるように麻生を見る。
『……いいよ。こいつらの面倒は俺が見とく』
 田中ほど面倒見の良くない麻生はため息をついて渋々ながら彼からバトンを引き継いだ。
『ごめん、頼むよ』
『ありがとう。麻生君』
 心からの素直な笑顔で麻生に感謝する田中と永山。
『愛してるぜ麻生! 今度ラーメン奢ってやる!』
『見てやがれ田中! 次のテストで勝つのは俺だ!』
『いいから、さっさと問題解けよ……』
 妙なテンションで張り切る菅と石山に、げんなりとしながらため息をつく麻生。
 平凡な日常の中の何気ない一コマ。
 二度と戻ることの無い、かけがえの無い平和な日々――。


   ◇    ◆    ◇


「そっか……。それで、この場所の検討がついたんだ」
 体育倉庫に戻って荷物を整理しながら、麻生の心情を察したのか、いつになくしおらしい声で梢が呟いた。
「半分以上は賭けだったけどな。まあ、とにかく“食料”が手に入ってよかったな」
「え……?」
 食料という言葉を強調した麻生に梢が思わず尋ね返した。
 麻生の様子から、彼が探していたものは決してそうではないことがわかっていたからだ。
「そうですね。少し心配だったんですよ」
 慌ててサラが言葉を続けてくれる。  
 きっと彼女は麻生が分校を目指すと言った時から、そこに主催者側に聞かれたくない何かがあることに
気づいていたのだろう。
「ああ、そうだね。うん、田中君に感謝しなきゃね」
 梢もそれに気がついて誤魔化すように笑った。
 と、麻生はふと床にテニスラケット用のストリングが転がっているのを目にする。 
「そう、だな……こいつも直しておくか」
 それを手に取り少し考えた後で麻生は呟いた。
「サラ。ボウガンを貸してくれ」
「はい? どうするんですか?」 
 素直にボウガンを渡しながらサラは尋ねた。
「修理するのさ」
 そう言って麻生は防空壕の中で見つけたライフツールを使って手際よく切れた弦を外し、ラケットのストリングに張り替える。
「へぇー、先輩すごいですねー」
 興味深そうにサラが見守る中、麻生は黙々と作業を進めていく。
「そんなので大丈夫なの? 音楽室に行けばピアノ線くらいあるんじゃ……」
 不安そうに上から覗き込みながら梢が意見を述べる。
「ピアノ線は強度はあるが弾性が全くないから弦には使えない。その点これなら問題はないからな。
心配するな。コイツは充分役に立つよ」
 ストリングを使えば確かに元々のグラスファイバーに比べて威力は低下するが、その分だけ装填が容易になり
サラの力でも充分に扱うことが可能になるだろう。
 できることならサラに人を傷つける道具を持たせたくはなかった。
 だが、状況がそれを許さない。
 彼女が生きるために身を守る手段は少しでも多い方がいい。
「……」
 そして麻生はふと手を止めてサラを見つめた。
「? どうしたんですか?」
 きょとんとした顔でサラは麻生を見つめ返す。
「……ひとつだけ約束してくれないか。もし、この先お前を傷つける奴が目の前に現れたら、迷わずに撃て。
何よりもまず自分の身を護るために戦うと約束してくれ」
 麻生は真摯な眼差しでサラに告げる。
 それはどこか懇願するような必死さを伴った言葉だった。

「……わかりました。でも自分のためだけじゃありません。麻生先輩や三原先輩が傷つけられても私は戦います。
 ――もう大切な人を誰も死なせたくないから。絶対に死なせないってそう決めたから」 
 麻生の真剣な想いがわかったのだろう。
 サラは静かに頷くと、にこっと笑って力強くそう言った。
「サラちゃん……」
「きゃ」
 梢が涙ぐみながらぎゅっとサラを抱きしめる。
 梢の豊かな胸に埋もれてサラが恥ずかしそうに真っ赤になっている。
 その二人を見つめながら麻生も小さく頷いた。
(それでもいい。それがお前の生きる力になるのなら。お前が生きていてくれるなら……)
 麻生にはわかっていた。
 例え全ての危険を排除できたとしても、自分はサラのそばにはいられないことを。
 この場所で見つけた希望は、同時に麻生の運命をも決める選択だったのだから。
 それは決してサラ達には悟られてはならないことでもあった。

 全ては徒労に終わるかもしれない。
 一矢どころかこのゲームの主催者達に爪痕をつけることさえできないかもしれない。
 それでも――と、麻生は思う。
 それでも現在この島に生き残っている仲間達と、そして、誰よりもサラが生存する確率をわずかでも
引き上げることができるのならば、そこに己の命を投げ出す価値は充分にある、と。

 だが、その前にやるべきことが残っている。

   皆で生きることを否定する人間がいる。
 自分だけが助かろうとする奴がいる。
 倒さなければならない者達がいる。

 彼らを止めなければ全てが無駄になってしまうのだ。

「これからどうする?」
 涙を拭って梢が麻生に尋ねた。

「まずは北へ行こう。夜になればまたホテル跡に人が集まる。生きようとする仲間達と、ゲームに乗った奴らがな。
だから、行こう――全ての決着をつけるために」
 修理の終わったボウガンをサラに渡しながら麻生は毅然としてそう告げた。

「はい!」
 迷いのない瞳でサラが答える。

「――了解」
 梢も微笑みながら頷いた。 

   戦いの善悪を超えて、戦わなくてはならない相手がいる。

   その先に希望があると信じて進む彼らの道に、もう迷いはなかった。   



【午後:16〜17時】


【麻生広義】
【現在位置:G-03】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式(食料5、水4) 缶詰(乾パン)×1 UZI(サブマシンガン) 9mmパラベラム弾(50発) メリケンサック ライフツール
[行動方針] :サラを護ることが最優先。サラの願いを叶えたい。
      高野に敵対。今後、出会った相手は基本的に警戒。播磨とハリーを特に警戒。
      危険を全て排除した後、分校に戻る。
[備考] :護るために戦う。播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。


【サラ・アディエマス】
【現在位置:G-03】
[状態]:健康 
[道具]:支給品一式(食料3、水4) 缶詰(乾パン)×3 ボウガン(M-1600、威力1/2) ボウガンの矢5本(リュックの中) アクション12×50CF(双眼鏡)
[行動方針] :反主催・みんなを守る。
[備考]:護るために戦う。麻生を信頼、高野を信頼。
     播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると疑っています。


【三原梢】
【現在位置:G-03】
[状態]:健康
[道具]:支給品一式(食料2、水3)  缶詰(乾パン)×4 ベレッタM92(残弾16発) 9ミリ弾198発 エチケットブラシ(鏡付き)
[行動方針] :殺し合いをやめさせる。
[備考] :護るために戦う。ハリーを警戒。結城が心配。
     播磨が天王寺、吉田山を殺し刃物を所持していると思っています。


[備考(共通)]:盗聴器に気づいています。



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