俺得ロワ「幕開けは蝿声と共に」
『アー 参ロヤナ 参ロヤナァ パライゾノ寺二ゾ参ロヤナァ
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『アー 参ロヤナ 参ロヤナァ 先ワナ助カル道デアルゾヤナァ
■■、■■■■、■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■』
――呪わしい穢歌が響いている。
何処とも知れぬ空間へ鳴り響く、楽園を謳うオラショ。
この世の罪悪総てをかき集め、糞尿の肥溜めを七日七夜煮詰めでもしたかのような、醜悪な悪魔が嗤う。
金の頭髪はくすみ、肌は漆黒。
剥き出しになった歯と爛々輝く双眸はとても人間のそれとは思えない。
いや、事実彼は人ならざる領域の存在に他ならなかった。
悪魔。
無貌。
じゅすへる。
鬼天狗。
黒い放射能(チェルノボーグ)。
蝿声厭魅(さばえのえんみ)。
エトセトラ、エトセトラ――
数多の銘で呼称される混沌(べんぼう)の邪鬼。
彼は今、数にして五十もの視線に晒されていた。
それで恍惚を覚える奇特な性癖なぞ彼にはなかったが、己の責務は果たさねばなるまい。
ぽりぽりとこめかみを掻き、不安げに顔を見合わせる者、怒りを湛え己を睨みつける者、己を知るがゆえに最悪と現状を嘆く者、様々な者達へ纏めて笑いかけた。ひ、と声が漏れたのを聞く。少女の声だった。
機嫌良さげに笑うと、悪魔はノイズが掛かったようなくぐもった声音でもって、愈々口を開いた。
「やあ。みんな元気そうで何よりだ。活きの悪い犬達で競わせても盛り上がらないからね。善き哉善き哉」
犬呼ばわりされたことへの怒りがあがるが、一々気にしてられぬとばかりに無視して悪魔は続ける。
この空間に凡そ逃げ場と呼べるものは存在していなかった。
四方は夜天と比較してなお昏き帳に閉ざされ、遠巻きに不気味な轟音すらも聞こえてくる。
何の音声だろう。砲撃の音にも聞こえるし、兵の断末魔の絶叫にも聞こえた。
明らかなのは一つ。
現在此処で始まろうとしている、《何か》――それは、決して平々凡々とした催しではないということ。
呼ばれし者の中には血や硝煙の薫りと縁遠い日常を生きていた者もある。
そんな彼らにまでも、只ならぬ事態が始まるのだと認識させる……この《悪魔》には、それだけの存在感と絶望感が伴っていた。存在していてはいけない、現れてはいけない猛毒の化身。そして事実その認識は限りなく正解だ。
神野ッ、と。
誰かが敵意の籠もった叫びで悪魔の名を呼ぶ。
悪魔――神野明影はそれに一瞬笑みを深くし、だが自分を呼んだ愛しい彼女へ反応を示すことはなかった。
彼はトリックスターの類であるが、あくまでも従属。
此度の悪夢は、彼が好き勝手に引っ掻き回す遊戯場とは違うのだ。
最低限の勤めを熟し、それからは自分の出番を楽しみにしつつ悦楽に浸って待つとしよう。
神野は下衆の目論見を秘めながら、再び嘲笑を吐き散らす。
「君達には、願いが有るだろう?
真っ当な人間になりたい。
祖国を救済したい。
組織の頂点に立ってスターになりたい。
みんなでずっと幸せに過ごしていたい。
自分の手で、救われない者を取り巻く幻想を破壊してやりたい。
――そんな浅ましい願いが君達の中にはこれでもかと詰まっている!
臭い臭い、精液か糞便と見紛うような汚い、欲望塗れの願いが有るだろう!
でも残念だねェ。僕は知ってるんだ――大概は叶わない。君達は所詮、皮算用で喜び勝手な希望で自慰に狂っているだ・け」
その姿たるや、まさに悪魔のそれだった。
人間の願いを真っ向から受け止め、嘲笑で上塗りして踏み躙る。
怒号があがろうと彼には雑音程度にしか聞こえなどしない。
神野はわざとらしく慰めるようなジェスチャーをした後、未だざわめきが冷めやらない様子さえも無視し弁を紡ぐ。
「だから、僕達がそれを叶えてあげよう」
怒号が、泣き声が、ざわめきのすべてが止まった。
単に呆気に取られた者もあったろう。
だが彼らの中には確実に、「もしかして」と期待を懐いた人物があった筈。
そして神野はそれを知っている。
手に取るように――人形劇の演出家さながらに、彼らのことをよく知っている。
故にこの悪魔は質が悪い。
「今日君達を招いたのは他でもない。ある《儀式》に参加してもらうためなんだ。ちなみに、拒否権はないよ」
帳の落ちた空間に、人の声はいつしか聞こえなくなっていた。
聖性とは正反対の邪性を絶え間なく滲ませながら、悪魔はいよいよもって本題へと移る。
その顔面へ湛えた笑みが、人々へある種達観めいた感情すらも抱かせる。
どんなカタチであれ、待っているのは絶望であると。
理解し、それでも諦めることはできず。
自慰的な希望論で心を慰め――理解した。
「殺し合いをしてほしいんだ。最後の一人になるまで」
これから先の未来に、希望なんてものは何処にも存在しないということを。
「……そォか。なら、まずはオマエが逝っとけ」
刹那。
神野の頭上から、不可視の鈍器が彼を打ち据えた。
悪魔の全体像が霧散し、数多の毒虫と化して再構成されてゆく。
目立ったダメージが通った色は見て取れないが、ならば更なる手を講じるまでのこと。
彼……白髪赤瞳の超能力者、一方通行(アクセラレータ)にしてみれば朝飯前の話であった。
にわかにざわめきが戻り始める。
結果はどうあれ、反逆の狼煙があがったことは彼らにある種の心理的作用を齎した。
自分は一人ではない。
殺し合いをよしとしない者だって確かに存在する。
それなら、ひょっとして――そんな感情に囚われ、僅かな希望に期待を寄せ始める。
「ヒドいなあ。まだ説明の途中だってのに」
「あァ、なら済まねェな。あンまりにも気色悪いモンだからよ、体が勝手に動いちまった」
軽口を叩きながら、一方通行は冷静にその超頭脳を回転させる。
彼の能力はベクトル変換。超能力者の頂点という肩書を見れば、自ずとその強さの程は伺えよう。
先に用いた《殺害方法》は気流操作による撲殺。
常人ならば確実に致命傷、そうでなくとも行動不能にしてしまえるくらいの威力はあったのだが、あろうことかこの神野と呼ばれた怪物、物理の打撃で容易く押し潰せるほど単純な手合いではないらしい。
面倒だとは思う。
しかし、彼はこういう存在を知っていた。
あの第三次世界大戦を生き延びてから、自分達の前へ姿を現した《魔術》の概念。
その道のプロにこそ及ばねど、応用と経験則を駆使すれば何かしらの打開策はあるだろう。
無いのなら強引にでも抉じ開けるまでだ――どちらにせよ、こんな三下の狂人野郎に手を拱いている暇など無い。
「つゥわけで――死ね」
一方通行が取った策は何ら飾り立てない愚直なもの。
即ち、直進。
ベクトル変換を働かせ脅威的な爆速を発揮しつつ、神野を直接弾いてやる算段だ。
血が通っているのかいないのかも分からない以上、手探りにはなる。
危険は重々承知だ。けれど、彼にだって自信はあった。
今まで幾度も死にかけて、その度に生き抜いてきたのだ。
自身を分解して逃れるというのなら、末端に至るまでを潰せばどうか。
等々、パターンは幾つも浮かべることが出来た。
手始めに、奴へ直接触れることを指標として、一方通行は空を切り進む。
「ひひ、きひひひひ――――」
彼に間違いはなかった。
神野明影は一方通行の知り得ぬ、魔術ともまた異なった異能を保有していたが、それでも勝負にはなる筈だった。
勝敗の程は別としてだ。
学園都市最強は伊達ではない。
並みいる能力者達を突き放し、天地ほどの差をつけてトップへ君臨する――そんな輩が弱いわけがない。
戦いを続けていれば、神野を打倒し、一先ず殺し合いの幕開けを防ぐことは出来たかもしれない。
だから、彼はただ運が悪かった。それだけなのだ。
「――――…………あ?」
もう数センチで手が届く。
そこまで踏み込んだところで、一方通行は不意にその進行を止めた。
感じるのは激痛。文字通り、身を食い破られるような激痛が痛覚神経を滅茶苦茶に掻き乱していく。
一方通行の痩躯には、大穴が穿たれていた。
神野が手を下したのは間違いないが、彼は何ら攻撃を行ってはいない。
彼はただ――埋め込んでおいた《爆弾》を起爆させただけ。
「惜しいなァ。もう少しだったのに。ついでに有望株がこんなところで退場なんてねェェ」
あからさまな挑発に言葉を返す余裕すらもない。
いや、彼が自らの傷口を視認できた時点で奇跡と呼んでも何ら違いはなかった。
如何に最強の超能力者とて、人体の急所である心臓を丸ごと吹き飛ばされて生き永らえる道理はない。
頭蓋に弾丸を食らうのとはわけが違う。破壊は完全に、淀みなく、他が介入する余地もなく遂行された。
自身の生み出した血溜まりへ倒れ込み、最強はピクリとも動かなくなった。
誰かが慟哭めいた叫びをあげる。
ツンツン頭の少年だった。
彼は昔、たった今命を落とした男と敵対していたが、今は違う。
同じ目的の為に手を取り合い、共に戦う大切な仲間。
それを目の前で奪われ、挙句嘲笑われる――少年の心が激情に支配されていくのが誰の目からでも分かった。
しかし、彼は立ち向かおうとはしない。
拳を血が滲むほどに強く握り締め、奥歯を砕けんばかりに噛み締めて、それでも必死に逸る感情を押し殺している。
神野はちら、とそんな姿に視線を向け、くく、と笑いを零した。
彼としては嘲弄の一つや二つぶつけてやりたいところであったが、そう長々時間を浪費するわけにもいかない。
「今のを見てもらえれば分かる通り。
君達の心臓には、ちょっとした細工を施させて貰っている。
ああ心配しなくてもいい。普通に、真面目に殺し合ってれば、きっと無縁の事柄だからね」
足下を見やがって――誰かが呟いたのが、厭に大きく聞こえた。
つまり、神野は言外に自分が全員の生殺与奪を握っているのだと告げている。
「実は、この儀式を開こうと言ったのは僕じゃあない。
その人が作った細工だから、きっと威力は折り紙つきだろうネ。耐え切れるとは思わないことだよ」
ぞくり――冷たいものが背筋を駆け抜ける。
埒外の威力が自分の体内に眠っていることもさることながら、この悪魔を従えるような存在があることが何より恐ろしい。
最強の存在を容易く捻じ伏せる力。それを作り出す規格外級の存在。
混沌の二文字を、ある者は想起した。
それは限りなく的を射ている。
下劣跳梁と称された勢力の長が、よもや真っ当な枠組みになど収まるはずもない。
「さて。細かいルールは各自で確認してもらうとして……予想外に時間も取ってしまったからね。そろそろ始めようか」
その手で奪った生命には目もくれず。
彼が両手をす、と挙げるや否や、呼び出された生命の身体が半透明に透けていく。
転送が始まったのだ。
彼らはこれより、首謀者達が用意した箱庭で――最後の一人になるまで、血で血を洗う闘争に励むこととなる。
与えられる恩賞は如何なる願いでも叶えられる特権。
「さあ! すべてが終わった時にまた会おう――この混沌(べんぼう)で、僕は君を待っている!!」
――蟲毒の宴、此処に開始。
始まりの鐘の代わりに、耳障りな蝿声がいつまでも響いていた。
【一方通行@とある魔術の禁書目録 死亡】
【俺得ロワ スタート】
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