無題






「……ほっといてよ」
現れた女は、これ以上ないくらい不機嫌そうに呟いた。

「それにアンタ、鷹揚に構えてると足元掬われるわよ?
 何でもこなすようになると、却って他所の基盤には入り込めないのよ?
 チームを失えばアンタが返り咲くのは至難の業だと思うけど?」
辛辣に畳み掛けるように言葉を続ける。

悠然と立ちはだかっていた男は肩をすくめ、寂しげに首を振る。
「なかなか厳しい事を仰る。
 それに意外なほど-----情報通ですね」
「意外は、余計よ。
 痛い目に遭うのは、もう沢山」

女は影崎夕那。
原画家は多かれ少なかれ痛い目に遭ってるものだが、一円にもならない
ような惨事にまで至るものは少ない。
あれ以来、少しは大人になったのよ-----と心の中で思っていたやもしれぬ。

男はリバ原あき。
開発室の動乱の真偽は明らかではないが、不安のある限りは他人と勝負
できるような状態にない。
自らを取り巻く環境を維持することを優先せねばならなくなったからだ。
そして、もしもの時のために同士となり得る者を集めるための行動に徹して
いたのである。

「それで、どうするんです?
 あの超能力者みたいのを相手にするつもりなんですか?」
リバ原の示す先には、半ば仙人のように感情の読み取れぬ容のまま、半ば
幽鬼のように微かに光を帯びて、独り立つ水谷がいた。

ふん、とでも言うように視線を逸らして影崎は宣言する。
「あったりまえじゃない
 ああいうスカした男は、大嫌いなのよ」
肩をいからせズンズンと-----脱落者を忘れたように、振り向きもせず歩いて
行く彼女の背中に、リバ原は苦笑交じりとは言え賞賛を惜しまなかった。

(何故だ?)
全く問題にならぬはずの相手に思わぬ苦戦を強いられ水谷は自問する。
先を読まれる。
かわされる。
殺陣のごとくに不公平な軽妙さに圧倒されていた。

自らの強烈無比な打撃力を持ってすれば、誰が敵対し得るだろうか。
もはや生き残りメンバーに、そんな難敵は存在しないはずだった。
(だのに、何故?!)
流星のように光の尾をのこして一撃を放つ。
焦りがモーションを大きくしていたのだろうか、簡単にかわされる。

必殺の双掌をすり抜けた目の前に敵の顔が近接する。
それで水谷は”死に体”となる。
背中から嫌な汗が吹き出る。
敵は-----女は一撃を入れる代わりに、言い放った。

「アンタ、自分が解ってないのね」
不満をぶちまけるように表情を曇らせて。
「そんなヤツに、私負けないわよ」
そう続けながら翻弄する。

意外だった。
こんなにも差がある戦いになるとは、予想だにしなかった。
三度問う。
(何故なんだ?)
そして意識の深淵に沈んでいた幾つかの要素を引き揚げ始める。
(遅いからか?)
いや、それがなんだというのか。
余人はともかく、自分にとって速度は問題にならない。
一撃当たればそれでいいのだ。多少の速度など気にならぬ。

(しかし、この苦戦は何故?)と、更に自問を重ねようとした時。
心の一番奥にしまいこんでいた運命の妖精がぺろり、と舌を出した
のが-----確かに、見えた。
(違う?)何が?
(絵柄?)絵柄が-----違う?
思い当たるのと、身体に衝撃が走るのはほぼ同時だった。
膝をつき、腕をつく。

(誰も?)
「誰も、今のアンタを見てないじゃない。
 過去の威光に潰されて、自分を見失ったアンタに尻尾を振るのは
 -----信者だけよ」

その一撃で、勝負は決した。

吹きすさぶ風の中、孤影は苦笑いを浮かべていた。

(そんな熱狂的な信者がいれば。
 私もこんな苦労はしなかっただろうけれど)

完勝を遂げた影崎もまた、敗北に似た思いにかられていたのだった。

予想だにしなかった一方的な展開に、忘我の状態に陥っていた
リバ原の背に大きな拍手の音が聞こえる。
少しうろたえて振り向くと、逞しさと貫禄を併せ持った女が歩きつつ
手を打っていた。
女はリバ原の存在に気が付いていなかったのだろう、少しだけ
驚いたようだったが路傍の石でも見たかのように即座に興味を
失いすり抜けていった。

「それほどやれれば、大したもんだ」

軽く息を切らせて見上げる影崎の視線を受け止めた人物は。
川崎恵、その人だった。

水谷とおる脱落
【残り二人】



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